沖縄での一人暮らし

延べ8年間、沖縄で一人暮らしをしました。歴史・自然・文化を伝えます。

オランダ墓と運天(うんてん)港

2008-05-16 | 名護市
屋我地島のワルミ海峡沿いに、自転車で北進すると、小さな漁港がありました。
すぐ隣に「オランダ墓」の案内が…、なんじゃいな。

やや不安な気持ちに駆られるところですが、自転車で進みます。
道は舗装されてないけど、ちゃんと除草してあるし、大丈夫。

海沿いに進むと木製の階段があり、ちょっと登ると、見晴らしのよい岩場の上に2人分のお墓がありました。
きれいに、掃除され、お花も咲いています。

泡盛も、2人分、丁寧に添えられていました。
雨水じゃなくホンモノです。
手厚く、守られています。

墓碑がありました。
日本語と英語とフランス語かな。
当時、西洋人のことを「オランダ」と呼んでいたようですが、ここには、病で倒れた2人のフランス人が眠っています。
オランダというよりも、フランス墓ですね。

1846年、琉球王朝と貿易交渉をするために運天港に来た3隻のフランス船。
1ヶ月滞在したのですが、交渉不成立で長崎に向かいました。
その際、病で2人の方が亡くなったのですが、琉球国は手厚く墓を設け、今では地元の人が守り続けています。
名護市の文化財と史跡21
運天(うんてん)港や古宇利(こうり)大橋が見渡せる、いい場所です。

対岸の運天港から見た風景です。
右3分の一の出っ張ったところにお墓があります。
運天港は当時も大きな港で、黒船ペリーも薩摩も、那覇港入港の前に立ち寄っています。

今は、伊是名(いぜな)島や伊平屋(いへや)島へのフェリー基地です。

交渉は決裂したとはいえ、外国の賓客を大切にする沖縄の人の優しさ。
異国の地で亡くなった方の無念さを思い、お墓を守り続ける沖縄の人の気持ち。
とても感じられる場所でした。