現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

朋有り遠方より来る

2011-04-24 08:21:05 | 虚無僧日記
4/23 今日は遠方から4人の来客。春日井市、東海市、
豊橋、そして広島から。「朋あり 遠方より来る、
また楽しからずや」だ。

「朋」は「志を同じくする友」。それぞれ尺八を持って
みえたのだが、4人とも流派も違えば、吹きたい曲、
志向する目標も違う。それに臨機応変、合わす私。

都山流のK氏は、音色、音量すばらしい。それだけに
お箏の「ひき色」「後押し」「ユリ」「突き」といった
装飾音が 吹き消されてしまう。邦楽は、音と音との間の
音に命がある。それを活かすためには、尺八も引くことが
大切と教える。

N氏は、山川直春の「現代尺八」だから、「装飾音」を
一切そぎ落としたストレートな吹き方だ。楽譜通りで
味気ない。それで 上手に聞かせるには、音質、息づかい、
音量変化など、相当の訓練が必要となる。素人なりに 
上手に聞かせようとするなら、都山や琴古流の「飾り手」も
必要であることを教える。

豊橋からのG氏は、逆に 純粋の「琴古流」で「地唄物」が
好きだ。持参の曲は『けしの花』。「琴古」の手が強調
され過ぎて、うるさくて 曲にならない。「スリ手」などの
装飾部分を いかに抑えて スマートに 吹くかを教える。

最後に、初めてのお客さん。若いのに「海童道(わだづみどう)」
の前衛哲理に心酔している方だ。私の「洋楽スタイル」の
尺八とは対極にいる。が、私も「海童道」は究極の目標だ。
結局、尺八は吹かず、「虚無僧の現代における存在意義」に
ついて、5時間も熱く語り合った。

宋代の「琴」が17億円で落札

2011-04-24 03:05:07 | 虚無僧日記
中国で、「琴」が高値で落札されたというニュース。

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=1206&f=business_1206_092.shtml

北京市で行われたオークションで、宋・徽宗の御物で、
清・乾隆帝の「松石間意」の銘がある「琴(きん)」が、
1億3664万元(約17億140万円)で落札された。

また、江蘇省蘇州市で行われたオークションでは、
明代の琴「無底古琴」が 5800万元(約7億2200万円)
で落札された。

これまでのオークションでの楽器の最高額は、2006年、
ニューヨークで、ストラスバリウスのバイオリン「ハンメル」が
354万ドル(約4億円)だったので、それを大幅に超えた。


《解説》

「琴(きん)」は孔子や李白なども愛した、由緒ある楽器。
日本の「お琴(おこと)」とは異なり 弦は 7本。琴柱(ことじ)は
無く、左手で弦を押さえることなどで、音程を作る。

日本ではそれほど知られていないが、世界的には「中国を代表する楽器」と
認識されており、世界遺産にも登録された。漢詩などに登場する「琴」は、
「こと」ではなく「きん」を指す。

上流階級に愛された楽器であるため、中国大陸では文化大革命期に
「批判の対象」となった。台湾や香港、海外華僑などの間では
一貫して重視されており、古い名器が高額で取り引きされていた。

中国大陸でも1980年代ごろから再評価されることになり、琴を求める
裕福な人が増えたことで、価格が跳ね上がった。1980年代には 中国では
数万円で取り引きされていたが、現在では 1000万円でも入手が困難という。


箏(そう)ではなく 琴(きん)とは?

2011-04-24 03:04:44 | 虚無僧日記
ネットで「琴(きん)」について検索して、見つけた。

鎌倉琴社』http://orange.zero.jp/zad70693.rose/contents.html

現代広く親しまれている「筝(そう)」ではなく、琴柱(ことじ)の無い
「琴(きん)」のことだ。

「箏(そう)」は 13絃で 琴柱(ことじ)を立てて調音するもの。
「琴(きん)」は、琴柱が無く、絃の坪を左手指で押さえて音程を作る。
古代 埴輪に見られる4絃、5絃、6絃の和琴(わごん)や、「一絃琴
(いちげんきん)」「二絃琴」、そして儒学者の間で弾(だん)じられた
「七絃琴」などがある。『源氏物語』で登場してくるのは「箏」ではなく、
この「七絃琴」だったともいう。

鎌倉、室町と「琴」は断絶するが、江戸時代中期、明から亡命して
きた「心越(しんえつ)」によって、儒学者の間で、「琴」の
大ブームが起きた。最盛期には 一般人にも広まり、琴を弾く人は
数百人はいたともいう。ところが、明治になって急速に廃れ、
今日、「こと」と云えば「箏(そう)」のことである。

廃れた理由は、「琴」は、人前で演奏するものではなく、人に
聞かせるものでなく、あくまで儒教的教えに則った「人格形成、
修養」の道具とされたからであった。

現代、完全に絶滅したかと思っていたが、現代でも「琴」を愛好
している人たちがいたのだ。

(『鎌倉琴社』)

そして「琴」に関する詳しい解説、というより「論文」が
いくつも紹介されていた。それらは、今日、我々が「箏」に
対して抱く「娯楽的」な「お稽古事」とは全く違う「琴道
(きんどう)」という崇高な次元のものであることに驚かされる。


古代の「琴」

2011-04-24 02:37:36 | 虚無僧日記
「古代の琴」については、こちらの論文を見つけた。

古代の琴』http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/simin11/kotomasu.html

埴輪や木製の琴の遺物は、すでに50例も出土しているそうな。
すべて「4絃、5絃の琴」。だが、琴柱(ことじ)らしきものが
描かれていたり、現物も出てきているので、どうやら「箏(そう)」の
ようだ。

「正倉院御物」の琴は『六絃の和琴』。「6絃」は中国には無く、
日本独自のものなので「和琴」という。 大和朝廷は、670年
日本国を創建し、諸制度を整備・制定する中で、「琴」については
「6絃の和琴」の制がとられるようになった。

「6絃の和琴」は、4音音階で、二絃は同音を重複させる役割
しかなく、かつ、二列右肩下がりの調絃(ソミレラソレ)という
他に例がない配列をとっていたという。

また「6絃の琴」別名「あづま琴」と呼ばれていた。関東の豪族
で渡来人の「上毛野氏」の琴だったのか。大和朝廷は、なぜ、
4絃、5絃の琴を排して「関東の6絃琴」を 制定したのか、
謎である。

そして、平安時代には、中国から「7絃の琴」が入ってきたようだ。
『源氏物語』では、「箏と琴」を区別して書かれているとのこと。