今何もしなくても、とりあえず、自分たちは生活できるから、誰かが与えてくれるならば頂くが、自らが動いて少しでもより良くしようと思う気持ちが希薄な市や市民の落とし穴は、将来のこと、自分たちの子孫の時代にやってきます。先行きのことを考え論じられる市・市民づくりに役立ちたく思っています。市民が自ら自分たちの生活文化をレベルアップする努力をしなければ、今のままでは、市としてのさらなる発展は望めません。いつまでも、三流の田舎町で、そして市としての崩壊が待っているのです。その危機感を市民で共有化し、今から、企業、大学、文化、人物、価値あるものづくりに目覚めてほしく思っています。
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所属する市民活動団体の『まちづくり市民ねっと京田辺』の役員と市長との懇談会に要請があり私も参加。活動の全体概要、自己紹介を行いながら、市長のコメント、思いと、各人の考えを披露。今までの各種団体との紋切り型の懇談内容から、少し突っ込んだ話し合いに進み面白かった。
私からは、『つつきはっけん』により市民が参画し学び発見していく魅力探しと市内外への発信、まだまだ隠されている魅力があることを柔らかくお話した。市長も、当方の活動は知っており理解を示している。しかし、歴史は逃げないから、ぼちぼちやれば良い、ネット/ITはまったくやらないとか、ちょっとずつから、徐々に言っていることが私にとっては、一貫性がないとまたしても痛感する。減災プロジェクトやサイト請求詐欺事件のことを伝えたが、今一つ、ITに関連する話になると理解を示そうとしない、それで良いのだと言い張ることに失望。町の発展に通じる、市街化調整区域のことや、観光事業におけるエンターテイメント、PRの必要性、等お話しするが、市も市民もみんな大人しく真面目だと言って、課題をはぐらかす発言や体と心のあることを基本に、バランスよくやっていきたいとか、だんだんとかみ合わないと思う言葉が続いた。出席したメンバーの思いも少しずつ異なり、相変わらず、いつもながらと言えば良いのか、公のトップとの話す場になると、トップに同調してしまう傾向が見られた。この町に欠如しているビジョン、中期計画、PDCA、についても、お話したが、最後のほうで、今日は新たなことの話が出てきてなかなか難しかった(?)との言葉があった。全般的に、市も市民も危機意識が希薄なためにバランス感覚の重要性の話がよく出たが、果たしてこの町の売りは何か?課題の掘り下げが不足し、将来のことの大切さをとらえるには、産業、人口、少子化問題があるだけに、今こそもっと危機感を強く持って取り組んで頂きたく思った。帰りがけに、市長に市に対して、多くの提案があるので、各部関係者に持っていきますよというと、関係者はみんな困るのでは、ないかという市長。思わず苦笑と遺憾の念。
プロ野球も終盤に入り、優勝争いに拍車がかかってきて、ファンにとっては、一喜一憂の毎日。
以前から、不思議だなと思いつつ、専門家・関係者にも聞くが、今一つ、納得がいかないことが多くある。
1.バントをする時の構えがクローズスタンス。確実にオープンのほうが構えやすいのだが・・。
2.ベンチでは不明確な、ストライク・ボール。
3.全面的なビデオ判定の採用。現在では、ホームランのみ。
4.やたらとつばを吐く外国人選手。外野の芝生は、トレーニング場所なのに、そこにも。
5.勝利インタビューにおけるアナウンサーの質問内容。
6.チャンスの時に、CMを入れる放送局。
7.試合中に、選手間で、また審判に挨拶する選手。その光景は試合中はあまり観たくない。
8.大差をつけたチームの盗塁にクレームが入る?
9.進塁打でハイタッチするチーム。時と場合によるのだが。
10.いつも同じ応援を繰り返す、応援団。耳障りな声援と目障りな風船。
(前後、左右の客の風船で、グランドが見えないことしばし、顔に当たること、数回、それに気づかないお客さん)
以前から、不思議だなと思いつつ、専門家・関係者にも聞くが、今一つ、納得がいかないことが多くある。
1.バントをする時の構えがクローズスタンス。確実にオープンのほうが構えやすいのだが・・。
2.ベンチでは不明確な、ストライク・ボール。
3.全面的なビデオ判定の採用。現在では、ホームランのみ。
4.やたらとつばを吐く外国人選手。外野の芝生は、トレーニング場所なのに、そこにも。
5.勝利インタビューにおけるアナウンサーの質問内容。
6.チャンスの時に、CMを入れる放送局。
7.試合中に、選手間で、また審判に挨拶する選手。その光景は試合中はあまり観たくない。
8.大差をつけたチームの盗塁にクレームが入る?
9.進塁打でハイタッチするチーム。時と場合によるのだが。
10.いつも同じ応援を繰り返す、応援団。耳障りな声援と目障りな風船。
(前後、左右の客の風船で、グランドが見えないことしばし、顔に当たること、数回、それに気づかないお客さん)
ベストセラー『聞く力』に続いて、『叱られ方』を出版し、いつも新鮮な話題が尽きない、才女さわやか阿川佐和子さんのラジオインタビューを聴いた。お父様の作家阿川弘之の律儀で道徳倫理観高いしつけと親としてのなすべき教育の大切さをごく普通の日常の暮らしの中から知り苦笑。家で、小説を書く父に迷惑をかけないように、隣で、静かに兄とお遊んでいると、突然、ふすまをあけ、「人の気配がする」と叱られ、冬の日、お誕生日に外食して、発した言葉が「寒い」というと、そうではなく、「ありがとうございました」というべきとしかられた。今の時代、親が子供を叱ることを怠ったから、いい大人になって、ちょっとした出来事で、耐えられずに、すぐに会社を辞めたり、号泣することが起こっている。小さい時から、愛情のある叱られることの大切さ、特に、困難に出会い、悩みながらも解決し、忍耐と自信をつける積み重ねが重要である。まさにその通りだと思う。今じゃ、93歳になった父親に感謝していることだろう。
甲子園の高校野球は、天候不順で雨が降ろうが、余程のことがない限り、試合が行われる。雨水と土が混ざったというよりも泥状態の中、ヘッドスライディング。顔とユニフォームが泥まみれになりながら、必死で闘う若者に思わず、歓声と拍手が沸く。若者はこうでなくてはならないとつくづく感じる。まさに青春であり、先行きに不安いっぱいながらも、困難な場面に立ち向かう、あまりあり、果てしないエネルギーこそが、若者の特権でもあると思う。その時期に青春力を発揮できる何かをつかんだ若者は大いに成長を遂げていくのだが、連日の新聞やニュースを見ると、そうでないちょっと誤った行動を起こす少年たちがいることを忘れてはならないし、和を尊び、秩序正しい、この国にもずぅーと奥深く潜む陰の部分を感じる。
終日、雨が降ったり、止んだり、時には、激しくどしゃ降りになる、まさに天候不順の一日。昼ごろには、市に、大雨洪水警報が出ると、盛んに登録したウェザーニュースや、減災プロジェクトからただ警戒注意メッセージが届くが、詳細には何をすべきか、どの程度か、わが地域の様子がほとんどわからない。だから、市民が発信する減災レポートということになるのだが、非常事態になればなるほどリアルタイムのリアルな情報は届きにくいのではないかと、このシステムの活用が些か不安になってきた。
「本能寺の変」について、多方面の分野の方々が大いに議論しあうTV番組をYouTubeで観た。
・今や『本能寺の変431年目の真実』で24万枚売れた明智憲三郎氏
・静岡大学名誉教授、NHK大河ドラマの時代考証で著名な小和田哲男氏
・作家加来耕三氏
・歴史ファンのタレント高橋英樹、北野誠、歴女タレント小日向えり
・よくわからない中部大学教授
が集合、期待してみたが、内容は、従来の言われ続けてきた『本能寺の変の通説』を主張するお偉方、著名人、タレントが、こういう場の経験が少なく、真説を唱える明智氏をいじめ倒す内容で、まさに現代の世の中の出来上がった仕組み構造、権威、矛盾さを変えることのむつかしさとやるせなさを痛感した。この討論で感じたことを述べると
・討論がN対1形式(明智氏一人を敵にし取り囲む)
・明智氏の新たな歴史捜査という手法には全く関心を示さない先生方、慣れてないタレント
・お互いの主張をより突っ込む討論にはならずに、司会者が適宜時間経過で要領良くさばいていく、最初からのストーリーありき内容になっている。
・真実に迫る明智氏と謎解きを興味深く楽しんで娯楽的に考えるタレントでは議論がかみ合わない。
・明智氏の新たな考えの発言を無視したり、さえぎったり、嘲笑でいとも簡単にかわす先生方からは、良い印象を得ることはできなかった
・討議においては、冷静に相手の言い分をよく聞いて、真面目に、誠実に話し合うことの姿勢が大切だということ。
・軍記物に対しても、真実と偽りの箇所の両面が潜んでいるので、留意しなければならないということ。明智氏の『軍記物は信用できない。日記は信用できる論』は、いささか問題あり。
・家康が岡崎帰還後の行動について、司会者がうまく討論させることをしたら、さらにおもしろかったのに。中途半端な討論。
・『是非に及ばず』は女性から信長公記著者の太田牛一が聞いたというが、信用できないと言った加来耕三の意味合いは何故なのか?女性・身分の低さのこと??
・信長の『家康殺害計画』をうまく利用した光秀に関して、推測だとした加来。なぜが不足。
・『ときは今天が下しる五月かな』、連歌の発句、天候論の発信に対して、単純に考えすぎという加来。わからない、・・・。
・今や『本能寺の変431年目の真実』で24万枚売れた明智憲三郎氏
・静岡大学名誉教授、NHK大河ドラマの時代考証で著名な小和田哲男氏
・作家加来耕三氏
・歴史ファンのタレント高橋英樹、北野誠、歴女タレント小日向えり
・よくわからない中部大学教授
が集合、期待してみたが、内容は、従来の言われ続けてきた『本能寺の変の通説』を主張するお偉方、著名人、タレントが、こういう場の経験が少なく、真説を唱える明智氏をいじめ倒す内容で、まさに現代の世の中の出来上がった仕組み構造、権威、矛盾さを変えることのむつかしさとやるせなさを痛感した。この討論で感じたことを述べると
・討論がN対1形式(明智氏一人を敵にし取り囲む)
・明智氏の新たな歴史捜査という手法には全く関心を示さない先生方、慣れてないタレント
・お互いの主張をより突っ込む討論にはならずに、司会者が適宜時間経過で要領良くさばいていく、最初からのストーリーありき内容になっている。
・真実に迫る明智氏と謎解きを興味深く楽しんで娯楽的に考えるタレントでは議論がかみ合わない。
・明智氏の新たな考えの発言を無視したり、さえぎったり、嘲笑でいとも簡単にかわす先生方からは、良い印象を得ることはできなかった
・討議においては、冷静に相手の言い分をよく聞いて、真面目に、誠実に話し合うことの姿勢が大切だということ。
・軍記物に対しても、真実と偽りの箇所の両面が潜んでいるので、留意しなければならないということ。明智氏の『軍記物は信用できない。日記は信用できる論』は、いささか問題あり。
・家康が岡崎帰還後の行動について、司会者がうまく討論させることをしたら、さらにおもしろかったのに。中途半端な討論。
・『是非に及ばず』は女性から信長公記著者の太田牛一が聞いたというが、信用できないと言った加来耕三の意味合いは何故なのか?女性・身分の低さのこと??
・信長の『家康殺害計画』をうまく利用した光秀に関して、推測だとした加来。なぜが不足。
・『ときは今天が下しる五月かな』、連歌の発句、天候論の発信に対して、単純に考えすぎという加来。わからない、・・・。
ふと、過去三年間のブログを振り返ると、この期間、自己の思いというのは、ほとんど変化がなく、進歩もないと言わざるを得ない。
一部の日々の思いだけではなかなかわからないが、自由にできる時間がたっぷりあり、仕事で明け暮れた時ではとても考えられないような暮らしの中で、ゆったりと時が過ぎてゆく。
思わず、あと15年は生きるだろうと思っていたことが、少し、体に変化や悪い症状が出てくると、途端に弱気になるものである。だからこそ、日々を大切に生き、生を得てこの世に生まれたからには、やりたいことを全うしたく思う気持ちが強くなった本日の朝である。
2011.8.12 初盆の準備
2012.8.12 日航ジャンボ機墜落事故に思う
2013.8.12 正しいことが明白に判断できる心豊かな社会をめざして
一部の日々の思いだけではなかなかわからないが、自由にできる時間がたっぷりあり、仕事で明け暮れた時ではとても考えられないような暮らしの中で、ゆったりと時が過ぎてゆく。
思わず、あと15年は生きるだろうと思っていたことが、少し、体に変化や悪い症状が出てくると、途端に弱気になるものである。だからこそ、日々を大切に生き、生を得てこの世に生まれたからには、やりたいことを全うしたく思う気持ちが強くなった本日の朝である。
2011.8.12 初盆の準備
2012.8.12 日航ジャンボ機墜落事故に思う
2013.8.12 正しいことが明白に判断できる心豊かな社会をめざして
『つつきはっけん講座&ウォーク』やその他の機会に、いろいろな質問や疑問、あるいは、自論主張の場に出くわし、「はっと」することが今年になって、よくある。その時は、真面目に答えたのだが、果たして、間違ってはいないだろうか?矛盾した論理になってはいないだろうかと、帰宅後家で、あるいは、本日のように、中央図書館で、館内閲覧物を調べ、自分の考えをまとめてみる。今までの人生で全くなかっただけに、4時間も連続で、トイレに行ったのが、丁度2時間経過後、昼食も忘れていた。なぜ、こんな状態にできるのか?今までいい加減に頭に入れていたことを、人前でお話しするからであるからかな。その責任をそれなりに感じているのかな。お話をする2~3倍ぐらいの情報量があるのだが、実際話しする内容は、その1/2~1/3かもしれない。それだけに、多面的な情報による、お話もし易くなり、深みも出てくるということかな。三回目を終えた、講座も徐々に何かしらの実施付加価値が増殖しているようである。兎に角、人前でお話しすることのドキドキ感、不安というものは、どこかへ行ってしまったようである。不思議なものである。