現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

着物の下は ノーパン

2011-04-20 11:39:21 | 虚無僧日記
避難生活で 「1週間も2週間も 着の身 着のまま」とは、
一日に2、3度は風呂に入り、下着を取り替える 私には
耐えられない。

避難者の要望のトップが「下着類」。こればっかりは「古着」
とはいかない。どれだけ 新品が 供給されたのだろう。

下着が届けられても、体育館などの避難所では、着替える
場所もない。洗濯物を干す場所もないというのが ストレスに
なっているらしい。

ならば、下着なんか着なければ・・・という虚無僧からのご提案。

エスキモーは、毛皮の下は素っ裸だそうだ。「なんでか」。
「極寒の地では、洗濯ができないし、外に干せないから」だ。

そう、私は、真夏に一週間ほど 虚無僧の旅に出る。
アンダーシャツは、汗でグショグショになって、着ていても
気持ち悪い。そして脱ぐのも大変。なんでこんなもの着る
必要があるのかと、着るのをやめた。テトロンの肌襦袢と
着物だけで十分なのだ。着物は脱ぎやすい。テトロンは
すぐ乾く。公園の水道などで洗って、そのまま着ていても、
そのうちに乾くのだ。

さて パンツ。これは、何枚も持って歩くわけには いかない。
洗って木に干すわけにもいかない。以前「紙パンツ」を
用意していったが、これを捨てるゴミ箱が無いので困った。

そこで・・・、「クラシック・パンツ」。(ホントに この名で
売っている)。つまり 昔の「越中ふんどし」に注目。

でも、紐なんて無くてもいい。要するに「晒し」1本あれば
いいのだ。「晒し1本 腹に巻いて・・・・」。 これなら、木に
干していても、褌とは気づかれまい。

ところで、ご婦人方も、つい ひと昔前までは、着物の下は
ノーパンだった。今は どうなってるのかは シリません。

そう、結論は、ノーパンが、汚すこともなく、干すことも
無く、一番いいのだ。

ど素人が造った原発?

2011-04-20 10:33:01 | 虚無僧日記
福島原発の内部の写真が公開された。こんなに
メチャクチャに破壊されているとは思わなかった。
作業員が 1,000人近くもいて、その大半が下請け、
孫請けというのも驚き。震災の時、現場にいた
作業員の証言も、想像を絶する。

元原発作業員だったという人たちの内部告発が
ボロボロ出てきている。中日新聞でも、(4/15付)
福島原発他の建設に加わったという菊池洋一氏の
「格納容器底に小便」という記事が載った。
いちいち作業服を脱いで2階のトイレまで行くのが
めんどうなので、中で小便をするのが常態化して
いたという。「鉄板は やがて腐食するだろう」とか、
「設計どおりには 嵌まらず、現場で適当に判断して
やった」とか「工事ミスは、クビになるのを怖れて
報告せず」など、驚くべき証言だ。

ネットでも、平井憲夫氏が実名で『原発がどんな
ものか知ってほしい
』という詳細な報告をしている。
すべては未知のことで、実際に作業をする人は
95%まるっきりの素人。お百姓や漁師の出稼ぎの
人だから、経験も知識も無く、針金を1本落として
も、それがどんな重大事故を招くかの怖さを知らないで 
作業している。

作業の点検をする検査官も素人。行政改革で余った
農水産省の役人で 昨日までお米や養蚕の指導をして
いた人や、ハマチ養殖の指導をしていた人が「専門
検査官」として赴任させられてきた。彼らは溶接の
仕方も知らないで、「検査合格」の判を押してきた
という。

今も、ハローワークで、原発作業員の求人広告が
出ている。「日当9,000円~11,000円。“ 経験不問 ”
とある。(私でもできますか?)

痴愚に帰れ (親鸞)

2011-04-20 04:12:29 | 五木寛之
4/18 中日新聞『親鸞』五木寛之

「痴愚に帰れ、それは無理なこと。人はいったん身につけた
ものを捨てても、何も持たなかった者になることはできない」

「それは たとえば、富者がその財を捨てて 乞食になっても、
“ 昔 富者だった乞食 ” でしかない」ということですか。

「自分は今、痴愚のふりをしても、過去は消えない。それどころか、
人に四書五経を教え、智恵者のような顔をして 日々を生きている。
恥ずかしいかぎりです」


ウ~ム。今の私の姿 そのものだ。
「もとリッチ」は、「今 無一物の虚無僧」となっても、過去は
捨てきれず、生活も心も 以前より 豊かだ。

海の底に憧れながら、もぐることもできず、海面に浮いて
助け舟を 期待している自分。ああ、いやだ。親鸞は どう
対処するのだろう。