現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

夏目雅子の死は放射能?

2011-04-22 21:40:29 | 虚無僧日記
「田中好子」の夫が夏目雅子の兄とは知らなかった。
ついでに「夏目雅子」について検索してみた。

「東京女学館の小学校から、中、高を経て短大に進んだが、
TV.CMに出たことで中退になった」とある。私の記憶
では、カネボウ化粧品のポスターで、水着姿で足を開いて
立ったポーズが、当時としては大変ショッキングで話題と
なった。東京女学館は私の妻も通っていた。おカタイお嬢様
学校だから、「水着姿で、しかも 足を広げて立つなんて
とんでもない」という理由で 退学になったと 聞いていた。
まだ、そんな時代だった。

NHK大河ドラマ『おんな太閤記』では「お市の方」役で。
1983年の『徳川家康』では「淀君役」で出演している。
がなんといっても、1982年の『鬼龍院花子の生涯』で、台詞の
「なめたらいかんぜよ!」が 流行語となるほど、話題に昇った。

人気絶頂の 1985年2月、「急性骨髄性白血病」に罹り、
7カ月後の9月急逝した。


2チャンネルの噂話だが、
「夏目雅子は 1978年に『西遊記』のロケで中国の砂漠に行っている。
その当時、中国は その地区で盛んに核兵器の実験をやっていた。

札幌医科大の高田純教授が発表した論文によれば、「1964年より
中国は 新疆ウイグル自治区で 32年間に46回、22メガトンの
核実験を行っている。世界ウイグル会議ラビア・カーネルの発表に
よると、一連の核実験で被災し、死に至ったウイグル人は 75万人
と言われている。NHKの「シルクロード」が放送されて、それに
憧れ、現地を訪れた日本人が 推定84万人。日本人も多くが被爆
している可能性がある」という。

2チャンネルの無責任発言では「夏目雅子も その放射能に汚染
されて白血病になった」と。

とととと、私も去年「楼蘭」まで行ってきた。たしかに、草木
1本もない砂漠だった。あれは放射能汚染のせいだったか???

田中好子(スーちゃん) 逝く

2011-04-22 14:33:45 | 虚無僧日記
夫・小達一雄さん「治してあげたかった」(サンケイスポーツ) - goo ニュース

今朝 一番の話題は、「キャンディーズ」の「スーちゃん」こと
「田中好子」さんが乳がんで亡くなったことだった。55歳。
1992年に 乳がん が見つかり、10年の闘病生活の末だそうな。

「もうすぐ春ですねぇ、恋をしてみませんか」の『春一番』は、
春先には“ 一番 ”人気の歌だった。

1986年の 日本テレビ 年末時代劇 『白虎隊』で「山本八重子」を
演じた。山本八重子は、砲術師の家に生まれ、会津戦争では、
女だてらに 大砲をぶっ放し、ヤーゲル銃を担いで、男共を率いて
夜間のゲリラ戦を展開した。田中好子は、そんな女傑のイメージ
とは ほど遠かったが、最後、落城の前夜、天守閣の壁に、

「明日よりは いずこの誰か 眺むらん なれしお城に 宿す月影」

の一句を刻むシーンでは泣けた。録画していたビデオテープが
120分で切れ、田中好子の顔のアップで終わっており、その顔が
強烈に印象に残っている。

尚 山本八重子は 明治になって 兄の山本覚馬を頼って京都に行き、
新島襄と結婚、京都の町の復興と同志社の設立に尽力している。
その山本八重子を 田中好子が 演じていたのだ。


夫の「小達一雄」氏は、なんと 夏目雅子の実兄とか。夏目雅子も
27歳で急性骨髄性白血病で亡くなっている。美人薄命。


儒学者のたしなみだった「琴」

2011-04-22 10:26:27 | 虚無僧日記
<菅原道眞>作『秋思の詩』

 丞相 年を度(わた)って 幾ばくか 楽思(らくし)せる
 今宵 物に觸れて 自然に悲しむ
 聲は 寒き 絡緯(らくい) 風の吹く處
 葉の落つる梧桐 雨の打つ時
 君は 春秋に富み 臣は 漸く老いたり
 恩は 涯岸(がいがん)無くして 報ゆる猶 遲し
 知らず 此の意 何が安慰せん
 酒を飲み 琴を聽き 又詩を詠ず

私の好きな詩だ。この最後の「酒を飲み 琴を聽き」を
「琴を弾じ」と覚えていた。「琴を聴く」というのだから、
誰かが琴を弾いて、道真に聞かせたのだ。琴を弾いたのは
誰だろう。美しい女性を想像したくなるが、ここでいう
「琴」は、我々が今日 目にする 13絃の「箏」ではない。
「7絃の琴(キン)」のことだ。

「琴(きん)」は「瑟(ひつ)」とともに『詩経』にも見られる
古い弦楽器で、孔子やその門人たちが 好んで奏でていた。

孔子は諸国漫遊の折にも 琴を携えており、「詩に興り、
禮に立ち、樂に成る」(『論語』泰伯第八)と説いた。
「学者の進むべき道として、詩を学び、禮を学び、その後に
音楽を学んで、初めて“ 徳 ”を 成就することができる」と
言うのだ。

陶淵明は、琴を奏でるのが苦手だったか、「無弦の琴」を
愛蔵して、酒に酔うとこれを奏でるかのように玩んだという。

このような琴の流行は、中国では南北朝時代に最高潮になり、
やがて衰退するが、日本では、江戸時代になって朱子学の
興隆とともに、儒学者の間で、文人の嗜(たしな)むべき
随一の楽器とされていたのだ。

実は、私の先祖に「琴の名人」がいた。「武」一点張りの
会津藩で「お琴とは軟弱」と、長い間、思っていたのだが、
牧原直亮は「半陶」と号する儒学者だった。江戸「昌平校」に
学び、その講師も勤めていたようだ。「半陶」とは「陶淵明の
半分にも及ばす」と謙遜しての号だった。

儒学者たちが弾いた「七絃の琴」。その現物も曲も楽譜も
現代では途絶えてしまっている。ザンネン