23日㈪、昨日、小説「じんかん」(今村翔吾著、講談社、2020年)を読み切った。500ページ以上もある大作の歴史小説で戦国時代の武将である松永久秀が主人公になっている。
小説の舞台が乙訓郡の西岡、山城国の宇治、和束、鷲峰山、大和国の多聞山城、信貴山城、丹波国の八木城、八上城など、身近なところが多かったので「読んでみよう!」と思ったが、長く積読していた。
作者の今村翔吾氏は京都府木津川市出身で、2022年に「塞王の盾」で直木賞を受賞している。それで「読んでみよう!」と思ったのだろう。
松永久秀は「悪人」のイメージが強く、戦国の世を生き抜くためとは言え、裏切りに次ぐ裏切りの人物だとイメージしていた。「悪事」としては、主家の三好家を滅ぼした、足利義輝将軍を殺した、東大寺を焼き討ちしたと言われているが、この小説ではそれには実は…という裏話で松永久秀のイメージを一変させている。
印象に残ったある部分を下記に紹介したい。
…あの時の(三好)元長も、(細川)高国のように口にはせぬものの、感じていたに違いない。天下を獲っても人間に蔓延(はびこ)る、恐れ、憎しみ、妬み、嫉みなどの様々な感情が渦を成して襲い掛かる。そして身を滅ぼすということを。故に元長は、
ー お主たちが自ら道を切り開くのだ。
と、政を民へ渡す道を選ぼうとした。民による民のための政である。だがそれを掲げて民に意を問う前に元長は(民である一向一揆に)滅ぼされてしまった。
いや仮に周知したとしても同じ結果ではなかったか。救われたい、富を得たいと願うくせに、自ら責を負うことを嫌う。そのような者が世の大半を占める。そこに武士や民の境などなかったのだ。今の三好家を見ていればそれがよく解る。敢えてそれに境を設けるならば、欲に忠実なる者が武士で、心に押し秘めているのが民といった程度のものである。
「本当のところ、理想を追い求めようとする者など、この人間(じんかん)には一厘しかおらぬ。残りの九割九分九厘は、ただ変革を恐れて大きな流れに身をゆだねるだけではないか」
「兄者は…」
「さあな」
昔ならば己は一厘でありたいと断言しただろう。だが今はそれが何になるのだという想いが胸に溢れている。人は太古より争いを繰り返している。たとえそれで人が天地から消え去ることになろうとも、それが己の代で起こらぬ限りは止めようとしない。赤子から老人まで人世の大勢はいつも、
ー 己の代には関わりない。
という無責任な考えで動く。このような愚かな生き物が止まるはずがないではないか。…
衆議院議員選挙、兵庫県知事選、政治の内紛やアメリカ大統領選挙、世界での戦争、いろいろと現代の出来事と重ね合わせて、感じるところの多い小説だった。
上記の会話の相手である松永久秀の実弟、松永甚助長頼は後に丹波国の守護代である内藤家を継承し、内藤宗勝と名乗って八木城を治めた。
何鹿郡(現在の綾部市)山家の豪族である和久氏は最初、内藤氏に従っていたが、後に離反した。そして、1800名の軍勢を率いて攻めてきた内藤宗勝を現在の下原町あたりで、和久左衛門佐吉政と下原の地侍である白波瀬肥前守忠次ら200名の住民が返り討ちにして、内藤宗勝を討ち取ったという伝説が地元には残っている。
内藤宗勝の墓碑も下原町には残っている。
※参考:2009年4月19日付blog「山家の城、釜輪の神事」
今日の挨拶回りは午前中、種清喜之市議と物部地区を回り、午後は後藤光市議と豊里地区を回った。
物部では「北陸新幹線」に関して、以前、鉄道ジャーナリストの北村幸太郎くんに書いてもらった記事をご覧になった方から「その通り!だと感激し、激励のメールを送ろうとアドレスを調べていたところだった」と喜んでいただいた。(その記事は下記です)
※「京都にメリットなし」 北陸新幹線延伸で、地元自民府議が「小浜ルート」に断固反対! 思わず「人気取りやめて」のホンネも
物部地区ではさらに昨年夏に越水した下市の犀川を視察。いまだ土嚢が積まれたままなので、今後、堤防のかさ上げ等の対策を急いでもらうよう京都府には強く求めている。
あやべMBTミーティングつながりで新たなお客さんになっている例も増えているようだ。栗町の「れいわオート」にはそういう人達が集まっておられた。
豊里の後は井倉、青野、川糸などを回りながら事務所に戻ったが、大きくてきれいな虹が空を渡っていた。