熊本を発って、新幹線で福岡に向かう。
福岡県議会で福岡県警から、迷惑防止条例の改正について(手りゅう弾を模したものを公共の場に置くことを禁止)、セキュリティホーム認定制度の2点について調査した。
福岡には道仁会という暴力団があり、そこから分かれた九州誠道会と激しく抗争しており、手りゅう弾事件も11件と全国でも断トツに多いという地域だ。
京都でも2件あるそうだ。
これで視察の日程を終え、新幹線で一路、京都へ。
夜は、綾部幼稚園PTA歴代三役会に出席。僕がPTA会長の時に、五代ほど前からの会長さん達で綾部幼稚園を支援するために作っていただいた会で、直前会長が呼びかけ人になることになっている。
今回は、僕の次の岸見さんとその次の村木伸ちゃんが呼びかけ人となり、2年分をまとめてやった。
先生方にもご参加いただき、今の幼稚園の状況なども聴かせていただいた。来年、再来年とうちも涼子と温二郎が続けて、綾部幼稚園にお世話になる。
朝、ホテルから桜島がよく見えた。
鹿児島を出て、宮崎に向かう。途中、休憩したPAからは霧島連山を望み、高千穂岳が見えた。(中央の霞んで見える山)
午前中は宮崎県警で、災害時の交通対策や滅灯しない信号機システム、信号機新設要望の一元化システムについて調査した。
午後は、今度は熊本に向かった。
熊本東警察署を視察。最近、新しくなり、県警の道場や留置場なども備える複合型警察署であり、災害時のための地下水ポンプや汲み取り漕を備えていた。
夜は熊本市内に泊まった。
警察常任委員会の副委員長である八幡市の中川貴由府議はお菓子用の栗の缶詰の製造会社を経営しておられて、宮崎県に栗の皮むき工場を持っておられる。「熊本県の栗の1割を買っていて、熊本市の名誉市民になっている」とおっしゃっていた。
話をしていて、「日本の中で、一番値段の高い栗がとれるところはどこですか?」と聞いたら、「それは、綾部だよ」と言っておられた。
中川先生に、綾部で栗の栽培と農業振興についての講演をしてもらうことを約束した。
来年度の《未来を語るセミナー》の講師が一人決まった。
11時から、綾部ライオンズクラブ(原田直紀会長)の50周年記念式典に出席した。
創設期からのメンバーとして表彰されていた松室医院の松室先生、山下石油の山下社長、粟賀司法書士事務所の粟賀先生とお話しする時は、いつも祖父・四方源太郎の名前が出てくる。
現在の原田会長は僕より4つ先輩だが同世代なので、それだけ綾部ライオンズの歴史は長い。
これからも地域のため、世界のために、さらなる貢献をお願いします。
14時半にパーティを終え、その足で綾部駅に向かった。府議会警察常任委員会の視察団が九州にすでに行っているため、これを追いかけた。
新大阪から九州新幹線が出ているとは知らなかった。新大阪から鹿児島まで4時間だった。
道中、長かったが、新幹線の中で三谷幸喜の《清須会議》を読み切った。
夜の10時過ぎに、鹿児島の城山にあるホテルに着いた。
朝8時半から、うちの事務所で会議。
昼には京都に行き、がんばろう日本!国民協議会の戸田政康代表と夕方まで懇談。戸田代表は岡山県真庭市富原地区の出身で、今度、富原の方々40名ほどが、あやべ福祉フロンティアに視察に来られるという話をしたら、真庭市の資料をたくさんくださり、予備知識を与えていただいた。
真庭市の太田昇市長やCLTなどで有名な銘建工業の中島社長ともほぼ同年で、最近、仲良くしておられるそうだ。来年2月に真庭市への視察に誘っていただいたのだが、2月は議会中で平日は身動きできないため残念だ。
その後、自民党府連に寄り、西村事務局長と会った。
夜は、台北駐大阪経済文化辦事處の蔡明耀総領事など、台湾の外交官や京都華僑総会の幹部の方々と会食した。
日本政府は台湾を国として認めていないが、自民党青年局は台湾政府との窓口として、以前から交流を重ねている。
昨夏、自民党府連青年局で台湾訪問をしたので、その時のメンバーの府市会議員5名が、9月に新しく就任された蔡総領事と懇談の機会をいただいた。
台湾の人たちは日本の統治下にあったことを決して恥ずかしい歴史だとは思っていない。統治下からの台湾人はむしろ、大陸から渡ってきた蒋介石らの方が虐殺事件などによる恨みがあるそうだ。「もっと日本人は自信を持って下さい」と言われた。
京都北部の自治体と台湾の大阪領事館とは付き合っているところがないようなので、綾部市との間をつなげて、北部に台湾からの観光客の増加を目指すことも良いのではないかと思った。
蔡総領事も「お招きいただければ、台湾の情勢などについてお話します」と気さくにおっしゃっていただいたので、ぜひそういう機会を作りたい。
午前中は葬儀に参列。お隣の角山さんのお母さんが亡くなられた。最後まで、家族に支えられながら、畑を耕し、孫との出会いを楽しみにして充実した生活を送っておられたことがよく分かった。
夜は、自民党綾部支部の役員会を開催した。
朝7時半に消防詰所に集合し、8時から実火災想定訓練があった。味方町の笠原神社が想定火点となり、訓練した。
10時からは、産業まつりの開会式に出席。各出店やB級グルメを回って、口上林の金比羅さんに参った。今年は佃町の桑迫三男さん宅が講元となり、大勢の方が参拝されていた。
このお祭りは、今から300年ほど前、領主の圧政に耐えかねた村人が3名の代表者を江戸に向かわせ、幕府に直訴したことに始まる。処刑された3人の義人に対し、以後1000年にわたって3義人をお祭りするという約束により、今でもしっかりと続けられている。
夜は、高校を出て以来、会っていなかった同級生と久しぶりに出会った。最近、FBで再会し、綾部にもちょくちょく帰ってきているので、一度出会おうということになった。
来年の1月2日に、二人で呼びかけ人になってクラス会をやろうと決めて会場も押さえた。
夜、波多野文義市議の後援会役員総会に山崎市長と共に出席し、ご挨拶させていただいた。
波多野市議の地元は中上林・奥上林であり、過疎高齢化の悩みもあるが、農林業が盛んで、「水源の里」「命の里」の事業も活発に行われている地域でもある。
波多野市議の市政報告では、府道1号線の改良、消防署の分遣所、猿の鳥獣害、小・中一貫校化などについて話をされた。
総会後は懇親会となり、皆さんから、いろいろな話を聞かせていただいた。
昼に《松寿苑まつり》に参加して、挨拶させていただいた。
毎年、社会福祉法人松寿苑(衣川久夫理事長)の市内各地の施設職員の皆さんと利用者が一堂に会して、趣向を凝らした出し物や模擬店で楽しんでおられるお祭りだ。
衣川理事長が挨拶の中で、新たに西部地区での小規模多機能事業所の開設に意欲を示しておられた。
荻野施設長からも今後の松寿苑の取り組みについてお話を聞かせていただいた。
午後は、府立農業大学校で河村能夫校長を囲んで、村上静史市議、安藤和明市議、㈱農夢の四方勝一社長と今後の綾部および中丹の農業について懇談した。
農大には《農大きずなサロン》というものもできており、今後、この地域の農業について、様々な人たちが勉強したり、語り合う場づくりの第一歩と言える会合だったのかもしれない。
11時から議会運営委員会に出席。12時半から自民党の議員団会議。
15時から、決算特別委員会が開かれ、採決が行われた。
16時からは四条河原町の街頭で、自民党府議団の府政報告会を行った。
今回は森林環境税導入について訴えた。
周りの人たちを考えてみてほしい。山下さん、山田さん、山口さん、森田さん、森本さん、森さん、木村さん、木下さん、松田さん、松下さん、楠さん、藤山さん、中山さん、大槻さん、林さん、小林さん、林田さん…日本人が昔から、いかに木や森や山と共に暮らしてきたのかを如実に表している。
その森林、林業を無視したら、いずれ手痛いしっぺ返しを食らうことになるだろう。
税金を納めている府民1人につき、年1,000円(月に90円弱)を上乗せさせていただくことで、11億円を超える新しい財源が生まれ、国費と合わせると約30億円になります。
これで現在60億円の府の林業予算が90億円に膨らみ、森林整備がスピードアップすることで、農村部の雇用拡大や活気につながると確信しています。
夜は「そして父になる」(福山雅治、尾野真千子など出演)という映画を観た。たまたま時間が合ったので選んだだけだったのだが、良い映画だった。
自分の家族や子ども達とダブって、最後は涙が止まらなかった。もっと子ども達と一緒にいる時間を作らないといけないなあと反省した。
昨日、大阪から来ておられた松山こーちょーとホンホンをホテルに迎えに行き、10時に私市円山古墳の《古墳まつり》に顔を出した。
11時、市民センターで開催されていた創価学会主催の《平和の文化と子ども展》を見学した。
その後、今年初めてマツタケ山に入った。
昨年発見した出現箇所からは出ていたが、以前に出ていたところからは全然気配がなくなっていて、今後が心配だ。
家に帰って、収穫できたマツタケで、お二人をもてなした。
二人とも大阪在住のIT技術者なのだが、「綾部のために自分たちのできることで手伝いたい」とおっしゃっていただいている。
以前にNPO法人綾部ITワークスの長岡治明副理事長に紹介して入会してもらい、今年度から松山こーちょーは理事に就任されたそうだ。
綾部に大阪の人たちで共同オフィス兼宿泊場所を借りたいとおっしゃっておられた。綾部と大阪の若い人たちとの交流を進めていきたい。