北海道の積丹半島の浜に70年ぶりにニシンが大量に戻ってきた。
大量の白子が海面に浮かび、海は銀色に染まる。群来(くき)と地元で呼ばれる現象。
浜には大群のニシンを迎える網が仕掛けられ、誰の網に入るか、かがり火で仕切られている。
なかにし礼(中西禮三)が、一家の運命を左右するニシン漁を経験したのは8歳の時だった。
7歳で終戦を迎え、母と姉と3人で満州から引揚げて小樽の祖母の家に。そこに兄夫妻を併せ6人が暮し始めた。
学徒動員で特攻帰りの22歳の兄は、普通の仕事では一家を養えないと、勝手に実印を持ち出し祖母の家を抵当に入れ、高利貸しに30万円を借りる。
ニシン漁の網を30万円で3日間借りて、網にニシンが入れば100万円になり、入らなければ全て失う博打のような賭けだ。
しかも、ニシンの到来数は年々減少しており、せっかく建てたニシン御殿を人の手に渡す人も出ている。
ニシンが浜に大量に来ても、自分の網に入らなければ、お金にならない厳しい仕組み。
家族で祈った最後の3日目、素人漁に失敗したとあきらめかけた時に、大量のニシンが兄の網に入り、一家は喜び、安堵する。
しかし、兄は獲れたニシンを直接青森まで運べば、もっと大金にな儲かると欲を出し、荒れた日本海の海で全てを失い、実家を追い出されることに。
なかにし礼「兄弟」 1997年 より
石狩挽歌(1975年 日本作詩大賞作品賞) 作詞 なかにし礼
海猫が鳴くから ニシンが来ると 赤い筒袖の ヤン衆がさわぐ
雪に埋もれた 番屋の隅で わたしゃ夜通し 飯を炊く
あれからニシンは どこへ行ったやら
破れた網は 問い刺し網か 今じゃ浜辺で オンボロロ オンボロボロロ-
沖を通るは 笠戸丸(かさとまる) わたしゃ涙で にしん曇りの 空を見る
燃えろ篝火 朝里の浜に 海は銀色 にしんの色よ
ソ-ラン節に 頬そめながら わたしゃ大漁の 網を曳く
あれからニシンは どこへ行ったやら
かわらぬものは 古代文字 わたしゃ涙で 娘ざかりの 夢を見る
北海道を旅した時、小樽の鰊御殿を見学したことを思い出しました。
贅の限りを尽くしたまさに御殿でした。
私も小樽で鰊御殿を見学しました。
隠し部屋もあったり なかなか見応えありました。
富山の氷見には 鰤御殿ある(あったらしい)と聞いたことがあります。
小樽のニシン御殿をご覧になったのですね。貴重ですね。
私は観たことがないので調べたら、新聞記事の隣村、泊村の築100年のニシン番屋を移設したようですね。ニシン漁で働くやん衆たちの生活場だったとか。
私は礼文島のニシン番屋を利用した桃岩ユースに3連泊しました。
ニシン御殿をご覧になりましたか。今は休館中で残念ですが貴重でしたね。70年ぶりと言うことは老朽化に加え、忘れ去られて利用者も減少していたのかも。
富山のぶり御殿はぶりの漁法を開発した方の屋敷で国指定重要文化財ですね。機会があれば行ってみたいです。ありがとうございます。