現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

山岡鉄舟のピストル

2010-06-07 14:11:53 | 虚無僧日記
もう数年ほど前だが、虚無僧姿で、東海道の興津から薩埵
(さった)峠を越えて由比に抜けた時のことである。一軒の
古い旅館があった。門前で尺八を吹いていると、老婦人が
「お茶でもいかがですか」と中に招じ入れてくれた。

なんと室町時代から続く宿で、屋号は「藤屋」。離れは
ここから富士が望めるので「望嶽亭」として、浮世絵にも
描かれている宿だった。「ご主人が亡くなり、今は営業は
していないが、訪れる人には中を公開している。どうぞ
見ていってくれ」というので上がらせてもらってビックリ。

「山岡鉄舟のピストル」というのが展示されていた。なんと
このピストルは、ナポレオン皇帝から徳川慶喜に贈られた
もので、慶喜から鉄舟に下賜されたものだそうな。フランス
製10連発銃。そんなものがなぜここに?。婦人の説明に
よると、山岡鉄舟は、静岡にいる西郷隆盛に会うため薩埵
峠まで来たところ、官軍に遭遇し、追われて、ここ藤屋まで
戻り、主に助けを乞うた。事情を察した主は、山岡を匿い、
漁師に変装させて、秘密の通路から舟で清水の次郎長の元
まで送り届けた。その時、刀とピストルも置いていった。
後日、明治になって山岡鉄舟は再度この藤屋を訪れ、窮地を
救ってくれた主に感謝し、「ピストルは平和な世となった
ので不要」と、置いて行ったとのこと。

この由比の藤屋は、まさに「江戸無血開城」を成し遂げるに
価値在る歴史の宿だったのだ。


山岡鉄舟に学ぶ

2010-06-07 03:58:00 | 政治家
『倫風』誌7月号の「宏話」は、「山岡鉄舟」について、
いかに倫理的で、武士道に生きた人だったか、を知る。

「Wikipedia」によれば、官軍が東征してくる中、駿府へ
向かい、西郷隆盛と面談して、江戸無血開城に向けて、
条件を提示して、西郷の合意を得、勝海舟と西郷隆盛の
会談のお膳立てをした。まさに「気づき即行」。

しかし、勝海舟が江戸無血開城を自分独りの手柄と吹聴
したのに対し、山岡は、己の果たした役割を誇ることは
しなかった。まさに「己の善を語りません」。

山岡鉄舟は「剣・禅・書」を極めた。

特に書を良くし、人から求められて書いた「書」は15万点
以上という。しかも、亡くなる前の8ヶ月、病床にあって、
「これが最後、絶筆」と云いながら10万1380枚。扇子4万本の
揮毫をした。その数の受取書が残っているそうな。毎日
4~500人の人が病床に押し掛け、揮毫を求めたことになる。
揮毫の謝礼はすべて貧乏で困窮した者に惜しげもなく与えた。

各人が、お礼として1万円を置いて行ったとしたら、15億円だ。
人気タレント以上の超人気の秘密は、山岡鉄舟の“人徳”。

西郷をして「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は
始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し
遂げられない」と賞賛させたというが、金も名誉も要らない
はずだ。

そんな生き方に憧れる。