もう数年ほど前だが、虚無僧姿で、東海道の興津から薩埵
(さった)峠を越えて由比に抜けた時のことである。一軒の
古い旅館があった。門前で尺八を吹いていると、老婦人が
「お茶でもいかがですか」と中に招じ入れてくれた。
なんと室町時代から続く宿で、屋号は「藤屋」。離れは
ここから富士が望めるので「望嶽亭」として、浮世絵にも
描かれている宿だった。「ご主人が亡くなり、今は営業は
していないが、訪れる人には中を公開している。どうぞ
見ていってくれ」というので上がらせてもらってビックリ。
「山岡鉄舟のピストル」というのが展示されていた。なんと
このピストルは、ナポレオン皇帝から徳川慶喜に贈られた
もので、慶喜から鉄舟に下賜されたものだそうな。フランス
製10連発銃。そんなものがなぜここに?。婦人の説明に
よると、山岡鉄舟は、静岡にいる西郷隆盛に会うため薩埵
峠まで来たところ、官軍に遭遇し、追われて、ここ藤屋まで
戻り、主に助けを乞うた。事情を察した主は、山岡を匿い、
漁師に変装させて、秘密の通路から舟で清水の次郎長の元
まで送り届けた。その時、刀とピストルも置いていった。
後日、明治になって山岡鉄舟は再度この藤屋を訪れ、窮地を
救ってくれた主に感謝し、「ピストルは平和な世となった
ので不要」と、置いて行ったとのこと。
この由比の藤屋は、まさに「江戸無血開城」を成し遂げるに
価値在る歴史の宿だったのだ。
(さった)峠を越えて由比に抜けた時のことである。一軒の
古い旅館があった。門前で尺八を吹いていると、老婦人が
「お茶でもいかがですか」と中に招じ入れてくれた。
なんと室町時代から続く宿で、屋号は「藤屋」。離れは
ここから富士が望めるので「望嶽亭」として、浮世絵にも
描かれている宿だった。「ご主人が亡くなり、今は営業は
していないが、訪れる人には中を公開している。どうぞ
見ていってくれ」というので上がらせてもらってビックリ。
「山岡鉄舟のピストル」というのが展示されていた。なんと
このピストルは、ナポレオン皇帝から徳川慶喜に贈られた
もので、慶喜から鉄舟に下賜されたものだそうな。フランス
製10連発銃。そんなものがなぜここに?。婦人の説明に
よると、山岡鉄舟は、静岡にいる西郷隆盛に会うため薩埵
峠まで来たところ、官軍に遭遇し、追われて、ここ藤屋まで
戻り、主に助けを乞うた。事情を察した主は、山岡を匿い、
漁師に変装させて、秘密の通路から舟で清水の次郎長の元
まで送り届けた。その時、刀とピストルも置いていった。
後日、明治になって山岡鉄舟は再度この藤屋を訪れ、窮地を
救ってくれた主に感謝し、「ピストルは平和な世となった
ので不要」と、置いて行ったとのこと。
この由比の藤屋は、まさに「江戸無血開城」を成し遂げるに
価値在る歴史の宿だったのだ。