現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

岩手の方からメール

2011-04-06 11:23:58 | 虚無僧日記
4/1「窃盗事件も起きている」ことをブログで書いたら、
岩手の方から このようなコメントをいただいた。

「尋常でも起きている事が、この非尋常性のなかにある今、
犯罪が起きている事を指摘するのはいかがなものでしょうか。
それよりもその様な行為を、この大惨事のなかにおいて、
不眠不休で未然に防ごうとしてる人たちや、また やむを
得ず 犯罪行為を行う人の心に触れてみてはいかがでしょうか」。

その通り。中日新聞の「今日の運勢」に「あなたの心の中にも
善と悪がある。他人の非を暴き立てないように」とあった。

先のブログで書きたかったことは、実は・・・。
「朝起会」の学びの中で、「落ちているものを拾うと、後で
心の葛藤を招く。だから、落ちているものを見ても、拾わずに
立ち去るのが良い。拾うか、拾わぬかで、その人の人生の
明暗を分ける」というのがあった。

そうだろうか、自分ならどうするか と自問自答してみた。

津波で 船も家も車も押し流されていく映像の中に、ATMの
ボックスが流されていくのを見た時、私は「ああッ、あれは
誰かが見つけて、中の現金を盗るだろうな」と思った。それは
自分なら、そうしたいという思いでもあった。そして後日
4,000万円が 抜き取られていたニュース。「ケシカラン奴」と
いう思いと「うまくやったな」という二つの心が湧く。

現金でなく、冷蔵庫があったら、私も中を開けて食料を盗る
だろう。使えるものがあったら、失敬するだろう。あの状況では
そのくらいなら許されるだろうとの思いも湧く。だが、それでも
犯罪は犯罪。窃盗事件として扱われるという報道に ビビッた。

自分の心の中に「善玉と悪玉」がある。いついかなる時でも
「悪」を抑え「善人」になりきれるか、そう自問自答している。

被災者への保険金支払い

2011-04-06 10:44:07 | 社会問題
16年前の阪神大震災の時の、保険証券1件当たりの支払い
保険金額は450万円と意外に少なかった。高齢者が多かった
ためでもある。もっとも一人4件入っていれば、1800万となる。

今回の東日本大震災でも義援金が多く集まっているが、
これをどのように分配するのか 見えてこない。阪神大震災
でもそうだった。まだ何億円も残っているという。

合理的、数理的に公平に分配する制度が「保険」だ。
生命保険に加入していれば、今回の災害でも、日本生命などは、
すでに 迅速に支払いを開始している。「保険証券」など
無くても、コンピューターで確認できれば 支払うという。

問題は、両親が亡くなられた場合、親が どこの保険会社と
契約していたのかも判らないだろう。全保険会社だけでなく
簡易保険や各種共済にも問い合わせなければならない。

セールスマンが介在していれば、その扱者が新聞掲載の
死亡欄などを丹念に証左して、遺族の方と連絡をとる。
扱者がいない場合でも、その所轄の営業所ごとに、確認
作業を行っている。

外資系保険会社やインターネット加入では、そこまで
やってくれるだろうか。「セールスマンへの報酬手数料が
無い分 安い」と宣伝してきたが、割高分はこういう場合の
安心料なのだ。

保険金があれば、被災地を離れ、新天地で再起を図れる。
何も心配 要らぬこれも「明と暗」分かれるところか。



保険制度こそ公平な分配

2011-04-06 09:50:39 | 虚無僧日記
福沢諭吉は、幕末に欧米を視察して、慶応3年(1867)
『西洋旅案内』を著述し、その中で「災難請合の事」として
損害保険を、「人の生涯を請合う事」として生命保険について
紹介している。

これによって、福沢門下の阿部泰三が 明治14年に明治生命を
創業した。その後、日本生命、第一生命、千代田生命が、
相次いで創設された。

明治38年、日露戦争のさなか、夏目漱石は『吾輩は猫である』を
発表し、その中で 早くも「生命保険」について言及している。

ある日、クシャミ先生の所に 生命保険のセールスマンがやって
きて、生命保険の加入を勧めるが、クシャミ先生は『わしは
死なぬ、死なないから 入る必要はない』と断る。

それを聞いていた奥さんが姪に愚痴る。「ウチだって 貯金は
無し、子供は三人もあるし、せめて 保険にでも はいって
くれると心丈夫なんだけど」と。そこで 姪が一計を案じ、
おじさんに、「保険なんてバカバカしい。およしなさい」と
云うと、天邪鬼なクシャミ先生「いや保険は必要なものだ」と
言って、ついに 入る約束をしてしまう。

夏目漱石は、保険の発祥の地イギリスに留学しており、
「生命保険は必要なもの」という視点で書いているのだ。

それから120年。ようやく保険は一般化したが、それでも
「地震保険」の加入率は30%未満。生命保険については
未だに クシャミ先生と変わらぬ考えの人もいる。
保険制度は「助け合い」を合理的に公平に科学的に制度化
したものだ。



戦後の名古屋の復興、そして今

2011-04-06 04:35:28 | 社会問題
名古屋市内には、100m道路が2本、東西と南北に走り、さらに
50m巾の幹線道路が9本も走っている。これは、戦後の復興に
尽力した「田淵寿郎」氏が 強力に推し進めたものだった。

車など まだ少なかった時代に、「田淵寿郎」氏は、50年後の
人口を200万人と想定し、モータリゼーション時代を予測して
いたのだ。当時は、「そんなもの必要無い」と猛反対があった。

田淵氏の構想は、市内279カ所の全墓地を平和公園に移転し、
市の 20% を道路と公園にするというもの。墓の移転など
根強い反対にあったが、田淵氏は地主を説得して廻った。
道路だけでなく、地下鉄や港湾整備など都市計画事業を推進
完成させた。

「トヨタ王国」とも云われる名古屋市の繁栄は、田淵氏の
強い信念に基づくものであると云われている。

名古屋人の底力はすごい。空襲で破壊された市役所、公会堂
などの公共建物を市民の力で、いち早く改修復元している。

御園座は、「一刻も早く市民に娯楽を」と、終戦からわずか
2年で再建され、歌舞伎の公演が行われているのだ。この他
にも、名古屋では、昭和22年には、琴や三味線、日舞、能、
バレーなどの公演が復活している。さすが「芸どころ」名古屋だ。

テレビの放映が始まった昭和28年には、100m道路の真ん中に
テレビ搭を建設することとし、翌昭和29年6月19日に完成
させている。これは東京タワー(昭和33年)より早い。日本で
最初で最古のタワーである。

名古屋城の天守閣も、市民の寄付により 1959年(昭和34年)に
再建され、金鯱とともに名古屋市のシンボルとなった。そして
今、本丸御殿の復元が推進されている。

敗戦後の焼け野原からの復興には、軍国主義の抑圧から開放
された喜びと 明るい未来があった。今回の震災は、「こんな
時に」と、娯楽は顰蹙(ひんしゅく)をかい、「緊縮、自粛、
節電、節約」と、社会全体が“ 萎縮ムード ”である。
物資は戦後の荒廃期よりはるかに豊富にあるのにだ。