先日、NHK「音楽の泉」で、「六段とグレゴリオ聖歌の
クレドが完全に一致する」という話が放送された。日曜の
朝とあって、邦楽家の方も何人か聞かれていたようだ。
「六段とグレゴリオ聖歌」で検索すると、800件以上も
出てくる。が、大半は CDの紹介。今年3月30日に
日本伝統文化振興財団から発売されていたのだ。それで、
NHKラジオでも 旬の話題 として取り上げられたか。
CDタイトルは『 筝曲「六段」とグレゴリオ聖歌「クレド」』
副題は「日本伝統音楽とキリシタン音楽との出会い」
箏の演奏は 「野坂操壽」。 解説と指揮は「 皆川達夫 」
「皆川達夫」で検索すると 1,000件以上もあり、バロック音楽や
グレゴリオ聖歌だけでなく、謡曲など日本の音楽にも造詣が深く、
すごい人気の高い先生と判る。なんと「慶応高校の講師」も
されていたとのこと。私が進学する前年に辞められている。
さてさて、箏曲の「六段」がグレゴリオ聖歌の「クレド」と
同じだという説。両曲を同時に演奏したCDを聞いた人は、
皆一様に「すごい、ぴったり」「全く同じだ」と感動している。
が、私の耳がおかしいのだろうか。私には、とても同じには
聞こえない。「『六段』の伴奏で『クレド』を歌ってみて
ください」とお願いしたら、ホントに歌えるのだろうかと
思うのは私だけか?。
そもそも、江戸時代初めに『六段』があったかも疑問なのである。
当時、あったとしても、曲調は現代のものと全然ちがっていた。
それは、信州松代藩に伝わった「八橋流筝曲」の伝承者「真田志ん」
さんの『六段』や「琉球箏」の「六段菅垣」、そして「糸竹初心集」
に記載された譜面から、当時の『六段』がどんなものだったかを
検証する必要がある。琉球の『六段』が原型ではないかという説も
ある。琉球の『六段』は「呂音階」で「平調子」ではないとも。
つまり、現代の『六段』と比較しても意味がない。たまたま
拍子数が一致したというだけでしかない。
ただ 言えるのは、「近世になって突如『平調子』という
ミファラシドの音階が生まれる。この音階が、グレゴリオ聖歌の
影響ではないか」というこを、もっと検証してもらえれば、
私も納得がいく。
クレドが完全に一致する」という話が放送された。日曜の
朝とあって、邦楽家の方も何人か聞かれていたようだ。
「六段とグレゴリオ聖歌」で検索すると、800件以上も
出てくる。が、大半は CDの紹介。今年3月30日に
日本伝統文化振興財団から発売されていたのだ。それで、
NHKラジオでも 旬の話題 として取り上げられたか。
CDタイトルは『 筝曲「六段」とグレゴリオ聖歌「クレド」』
副題は「日本伝統音楽とキリシタン音楽との出会い」
箏の演奏は 「野坂操壽」。 解説と指揮は「 皆川達夫 」
「皆川達夫」で検索すると 1,000件以上もあり、バロック音楽や
グレゴリオ聖歌だけでなく、謡曲など日本の音楽にも造詣が深く、
すごい人気の高い先生と判る。なんと「慶応高校の講師」も
されていたとのこと。私が進学する前年に辞められている。
さてさて、箏曲の「六段」がグレゴリオ聖歌の「クレド」と
同じだという説。両曲を同時に演奏したCDを聞いた人は、
皆一様に「すごい、ぴったり」「全く同じだ」と感動している。
が、私の耳がおかしいのだろうか。私には、とても同じには
聞こえない。「『六段』の伴奏で『クレド』を歌ってみて
ください」とお願いしたら、ホントに歌えるのだろうかと
思うのは私だけか?。
そもそも、江戸時代初めに『六段』があったかも疑問なのである。
当時、あったとしても、曲調は現代のものと全然ちがっていた。
それは、信州松代藩に伝わった「八橋流筝曲」の伝承者「真田志ん」
さんの『六段』や「琉球箏」の「六段菅垣」、そして「糸竹初心集」
に記載された譜面から、当時の『六段』がどんなものだったかを
検証する必要がある。琉球の『六段』が原型ではないかという説も
ある。琉球の『六段』は「呂音階」で「平調子」ではないとも。
つまり、現代の『六段』と比較しても意味がない。たまたま
拍子数が一致したというだけでしかない。
ただ 言えるのは、「近世になって突如『平調子』という
ミファラシドの音階が生まれる。この音階が、グレゴリオ聖歌の
影響ではないか」というこを、もっと検証してもらえれば、
私も納得がいく。