現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

藤田東湖の死

2011-04-28 12:06:55 | 虚無僧日記
私の先祖が書き残した日記では、地震や水害、火事などの災害、
火の玉などの怪奇現象などが、結構の頻度で書かれている。

その「日記」には、「安政2年(1855)の江戸大地震では 死者
10万4,000人」となっているが、実際は「4,000~1万4,000人」ぐらい
だったようだ。風聞が誇大に流れていたとも受け止められる。

また「水戸藩の藤田東湖が、牢獄で獄死した」という記述がある。
これは 解せない。

藤田東湖は、水戸斉昭の懐刀だったが、弘化元年(1844年)
斉昭が謹慎処分を受けた時、共に失脚し、江戸屋敷に幽閉されて
いた。しかし、嘉永3年(1850年)には 水戸に戻ることを
許され、同5年(1852年)には処分を解かれ、翌嘉永6年(1853年)
ペリーが浦賀に来航し、徳川斉昭が海防参与として幕政に参画
すると、藤田東湖も江戸藩邸に召し出され、幕府海岸防禦御用掛
として再び斉昭を補佐することになる。安政元年(1854年)には
側用人に復帰している。

翌 安政2年(1855)、安政の大地震の際、母を救おうとして、
落下してきた梁(鴨居)の下敷きとなって圧死した。享年50。
藤田東湖の「自分の命に代えて 母を守った」という美談は、
最近、新聞、雑誌などで よく取り上げられている。

というわけで、東湖が幽閉されていたのは 10年も前の話だった。
何ゆえ「獄死」という噂が流されたのは 不可解である。

この9年後の元治元年(1864年)藤田東湖の遺児「藤田小四郎」が
武田耕雲斎らとともに「水戸天狗党の乱」を起こし、越前敦賀で
捕えられ刑死している。

安政2年、会津藩でも、上屋敷、中屋敷が倒壊した。さらに、
江戸湾に築かれた「第二台場」の警備にもあたっていて、お台場の
建物も崩れ、出火して、中に居た人たち 50人が 脱出できずに
焼け死んだ。大砲が邪魔して出れなくなり、火災で死ぬよりはと
中で 切腹して果てた者もいたという。



「安政の地震」を予言した高島嘉右衛門とは

2011-04-28 11:32:32 | 地球人類の問題
安政2年(1855)の江戸大地震では、大地が鳴動したり、地下水が
湧きだしたり、光の玉が天空を飛んだり などの予兆現象が見られた
という。

ペリーの来航など、政情不安もあって、易の卦を立てた人物がいた。
材木商の 高島 嘉右衛門。卦で「震災、火災」を見立てた彼は、
材木を大量に買い付け、その1月後に「江戸大地震」が起こり、
大儲けをした。

明治の世となっても、彼は「卦」で占い、鉄道事業・旅館経営
などで成功した。そして、政財界の人とも交流ができ、よく
「卦」を頼まれた。伊藤博文の「死」も予言したという。

彼の占いの的中率は抜群であったため、「易聖」とまで言われたが、
彼自身は「占い」で金銭を得ることはしなかった。

「その名も『うらなひ』と云ふが故に、決して金銀等の謝礼を
受けず、神易を以て神明に通信するを本分の職務とするときは、
人の信用浅からざるべし。」
まさに「占い」は「売らない」人だったのだ。

だが、彼の「占い」があまりにも有名となり、「易占」といえば
「高島」となって、今日「易高嶋」「高島易断」と、彼の名を
かたった団体がいくつかあるが、いずれも高嶋嘉右衛門とは
関係ないそうだ。

そういえば、毎年「高島易断の運勢暦」が 贈られてくるので、
信用していたが、詐欺事件で問題を起こしていたっけ。

「占」を金儲けにすれば「人の信用失うべし」だ。


安政大地震と老中阿部正弘

2011-04-28 09:10:47 | 虚無僧日記
ペリーが来たのが嘉永6年(1653)。「たった四はいで夜も眠れず」
天地ひっくり返る騒ぎで、政情不安。そこで「安泰な政治を願って」と
翌年「安政」と改元された。ところが ところが、「安政」とは名ばかり、
「安政」年間は「安政の大地震」に「安政の大獄」と大変な時代だった。

それを取り仕切ったのが、老中「阿部正弘」。25才で「老中」に
なったのだからすごい。内憂外患の国難の中、彼の政治家としての
評価は、まっぷたつに分かれている。

「ペリーの要求にも のらりくらり、時間稼ぎで、決断を後回しに
した。列藩諸侯に広く意見を求めたため、かえって百家争鳴。
尊皇攘夷の過激派を台頭させ、徳川幕府の滅亡を早めた」というのが
大方の評価だ。

だが、あの時代、水戸の徳川斉昭を筆頭に、幕閣の要人も列藩諸侯も、
草莽の士もおしなべて「攘夷、攘夷」一辺倒だった。世論が「攘夷」に
沸く中、「外国と戦っても、とても勝ち目がない」という冷静な判断に
基づき、戦いを避けることに粉骨砕身した その見識と信念は評価すべき
ものがある。水戸の斉昭を懐柔するための、あの手この手、水面下の
裏取引など、なかなかのものだ。


平成の未曾有の大震災。復興に向けて、日本人の心はひとつに
なりかけているのに、民主党だけが仲間割れして、足の引っ張り
合いをしている。孤立化する「あら菅首相」。安政の「阿部正弘」と
比較して見てしまう。総理が「阿部真三」だったら、同姓で、
もっと面白いかったかも?。


註:「あら環」=アラフォーが40歳前後に対して、「アラかん」は
  「還暦(60歳)前後」。菅直人君を「空き菅」とも人は言う。