四方源太郎日記(京都府議会議員・綾部市選挙区)

これからの綾部のために、さらなる「挑戦」を!

年末の挨拶回り始める

2024年12月14日 | 政治活動

14日㈯午前中から、年末の挨拶回りを始めた。12月議会が終わってからでは、監査の日程が入っていたりして間に合いそうにないので、今日から始めた。

 まずは志賀郷地区へ。地元の本田文夫市議に同行していただいた。

 時折、強い雨も降ったが、何とか回ることができた。毎年、楽しみに待っていて下さって、ダルマストーブを囲んで話をするお宅も何軒かある。久しぶりに元気なお顔が見れると嬉しい。

 帰りに西八田地区の一部を回りながら事務所に戻り、午後は上林を回る予定だったが、朝に雪が積もっていて延期という連絡が朝に入っていた。事務所の近くを回ろうとしたら、それも強い雨が降ってきたので、やむなく今日はこれで終わりにした。

 事務所でブログ書きなどをしていたら、弟の耕治が綾部に帰ってきた。京都で友達の結婚式があったそうだ。

 事務所で近況をあれこれ話した後、夜は両親やうちの家族も一緒に、家で食事会。


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北陸新幹線整備に関する「請願」の対応

2024年12月13日 | 京都府議会

13日㈮昨夜は京都に泊まり、朝、ホテルでテレビをつけると参議院の予算委員会中継が行われていた。石破総理が「農業」問題に関して、立憲民主党の女性議員に答弁されていた。

 最近、予算委員会が始まって石破総理が答弁する姿を観て「石破総理は迫力がある」とか「堂々としていて良い」「田舎の人間は安定感に安心する」という声が巷でも聞こえるようになってきた。

 少数与党で苦しい立場ではあるが、野党の意見も取り入れて、国民生活を上向かせるように頑張ってほしい。

 「政治とカネ」問題はこのままだといつまでも追及されるので、裏金議員はまずは政倫審、その先では証人喚問にも応じて正直に告白し、自ら責任をとってもらうことを望む。

 

 11時から自民党府議団の政務調査会(藤山裕紀子会長)の勉強会に出席。テーマは「京都府における流域治水の取組」について。

 「何のために今、この課題なのか?」という声が聞こえていた。我々、議員の勉強会というのは「勉強する」のではなく、何かを「実現させる」ためにあると思っている。

 部局は進めたいが財政課が予算化を渋っている課題とか、府民や府内の団体から要望が上がっている課題とか、部局に予算をさらにつけさせたいとか、方針を変えさせたいとか、意義を明確にさせて、それを説明した上で呼びかけるべきだと思う。

 「流域治水」はもちろん重要な課題ではあり、すでに以前から京都府に要望し、一部は実現していて、もっともっと進めてほしい問題ではあるが…。

 


■北陸新幹線整備に関する「請願」

 12時半から議員団会議13時半から政策環境建設常任委員会に出席した。

 最初に議案の採決を行った後、請願審査が行われた。

 二之湯真士府議が提出された「北陸新幹線整備に関する請願」については紹介議員が降りられ、賛同者がなく、不採択となった。

 私にも11月末に二之湯府議から「紹介議員になってもらえないか?」という依頼があったがそれはお断りした。

 たしかに11月11日に自民党府議団が知事に出した「北陸新幹線小浜京都ルートのルート再考」を求める要望書に続いて、20日に無断でそれが修正されたものが再提出されたようだ。

 「自民党府議団の真意が分からない」と二之湯府議がおっしゃる気持ちは理解できるが、自民党府議団の荒巻隆三代表幹事が議員団会議においても、マスコミ取材に対しても一貫して、「11月20日の文書は議員団での手続きを全く踏んでいない単なる内部のメモが流出してしまったものだ」と明言されているし、私も「11月11日の要望書だけが自民党府議団の要望書だ」と考えている。(昨日、西脇知事が「二度目の要望書も要望書と認識している」と記者会見でおっしゃったようだが、それは知事の「優しさ」だろう)

 そのため、「今は請願を出して議員団をバラバラにするのではなく、一致結束して11月11日の要望(ルート再考)実現に団を向けていく方が得策だと思います」と二之湯府議には説明した。納得はしてもらえなかったが、請願よりも議員団全体の要望書に重みがあると考えての判断だった。

 その後、片山誠治府議が紹介議員になられて請願は受理された。片山府議がそのまま紹介議員として委員会で説明をされるのなら、前向きに検討しなくてはいけないと思っていたが、「総合的判断」によって片山議員が紹介議員を降りられ、不採択とすることの党議拘束もかかったので議員団の意向に従った。

 もちろん、今も二之湯府議との友情には変わりがないし、北陸新幹線のルート再考を目指す立場は同じだと思っている。

 府民の皆様には混乱や誤解を生じさせる結果になり、そのことは自民党府議団の一員として大変申し訳なく思っております。

 

■京都府知事、京都市長が与党PTのヒアリングを受ける

 京都府知事と京都市長、大阪府知事の与党PT(座長:西田昌司参議院議員)によるヒアリングは朝8時から9時で行われたようで、それは報道されている通りです。

 それぞれの首長さんが「現時点では現行の小浜京都ルートでのOKは出せない」といくつもの懸念点を示されました。全く常識的なお話です。これを聴いてもなお現行ルートを強行するというのは日本国民を泥沼にはめていくことです。

 


■PFAS問題の徹底調査と対策を!

 請願審査の後は総合政策環境部の所管事項の質問となり、私はPFAS問題に関して質問した。

 綾部市内では1年以上前に高濃度のPFASが検知され、地元の皆さんはそれに振り回され、今でも何度も会議を開くも国や府の対応がハッキリせずに困り切っておられる。

 全国各地でも同様のPFAS検知のニュースが流れるが、綾部での濃度はそれよりも高い。それなら綾部での発生源を徹底して調査し、これ以上、全国で被害が広がらないような対策を取れないものなのか?と要求した。

 もともとPFASは海外で人体に良くないという研究結果などが出て、世界的に規制が強まってきたので、数年前から日本でも調査が始まってきたものではあるが、日本でゼロから調査しなくても海外の調査結果を参考に日本での対応が決められないのか?

 綾部市では飲用水には影響がないが農作物や川の安全が危惧されている。農作物が「危うい」と思うのなら「規制すべき」であって、「安全」なら「安全だ」と明言してほしい。「結局、そういう国の曖昧な態度のしわ寄せは、何の非もない住民の皆さんに押しつけられている」と強く述べた。

 

 夕方、綾部に戻り、夜はNEXT(今川信吾代表)の忘年会に出席。ここ数年、欠席ばかりだったが、今年はロータリークラブの忘年例会が1日ずれたために出席できた。

 オスキーニを会場に、周りの店から中華料理やカレーなどをテイクアウトして、10数人で雑談して過ごした。


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北部割引

2024年12月12日 | 京都府議会

12日㈭昨日まで数日留守にしていたので、朝は事務仕事やブログ書きなどをして、車で京都に向かった。

 12時半から議員団会議。13時半から政策環境建設常任委員会(宮下友紀子委員長)に出席。

 審査依頼議案で様々な手数料や料金の値上げの議案が出てきて、府立医大附属病院でも個室専用料、文書料、駐車場使用料等が値上げされるようだ。

 共産党議員が「利用者の意見を聴いたのか?」としつこく言っていたので、私は「値上げは受益者負担の考え方から一定やむを得ないところはあるし、利用者に聴いたら、そりゃ値上げしてほしくない、と言われるに決まっている。そういうことではなく、経営的な観点で必要な料金は利用者からもらって施設維持に充てるべきだと思う」と述べた。

 ただし、府立医大附属病院の駐車料金については「遠方まで来なくてはいけないし、交通の便が悪くどうしても車で来なくてはいけない京都府北部の住民には『北部割引』をつくってもらいたい」と要望した。

 また、駐車場が狭くなって駐車スペースの確保ができないことも多く、「高齢者が多く、周辺の地理に不案内な北部住民には予約制とかそういうことはできないのか?」とも述べた。

 

 公舎会(村長:四方源太郎)を開催した。12月の公舎会はいつもの正副知事、正副議長、総務部長、議会事務局長、同次長に加えて、各会派の団長、代表幹事、財政課長もお招きして開催している。

 次の日に北陸新幹線に関して、与党PTの京都府知事に対するヒアリングがあるため、知事は途中退席されて、東京に向かわれた。理事者や各会派の皆さんと北陸新幹線についても話をしたが、「積極的に現行ルートを進めるべき!」という意見は聞かれなかった。

 今日は北部府議での二次会がなかったので、終了後には別の会合のお招きがあり、そちらに合流した。


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12月議会が続く

2024年12月11日 | 京都府議会

10日㈫烏丸御池あたりのホテルから歩いて府庁へ。

 午後に本会議で一般質問。議会終了後、京都アリーナのことについて再度説明を受けるが、さらに質問して資料を求めた。

 夜は京都にて会食。京都泊。

 

11日㈬今朝もホテルから歩いて府議会へ。昼に京都アリーナの再々度の説明を聴き、とりあえず了承した。

 北陸新幹線に関して、13日の与党PTによる京都府知事へのヒアリングは「延期」と説明されていたが、どうも実施されるようだ。これからも様々な団体等から「慎重に」と求める要望書が出るとの話も聞く。

 「意見を聴かせてほしい」と、マスコミからの取材も何件か入る。讀賣テレビから取材依頼の連絡があり、議会後に受けることを承諾した。

 

 12時半から議員団会議13時15分から本会議で追加議案の上程と一般質問。

 日中友好議連(兎本和久会長)の総会および懇親会を東華菜館にて。薛剣駐大阪総領事や名誉友好大使の皆さんにも出席いただいた。

 副会長として乾杯の発声をさせてもらった。途中退席して、最終の特急で綾部に帰った。


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児童相談所による「誤認保護」を質問

2024年12月09日 | 京都府議会

日㈪朝から電車で京都へ。11時45分から文化力と価値創造に関する特別委員会の正副委員長会に出席。12時半から議員団会議。

 午後本会議で一般質問。トップバッターで登壇した。質問は、児童相談所による「誤認保護」について。

 質問の要旨は下記の通り。

 平成30年の福知山児童相談所における誤認保護は、裁判所の調査で虐待の事実が認められず、一時保護から8か月後に児童が両親の元に戻るという事態になったが、児童相談所による一時保護に関し、次の諸点について、知事の所見を伺いたい。

(1)保護者等が一時保護された子どもと面会する権利を保障することは、子どもの安全を守るためにも必要と考えるが、現在、一時保護から保護者と子どもが面会できるまでにどのくらいの日数がかかるのか。また、今後、保護された子どもとの面会を求める保護者等に対して、どのように対応するのか。

 

【知事答弁要旨】

 一時保護は、子どもにとっては養育環境の変化により、精神的にも大きな不安を伴うとともに、親子分離が長期化すれば親子関係の再構築に課題を残す可能性もございますことから、


・援助方針の決定を慎重かつ速やかに行い、一時保護の期間を必要最小限とする
・保護者との面会通信制限は、こどもの安全の確保が図られ、かつ、一時保護の目的が達成できるまでの必要最小限とする

など、子どもへの影響に十分に配慮する必要がございます。

 京都府の児童相談所において一時保護した子どものうち、保護解除後に保護者のもとに帰宅した子どもの一時保護日数は、令和5年度で平均20.4日となっておりますが、保護解除後に児童養護施設等に入所する場合も含め、引き続き、子どもへの影響が最小限となるよう努めてまいりたいと考えております。

 京都府といたしましては、一時保護中においても子どもの権利を守ることとしており、

・これまでから、仮に面会制限を行う場合でも、子どもと保護者に対し、やむを得ず制限を行う理由を十分に説明し、理解を得るよう努めますとともに、
・国の制度改正に先行して、令和5年度から、児童相談所から独立した「意見表明等支援員」を配置し、子どもの意見を勘案して児童相談所との連絡調整が行える仕組みを構築してきた

ところでございます。

 今後は、「意見表明等支援員」と子どもが接する機会を増やすなど、継続的な信頼関係の中で、より意見表明しやすい環境づくりを進め、こどもの人権に配慮した一時保護の運用に努めてまいりたいと考えております。

 

 今回の質問はこれ1点に絞り、他にも健康福祉部長から答弁があったが、答弁に納得いかない部分もあり、初めて「再質問」も行った。

 健康福祉部長とのやり取りは改めてご報告いたしますが、詳しくは京都府議会HPから録画放送でもご覧いただけます。

 1年間は視聴できますので、ぜひご覧ください。議事録は数ヶ月後に公開され、こちらは永久に保存・公開されます。

 

 日韓議員連盟(渡辺邦子会長)の総会および懇親会を天壇にて。

 韓国駐大阪総領事や韓国民団の議長などもお招きして開催された。韓国での戒厳令事件のことは皆さん心配しておられたが、今夏の京都国際高校の甲子園優勝の話題は盛り上がっていた。

 京都泊。


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随筆集「くりっぷ」100号記念の会

2024年12月08日 | アート・文化

日㈰今朝は電車で大阪へ。伯父の阿部淳六が平成12年(2000年)から世話人として続けてきた随筆集「くりっぷ」の「100号記念の会」がリーガロイヤル大阪で開催されたので、当初から事務局を務めてきた立場で参加した。

 集まったのは10数人の同人や関係者の皆さん。初めてお出会いする方、数十年ぶりの方が多かったが、文章を通じての関係がここまで続いてきたことに敬服する。伯父は住友金属に長く勤めたので、その仕事関係の方が多かっただろうか。

 また、すでに亡くなったもう一人の伯父、四方洋が主宰していた日比谷一水会という異業種交流会のメンバーも当初の同人には多かった。私は大学を出て東京の洋伯父の下で働いていた時に日比谷一水会の事務局を務めており、会員の皆さんには大変かわいがっていただいた。わずか2年弱の東京生活だったが、その内容は濃密で、今でも当時のことをいろいろと思い出す。

 今日もお話をしていると思い出してきて、あの人、この人、とお世話になった方々が今は亡くなられたり、音信が途絶えていることに寂しくなって、涙が出てきそうになった。

 第1号は私の手元にはなぜかないのだが、伯父のところには残っていたので、今日見せてもらった。11名の同人のうち、6名は残念ながら鬼籍に入られた。

 途中からほとんど書かなくなったが、最初のうちは毎回投稿していた。第1号には「源太郎という名前の力」という文章を載せていたようだ。

 今回の100号にも久しぶりに投稿した。随筆集「くりっぷ」はこの100号をもって、区切りをつけることになった。始めた頃は淳六伯父も60代半ばだった。私は20代だった。同人の皆さんもそれぞれ高齢になられ、100号が良いタイミングなのだと思う。

 しかし、無性に寂しい。こんな想いになることは滅多にないのだが、自分の若かった日々が終わってしまったようでもある。

 さようなら、くりっぷ!本当にありがとうございました。記録として、100号に載せた原稿をここに掲載しておきます。

『源点』くりっぷ100号に寄せて

四方 源太郎
 
 私の手元に「大正五年正月 冬休日誌」という古い冊子がある。「本科三年、四方きく枝」と署名があるので、それは伯父の洋、淳六、そして父八洲男の母である祖母が女学校時代に書いたものだろう。
 冬休みの毎日の様子が克明に記されており、「重要記事」「一般記事」「反省録」などと内容が仕分けしてある。
 たとえば、十二月二十八日火曜日の「反省録」には「祖母に『女が包丁で怪我をする程、恥なるはない』とつねづねより承りぬ。不注意なりしは明かなれど一つは俎の下に物のはさまりゐてガタガタ動くをも忙しさに忘れてそのままにしゐたるより起りき…」などと書いてある。
 祖母は女学校を卒業してすぐに祖父に嫁ぎ、戦前戦後の何もかもが欠乏していた時代に十人の子どもを産み育てた。伯父の洋が書いた作文を祖母が丁寧に添削した原稿用紙が昔、蔵から出てきたことがあったが、そこから見えてきたのは子どもの教育に熱を込め、厳しく育て上げようとする「教育ママ」の姿だった。
 祖母は子どもや孫から届く手紙や作文を読むのをとても楽しみにしていたと伯父や父から聞いている。子ども達は皆、「おかあちゃん」が喜ぶ顔を思い浮かべて近況をつづり、せっせと手紙を出していたことだろう。

 この祖母の影響もあったのだろうか、洋伯父は新聞記者となり、生涯「書く」ことを仕事とした。私は大学卒業後、洋伯父に東京での仕事を用意してもらい、その下で2年弱働いた。自分が書いた文章を添削してもらったり、伯父の文章をテキスト入力したりすることもあった。
 伯父が私の文章の語尾や順番を少し変えるだけで、急にのびのびとした文章に変わっていくのはマジックのようだった。新聞記者独特の漢字使いで、我々が漢字にするところもひらがなで書いていたが、あれほど柔らかく、速く、洒脱な文章を書く人に私は出会ったことがない。私にとっては「文章の神様」だった。
 東京時代には文章だけでなく、人との付き合い方など、様々な勉強をさせてもらったことを思い返して感謝している。

 一方、淳六伯父には「書く」イメージがなかった。その淳六伯父が現役を退いてしばらくした頃、随筆集「くりっぷ」をやりたいと相談があった。
 「原稿用紙をコピーしてクリップで止めたくらいの簡単なもので、印刷というようなものでなくても良い」と言われたが、当時、印刷デザインの会社を始めた頃だった私は、編集ソフトを使ってそれらしい冊子を作り、伯父に喜んでもらった。
 失礼を承知でいうと、淳六さんの文章力は「くりっぷ」によってどんどん上がり、洋さんとは違った意味で味のある面白い文章を書かれるようになったと思う。
 淳六さんは洋さんと逆で、我々がひらがなで書くところも漢字にされる。漢字になると意味や語源がはっきりしてくるし、文章の裏付けとなる知識の豊富さとしつこいほどの調査力には感心させられる。
 山が好きで山に登る人に様々なルートや登り方があるように、洋さんと淳六さんは違った手法ながら、結局は同じように「読むことも書くことも大好きな人」だった。そしてその二人の根っこには同じく「読むことも書くことも大好き」だった祖母がいるのだと思う。
 「くりっぷ」100号の記念に何か書こうかと考えた時、「くりっぷ」「淳風」、読み切れないほどのたくさんの文章を渡す淳六さんと「淳六が書いてくれた!」とそれを嬉々として受け取る祖母の姿が思い浮かんだ。
 淳六さんは「おかあちゃん」に喜んでもらおうと、たくさんの文章を書いた、「くりっぷ」への愛情、熱情はそこから来ていたのかもしれないな、とその時に思った。

 私は「くりっぷ」のことは事務所の田中久美さんに全てお任せで長らく投稿もしていませんでしたが、時々、校正をすることで、同人の皆さんのこれまでの経験やお考え、様々なエピソードを楽しく読ませていただいていました。
 久しくお出会いしていない方、出会ったことがない方もほとんどですが、皆さんが本当に「読むことも書くことも大好き」なことは、その文章やいただくお便り等から強く伝わってきていました。
 「くりっぷ」100号、おめでとうございます!皆さんとの良い思い出、文章を通したつながりができたことに心から感謝いたします!そして、本当にありがとうございました。


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種清市議の議長退任報告会へ

2024年12月07日 | 議員活動

日㈯午前中綾部中学校野球部の現役とOBとの試合を観戦した。少し見ないうちに1、2年生は成長し、堂々と3年生と渡り合っていた。

 温二郎は残念ながらヒットは打てなかったが、セカンドや外野、ファーストなど、いろいろなところを守り、何人もがピッチャーをして3年生チームは楽しんでいた。

母子鷹」で小学4年からお疲れ様でした。高校ではどうするのか分かりませんが、何事にも頑張って下さい。

 

 下市公民館にて、種清喜之市議の後援会主催による「議長退任報告会」に出席した。

 四方勝一後援会長の開会挨拶の後、本田太郎代議士、山崎善也市長も出席され、挨拶された。

 種清議員はまだまだ若い40才。議長退任後も綾部市議会の中心的議員として活躍されることを期待しております。

 報告会の後後援会青年部の田中雄作くんの発声で乾杯し、懇親会に。最後は私に種清くんを紹介していただき、第1回目の市議選挙の際には選対に入っていただいていた玉川弘信さんの挨拶で締めくくられた。

 二次会にも参加し、初めて物部の「やま吉」という居酒屋に。こういう店が綾部の農村部にもあることは嬉しい。店は満席になるほど賑わっていた。


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北陸新幹線問題で取材を受けた記事が掲載される

2024年12月07日 | 議員活動

日㈭朝から電車で京都へ。天気も良く、二条駅から歩いて府庁へ。

 12時半からは議員団会議に出席。代表質問の質問要旨が配られたが、北陸新幹線のことに誰も触れないことになっていたので「どういうことですか?」と質問した。

 「13日にあると言われていた与党プロジェクトチームによる西脇知事へのヒアリングが行われないことになったので、今は質問のタイミングではないという判断になった」という説明だった。

 報道や様々な情報が錯綜している。「13日に京都府知事へのヒアリングをするという報道を目にしていたが、それが延期になったんですね。まあ分かりました」と、とりあえず了承した。

 午後本会議で代表質問。

 

日㈮朝は歯医者へ。詰め物をかぶせてもらった。まだしっくりしないが、うまく馴染んでほしい。

 朝、京都新聞に「小浜ルート『再考』請願」という記事が掲載された。二之湯真士元府議が片山誠治府議(自民、南丹市・船井郡)を紹介議員として府議会に請願を出されたとのこと。

京都新聞2024年12月6日付「京都市長選で敗れた元自民府議が北陸新幹線『小浜ルート』案再考求め請願『府議団の姿勢分かりにくい』」

 どういう請願なのか、まだ内容は見ていないが、府議団が出した要望書と同じ内容だという話も聞くので、それなら他会派の議員が自民党からの要望に対してどういう姿勢を示されるのか、興味あるところでもある。私の所属する政策環境建設常任委員会に付託されることになるので、内容をよく精査したい。

 

 12時半から議員団会議。13時から代表質問。

 終了後、綾部に戻り、18時半からの綾部市スポーツ協会(小寺哲朗会長)の納会に出席した。最後の「三本締め」の役割だったが、今年は「ガンバロー三唱」で締めた。

 

日㈯先日、来綾して取材をしてくれた鉄道ジャーナリストの北村幸太郎くんが「Merkmel」に記事を掲載してくれたようだ。

参考:2024年11月22日付blog「鉄道ジャーナリスト北村幸太郎くん、来綾」

 

記事:「京都にメリットなし」 北陸新幹線延伸で、地元自民府議が「小浜ルート」に断固反対! 思わず「人気取りやめて」のホンネも

 

 独特の北村くんらしい言い回しはあるが、おおむね話したことの趣旨を捉えて書いてくれているように思う。

 いろいろとご意見はあると思いますが、こういった意見をもう少し幅広く出し合うため、北陸新幹線敦賀以西については「ルートの再考」を望みます。


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中丹東土木事務所に綾部環状道路の要望

2024年12月04日 | 議員活動

日㈬10時、府道広野綾部線及び綾部環状道路改良促進協議会(長野幸富会長)から中丹東土木事務所の細井浩一所長以下、幹部の皆さんへの要望活動に同席した。

 広野綾部線は由良川左岸の綾部市では山家地区を通って、綾部地区に至る府道であるが、野田町の野田踏切から並松町に向かっての最終区間が拡幅できていない。

 そのため道路を上げて井根山をトンネルもしくは高架で通り抜けて、寺町の市街地を都市計画道路で抜けて田野町、そして中筋地区の安場町、上延町で府道福知山綾部線の鳥ヶ坪交差点につなげる計画を要望している。

 現在は田野町から安場町、上延町にかけてをバイパスと道路拡幅で改良する事業を進めている。

 今日は詳しい図面も見せてもらいながら、事業の今後の進捗について説明を受けた。用地買収がうまく進んで、早く目に見える工事が始まることを望んでいる。

 

 11時半頃から約1時間、「げんたろう新聞」を配りに。今日は宮代町や上野団地など。

 13時15分からは綾部中学校学校運営協議会(会長:四方源太郎)に出席。5時間目の授業を参観した後、約1時間、委員の皆さんと綾部中学校の現状と課題について話をした。

 帰りに先日、ペンキ画家のSHOGENさんの指導で描かれた運動場の大階段のペンキアートを見てきた。

 並松町商店会(古和田功蔵会長)の忘年会に出席し、年明けの初ゑびす大祭での甘酒接待の打ち合わせなど。


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「げんたろう新聞」を配りに

2024年12月03日 | 議員活動

日㈫もう冬だが、まだ秋のような。日が昇ると暖かい。庭先も冬というよりも晩秋の雰囲気。

 今日は終日、綾部にいるため、午前中は相談のための訪問や財政課とやり取りして一般質問の原稿修正。

 午後は何件かの来客。合い間に「げんたろう新聞」を配りに行った。宮代、明知、大島東、井倉新町団地などへ。

 途中、相談事の電話がかかってきたため、いったん事務所に戻って対応。

 夕方は書類の整理など。

 夜は19時から正暦寺の合同役員会に出席する。早いもので、もう1月末の不動明王大祭が迫ってきた。その準備等をお願いしなければならない。


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12月府議会開会~一般質問は9日に登壇~

2024年12月02日 | 京都府議会

日㈪10時過ぎ事務所を出て京都へ。途中、和知町の村上商事のガソリンスタンドでガソリンを入れたら、今月は「たんともカード」で10円引きだからか、1リットル148円と久しぶりに140円台だった。

 

 12時半から議員団会議、13時15分から本会議。12月議会が今日から始まり、知事から議案の上程があった。本会議後は全員協議会に出席。

 京都アリーナ(仮称)の33年で348億円という巨額の債務負担行為が議案に上がっており、先日の議員団会議ではザクっとした数字の説明しかなかったので、詳細の数字(何にいくらかかるのか?これから30年間の毎年の京都府の負担金額、その財源捻出方法など)について、さらなる説明を求めている。

 

 今議会では久しぶりに一般質問に登壇することになっている。今回の質問は「児童相談所の誤認保護について」の1点で、質問日は一般質問初日の12月9日㈪1番目13時15分から約30分です。

 ※12月議会一般質問者と主な質問内容

 京都府議会HPでインターネット中継(数日後から1年間ほどは録画放送も流れます)はありますので、ご覧ください。

 

 昨年から児相問題の全国議連に参加するようになり、情報交換や勉強をしてきて、一時保護に関するトラブルが多く存在していることを知った。児童相談所は「絶対善」ではなく、「間違えて保護する場合もある」という前提に立って、速やかで慎重な調査や事業の評価・検証が求められていると思う。

 今回の質問は「綾部」に関することではないが、京都府や国全体の子どもと親を守るために問題提起したいと考えており、あえて1問にして西脇知事にもこの問題を認識していただこうと思っている。

 下記はこれまでの児童相談所問題の質問や全国議連の活動など。

参考:2024年8月11日付blog「児童相談所のあり方を考えるシンポジウム第二弾」

参考:2024年3月17日付blog「児童相談所の真実を語る会 IN 名古屋」

参考:2024年1月27日付blog「児童相談所のあり方を考えるシンポジウム IN 東京」

参考:2023年11月4日付blog「児童相談所の真実を語る会」

参考:2023年6月25日付blog「児童相談所のあり方を考える地方議員懇談会」

参考:2022年2月14日付blog「京都府『新たな条例により、児童相談所に対する第三者の評価・検証を導入する』」


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大相撲京都場所の打ち上げ

2024年12月01日 | イベント参加

121日㈰10時前の特急で京都へ。11時過ぎから少し遅れて、大相撲京都場所実行委員会(桝本頼兼実行委員長)の締めの会議と懇親会に出席した。今年も無事に黒字で終了できたとのことだった。

 日本相撲協会からは立浪親方(元小結・旭豊)に出席していただいた。来年秋は大相撲のロンドン巡業があるため、国内での巡業は中止とのこと。京都場所はできても再来年になるようだ。

 収益の中から、京都府内で相撲部のある日吉ヶ丘高校、鳥羽高校、嵯峨野中学校、深草中学校に激励金が贈呈された。各校の相撲部員は京都場所で幕内力士相手に稽古をつけてもらったそうだ。

 懇親会は京都市議の今枝徳蔵先生の相撲甚句あり、ビンゴ大会あり、カラオケありで大いに盛り上がった。

 終了後は実行委員や事務局の方々との二次会、三次会にもお付き合いし、最終の特急で綾部に戻った。


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