6月に入り、1日㈮には4月の知事選の関係で遅れた府の人事異動が行われており「新年度最初の日」のような感じだ。
今日は舞鶴市の池田正義府議に誘っていただき、「雄島参り」にご一緒させていただいた。
「雄島」は「冠島」の別名でもあり、オオミズナギドリの生息地として知られ、通常は上陸が禁じられている。綾部からみると北東(鬼門、艮)の方向にある「雄島(冠島)」と「雌島(沓島)」は大本の聖地であり、「若狭湾に浮かぶ二つの無人島で、綾部から見て北東(艮-うしとら)の方角にあります。沓島には国祖・国常立尊(こくそ・くにとこたちのみこと。艮の金神ともいう)が、冠島にはその眷属の神々が、三千年の間、隠退されていた霊場です。明治時代に沓島・冠島開きが行われ、ご神霊が綾部の聖地に迎えられました」と説明されている。
大本の出口なお開祖、出口王仁三郎聖師ら一行5人は、明治33年(1900年)旧暦6月8日に、京都府舞鶴市沖の冠島(おしま)の老人嶋(おいとじま)神社に参拝し、さらに1ヵ月後の旧暦7月8日、開祖・聖師ら一行9人は冠島に並んで浮かぶ沓島(めしま)に参拝しており、そういう「聖地」を初めて訪れることができたのは本当に嬉しいことだった。
山田啓二前知事ともご一緒し、行きの車の中で山田前知事や池田府議にそういった綾部と冠島との関係を説明させてもらった。前知事も驚いておられ、池田府議も「そういえば、毎年、綾部から大本の人が参拝しておられるわ。なんでかな?と思っとったんや」とおっしゃっていた。
今回は三浜港から島に向かった。三浜、小橋、野原の三区が一年交代で当番をしておられて、今年は三浜が当番区だったそうだ。
海は荒れており、ジェットコースターに乗っているようだったが、開祖や聖師もこういうところを手漕ぎの小舟で渡られたのだろうか?と思いながら乗っていた。
船は冠島に近づき、ボートに乗り換えて次々と上陸した。「沓島(雌島)」も、よく見えた。
海辺の石の上を歩いて、老人嶋(おいとしま)神社へ。神社での祭礼に参列した。
祭礼の後は浜辺での直会になった。
約1時間の直会の後、再び船に乗って、三浜港に戻った。三浜港では三浜区の直会があり、また約1時間ほど、ご一緒させていただいた。
今回は池田府議のお誘いで、本当に良い経験をさせていただいた。聖地の気をたくさん浴びて、元気が出てきた気がする。多くの皆さんにお世話になり、ありがとうございました!