7日㈰、小源太が「こんな面白い小説はない!」と絶賛し「読んでみて」と貸してくれたのは、芥川賞受賞作「推し、燃ゆ」(著:宇佐見りん)。せっかくなので読んでみたが、昔から芥川賞の受賞作を読んでうまく理解できたことがない。
「推し」にお金と時間を捧げることで、自分のバランスを保っている高校生の内面を描いた小説だった。同じ高校生の心にはドンピシャ響いたのかもしれない。
午後から事務所に行き、夕方まで事務仕事や書類の整理。2月議会が終わったら、げんたろう新聞を復活させようかと、その構想を練ったり…。
夜は、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の最終回を観た。歴史が好きなので、もっと史実に忠実であってほしいといつも感じている。明智光秀について、これまでの「謀反人」と違う「仁義の名将」というイメージで描かれたことは良かったと思う。
出演者の急な交代やコロナの影響もあってか、前半の斎藤道三との絡みが濃厚だったのに対して、後半の「丹波攻め」「山崎合戦」など、京都府を舞台とする部分がほとんど描かれなかったのが残念だった。
本能寺の変に至る経緯は後半にあったと思うので、そこをもっと綿密に描いて欲しかったという声はネット上でも多数見受けられた。
光秀は徳川家康らと結託して織田信長を討ち果たしたが、想定外に早く戻ってきた豊臣秀吉によって滅ぼされた。その後は生き残って家康の側近、天海僧正として太平の世を導いた、という終わり方だっただろうか。
天海僧正の物として伝えられている「麒麟前立付兜」の「麒麟」が「麒麟がくる」というタイトルと一致するのと、この兜に付いている大きな月型がドラマの中で信長を討つことを家臣に話すシーンで、光秀の背後に大きく描かれていた月にイメージされていた。
本能寺に至る理由は様々あるだろうし、一つの理由ではないと思う。しかし、いつも疑問に思うのは、なぜ信長が光秀の動きを察知できなかったのだろう?ということ。
それは、光秀があの日、京に入った(近づいた)のは信長の命令に従ってのことだったから、としか考えようがない。信長は「家康を討て」との密命を光秀に与えたが、家康と通じていた光秀はこの情報を家康に流し、本能寺後の約束をして、逆に信長を討ったのではないだろうか。
しかし、光秀の裏切りに信長が備えていなかったのは考えにくい。信長が油断した理由は、家康を亡き者にしようという作戦が、光秀から信長に持ち掛けられたものだったからではないだろうか。
光秀の行軍は逐一、光秀から信長に伝えられており、「しめしめ、予定通り…」と寝ていたら、朝起きて、「俺かよ!?」ということになったのではないだろうか。策士、策に溺れる、と。