早いもので、母が亡くなってから、5年がたちます。いつでも思うのは、あんなに元気で、百歳は生きると思っていた母が突然の死。迫りくる病魔との戦いの限界だったらしく、同居していなかった自分として、悔いが残り、何の手助けもできなかったことを今でも、無念でなりません。与えられた環境の中で、あまり深く考えずに、不平も言わずにまあしゃないわなと生きた人生感がありました。忙しかった商売、きつかった姿は、夜の当日売掛帳への記入時によく表れていました。ノートに記入し始めるとこっくり、こっくりとしてしまうのです。どうして、大人って、いつも眠たいのだろうと不思議に思っていたことを今でもよく覚えています。現在、時間的に余裕がある時期になって、母と旅行し、美味しいものを食べ、幼いころの知らないことやいろんなことを話をしたかったと思います。
市内の広報板を観て回ると、いろんなことがわかる。
兎に角、ポスターの表現内容がワンパターンである。広報板が満載になった中から、特徴づけるインパクトあるものが少ない。そのほとんどが、市民の目に留まっていないように思える。待ち合わせ場所やバスの停留所の近くにあれば時間潰しに、観る機会があるかもしれないが、その他の場所では、期待できない。幾つかのイベントにおける参加申し込みが広報板によるというのは非常に少ない。だから、今回は、あまりないA3横でカラーで作成。写真や絵、魅力あるストーリーを端的に表現し、しかも市民の皆様の要望に応えてということまでつけ備えた。さあ、どんな効用があるかな。何でも試してみよう。
兎に角、ポスターの表現内容がワンパターンである。広報板が満載になった中から、特徴づけるインパクトあるものが少ない。そのほとんどが、市民の目に留まっていないように思える。待ち合わせ場所やバスの停留所の近くにあれば時間潰しに、観る機会があるかもしれないが、その他の場所では、期待できない。幾つかのイベントにおける参加申し込みが広報板によるというのは非常に少ない。だから、今回は、あまりないA3横でカラーで作成。写真や絵、魅力あるストーリーを端的に表現し、しかも市民の皆様の要望に応えてということまでつけ備えた。さあ、どんな効用があるかな。何でも試してみよう。