現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

筝曲「六段」はグレゴリオ聖歌のパクリ?

2011-04-11 23:47:17 | 虚無僧日記
4/10 日曜日朝8時、NHKラジオ「音楽の泉」を
聞いていたら、なんと「筝曲の『六段の調べ』は、
グレゴリオ聖歌の『クレド(私は神を信じます)』と
全く同じだ」という。そして、『六段』と『クレド』を
重ね合わせた演奏を放送していた。

ギョギョギョのギヨ~。えッえッえ~?!だ。
何が一緒なのか。メロディもキィも音階も違う。全く
別の曲を同時に掛けているようなもので、頭が変に
なりそうだった。同じリズムで延々と10分。「はい、
最後ピタリと同時に終わりましたね」。

つまり「拍数が同じ」というだけだ。『六段』は
1段が52拍子で構成されている。

ラジオの解説では、「キリスト教の伝来とともに、
洋楽器や聖歌も伝わり、1600年頃には、日本では
1万人くらいの人が聖歌を歌っていたのではないか。
『六段』を作曲した人は、教会で賛美歌の伴奏を
箏で演奏していたのでは」などとも口ばしっていた。

なるほど、「教会の音楽」が日本に伝来し、広まっていた
という説には耳を傾けたい。『六段』の作曲者とされる
八橋検校は「筑紫善導寺の僧・法水」から筑紫流箏曲を
学んで、半音を含む「平調子」の曲『六段』を作曲した。
そして、殿上人の前で演奏するが、時の公家たちは、
聞きなれない音階に、一様に不快感を示したという。

九州地方は、特にキリシタンが多かった。聞きなれない
音曲が忽然と創られたという点でも、グレゴリオ聖歌の
影響というのは考えられる。

ただし、今の『六段』が、「江戸時代初期に八橋検校が
作曲した」という確証は無いし、曲も随分変化してきている
と云われている。現代の『六段』と「グレゴリオ聖歌」が
合ったとしても、400年前の曲とは違うのだ。






田母神(たもがみ)姓は福島

2011-04-11 23:13:58 | 虚無僧日記
会津藩のことを調べていて、会津藩士に「田母神」姓を見つけた。
珍しい姓だ。ひょっとして と「田母神俊雄・元幕僚長」を検索
してみた。

ギョギョギョのギョ~。福島県出身。1948年生まれ。私と同じ。
福島県郡山市田村町の山村地帯に「田母神地区」があり、
「田母神小学校」もある。彼はその小学校の出身とのこと。

ここは「坂上田村麻呂」の母の出身地と言われているそうな。
「たむらまろ」の母を祀る神社が「たもらまろがみ」???。

おっかない顔つきに似合わず、ジョー句好き。
背が低いコンプレックスを「私に足りないのは慎重さではなく
“身長”なんです!!」「私はもうどんなに叩かれても、体は
小さくなりませんから 大丈夫です」と笑い飛ばす。

講演会でも、一、二度は笑いをとろうと、落語を聴いたり、
日頃たゆまぬ努力をしているそうな。これも私と同じだ。
何か親しみを感じてきた。危ない危ない。

「田母神俊雄」で検索すると 89,000件もヒットする。すごい
人気だ。だが中身は 50-50 で 賛否両極に分かれる。

私もブログでいろいろ叩かれるが、田母神氏よりは ましかな。