4/10 日曜日朝8時、NHKラジオ「音楽の泉」を
聞いていたら、なんと「筝曲の『六段の調べ』は、
グレゴリオ聖歌の『クレド(私は神を信じます)』と
全く同じだ」という。そして、『六段』と『クレド』を
重ね合わせた演奏を放送していた。
ギョギョギョのギヨ~。えッえッえ~?!だ。
何が一緒なのか。メロディもキィも音階も違う。全く
別の曲を同時に掛けているようなもので、頭が変に
なりそうだった。同じリズムで延々と10分。「はい、
最後ピタリと同時に終わりましたね」。
つまり「拍数が同じ」というだけだ。『六段』は
1段が52拍子で構成されている。
ラジオの解説では、「キリスト教の伝来とともに、
洋楽器や聖歌も伝わり、1600年頃には、日本では
1万人くらいの人が聖歌を歌っていたのではないか。
『六段』を作曲した人は、教会で賛美歌の伴奏を
箏で演奏していたのでは」などとも口ばしっていた。
なるほど、「教会の音楽」が日本に伝来し、広まっていた
という説には耳を傾けたい。『六段』の作曲者とされる
八橋検校は「筑紫善導寺の僧・法水」から筑紫流箏曲を
学んで、半音を含む「平調子」の曲『六段』を作曲した。
そして、殿上人の前で演奏するが、時の公家たちは、
聞きなれない音階に、一様に不快感を示したという。
九州地方は、特にキリシタンが多かった。聞きなれない
音曲が忽然と創られたという点でも、グレゴリオ聖歌の
影響というのは考えられる。
ただし、今の『六段』が、「江戸時代初期に八橋検校が
作曲した」という確証は無いし、曲も随分変化してきている
と云われている。現代の『六段』と「グレゴリオ聖歌」が
合ったとしても、400年前の曲とは違うのだ。
聞いていたら、なんと「筝曲の『六段の調べ』は、
グレゴリオ聖歌の『クレド(私は神を信じます)』と
全く同じだ」という。そして、『六段』と『クレド』を
重ね合わせた演奏を放送していた。
ギョギョギョのギヨ~。えッえッえ~?!だ。
何が一緒なのか。メロディもキィも音階も違う。全く
別の曲を同時に掛けているようなもので、頭が変に
なりそうだった。同じリズムで延々と10分。「はい、
最後ピタリと同時に終わりましたね」。
つまり「拍数が同じ」というだけだ。『六段』は
1段が52拍子で構成されている。
ラジオの解説では、「キリスト教の伝来とともに、
洋楽器や聖歌も伝わり、1600年頃には、日本では
1万人くらいの人が聖歌を歌っていたのではないか。
『六段』を作曲した人は、教会で賛美歌の伴奏を
箏で演奏していたのでは」などとも口ばしっていた。
なるほど、「教会の音楽」が日本に伝来し、広まっていた
という説には耳を傾けたい。『六段』の作曲者とされる
八橋検校は「筑紫善導寺の僧・法水」から筑紫流箏曲を
学んで、半音を含む「平調子」の曲『六段』を作曲した。
そして、殿上人の前で演奏するが、時の公家たちは、
聞きなれない音階に、一様に不快感を示したという。
九州地方は、特にキリシタンが多かった。聞きなれない
音曲が忽然と創られたという点でも、グレゴリオ聖歌の
影響というのは考えられる。
ただし、今の『六段』が、「江戸時代初期に八橋検校が
作曲した」という確証は無いし、曲も随分変化してきている
と云われている。現代の『六段』と「グレゴリオ聖歌」が
合ったとしても、400年前の曲とは違うのだ。