あやべ福祉フロンティアの運転会員として、お世話になった佐々木信男さんが急逝され、曽根理事長と共に葬儀に参列させていただいた。
佐々木さんは大変まじめで気配りの行き届いた方で、フロンティアの主力メンバーとしてご活躍いただいており、本当に痛恨痛惜の念に堪えない残念なお別れだった。
佐々木さんが生前、僕のことをずいぶん期待し、奥様にもお話いただいていたようで、奥様とは初めてお出会いしたのだが、弔辞を読んでほしいとのご依頼をいただいた。
弔辞
故佐々木信男様のご霊前に謹んで弔辞を捧げます。
佐々木さん、私は今、まったく信じられない、信じたくないという思いで、この場に立たせていただいております。
佐々木さんとの最初の出会いは、まだそんなに遠い日のことではありません。停年退職を目前にされ、あやべ福祉フロンティアを訪ねていただいたのがその時でした。
「長い間、母親を一人で綾部に残しており、ずいぶん周りの方々にお世話になりました。停年になったら、何か綾部の皆さんにご恩返しできるボランティア活動はないだろうかと市役所に電話を入れ、それならフロンティアさんに行ってみたらと勧められまして…」とおっしゃり、私と曽根理事長の説明をメモをとりながら、熱心に聞いて下さいました。
過疎高齢化が進み、公共交通の便も悪い綾部市において、ボランティアの皆さんのお力で、高齢者や障害者の方々を病院や福祉施設に送迎していること。この活動には百名近いボランティアさんにご参加いただき、年間のべ四万人を送迎している全国最大規模の活動であることなどを説明しました。
ただし、ボランティアの方々にはガソリン代相当の実費はお渡しできますが、もちろん人件費は支払えないし、送迎車両もご自身の車で保険も自分でかけていただくということも説明させていただきました。
佐々木さんは「よくわかりました。インターネットでも曽根さんや四方さん達の活動を見せていただいており、自分の想いと一致することが今日のお話でよく理解できました。停年退職の日の翌日付で、あやべ福祉フロンティアの会員にならせて下さい」とおっしゃっていただきました。
しばらくして、フロンティアの事務所がある清山荘に行くと、青い活動ジャンパーを着た佐々木さんがおられ、「四方さん、今週からお世話になっています」と満面の笑顔で、胸に下がった会員証を誇らしげに見せて下さったのをまだ昨日のことのように鮮明に覚えています。
それからの佐々木さんは、高齢者や障害者の方々を病院に送迎し、車の中での会話を楽しみ、お年寄りからも大変人気のある有能なボランティアとして活動いただきました。他のボランティアが行きたがらない時間帯でも、率先して活動していただき、曽根理事長が最も信頼し、頼りにしていたお方でもありました。
お亡くなりになられた日の前日も、次の日の予定を受け取り、「また、明日」と爽やかな笑顔で事務所を後にされたそうです。
「現役時代には、若い部下たちに《仕事は段取り八分だよ》と指導してきましたから」とおっしゃり、自宅のパソコンにはゼンリンの地図を入れ、毎晩、迎えに行く家の場所を確認し、一日のスケジュールを頭に叩き込んでいるとも話しておられました。
短期間のうちに、綾部市内の様々な道を覚えていかれました。本当にまじめで、勉強熱心な方でした。
今年の一月、フロンティア中上林支部の新年会に佐々木さんにも出席していただきました。
佐々木さんは幼き日を中上林で過ごされました。
小学校に上がる前にお父様を亡くされ、お母様は一家を養う仕事を得るために、家族で豊里に移られたとお聞きしました。
新年会の席で、フロンティア中上林支部事務局の黒川住職が佐々木さんを皆さんに紹介されました。
佐々木さんのお父様、お母様、ご兄弟のことを中上林の皆さんはよく覚えておられて、懐かしい会話が弾んでいました。
帰りの車の中で、佐々木さんは「なにか胸にくすぶっていた想いが晴れました。自分の知らない両親の話も皆さんから聞かせてもらえて本当に良かったです」と大変満足気でした。
私が一年前、背水の陣で臨んだ府議選でも、熱心に応援して下さいました。
昨年暮れには、自民党綾部支部のパーティで石破茂元防衛大臣の講演を聞き、「私も自民党に入れて下さい」と入党していただきました。
三月二十四日の府政報告会にもお越しいただき、最前列の席でうなずきながら熱心に話を聞いて下さっていたお顔が忘れられません。
そんな佐々木さんとの、突然の、早すぎるお別れは、本当に残念で、さびしくてなりません。
ただ、一方で、真面目に、誠実に、そしていつも前向きに駆け抜けられた佐々木さんの人生に対しては、最大の賛美と拍手でお見送りしたいという気持ちでもいっぱいです。
現役時代には仕事に打ち込んで、ご家族を守られ、退職後は故郷綾部のために、その笑顔とやさしさで、福祉の活動に誠心誠意尽くされました。
あやべ福祉フロンティアの役職員、会員一同、また綾部市民を代表し、心からなる感謝を佐々木信男さんのご霊前に捧げます。
本当にありがとうございました。
こうしておやさしい佐々木さんの笑顔を前にするとき、お名残が尽きませんが、お別れの時間が迫ってまいりました。
これからは最愛の奥様、ご家族、また最後まで愛し、尽くしていただいた故郷綾部の未来を天国からお見守り下さい。
故佐々木信男様のご冥福を心からお祈り申し上げ、弔辞とさせていただきます。さようなら。ありがとうございました。
平成二十四年四月二十一日
NPO法人あやべ福祉フロンティア副理事長
京都府議会議員 四方源太郎
(3月24日の府政報告会。佐々木さんは写真左端)
佐々木さんは、長年、東洋佐々木ガラス㈱にお勤めだったので、戒名には硝子の《硝》の字を入れてほしいと、生前、お兄さんに話されたことがあったそうだ。《純篤硝信居士》という良い戒名をもらわれていた。
葬儀後、曽根さんと綾部に新しくできた町屋カフェに行った。
選挙前のあいさつ回りで、西本町を回っていて《喫茶まるみ》さんに寄ったとき、ある女の子がお客さんとして来られていた。その時は飲食店勤務だったが、いずれ自分のお店を持ちたいという話を聞いていたが、昨年12月からオープンされたそうだ。昼の日替わり定食は人気があるそうです。
川糸通にあり、《Mahalon(マハロン)》という名前で、美人姉妹(?)で経営されています。
市役所から歩いて数分なので、ぜひ一度、寄ってみて下さい。
夜は中筋商工繁栄会(福井信雄会長)の総会懇親会に出席。乾杯の音頭をとらせていただいた。
ここは昨年、府議に当選して一番最初にご案内をいただいた会でもあり、“乾杯デビュー”の場でもある。
終了後は、二次会に新福亭に誘っていただき、鳥ヶ坪の方々とお話させていただいた。
そういえば、昨年もこのコースだった。