現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

3日でノーサイド

2011-07-05 20:33:42 | 政治家
後任の復興担当相、平野達男内閣府副大臣が昇格(朝日新聞) - goo ニュース

松本龍復興大臣が辞任し、後任に「平野達男内閣府副大臣」。
岩手県選出ということで、ホッとする。松本氏に気兼ね
してか「あの一言で辞任とは残念」とコメント。はて?
一言だけでは無かったのだが・・・。またトロイことを言ってる。

「菅」さんには 少しは同情してきたが、今回の一件で、
もう心が離れた。

菅内閣発足後の閣僚辞任は、国民新党の「亀井静香」。
「柳田稔法相」「前原誠司外相」に次いで4人目。もう
持ち駒が無い。「無い欠く(内閣)」だ。





アナログ放送終了のテロップは?

2011-07-05 20:07:37 | 社会問題
『アナログ放送終了まであと19日』の表示」が
出るのはアナログテレビだけに出るのでは?

今朝、H氏が「あの表示うるさいねぇ」と。
「えっ? Hさんとこ、まだアナログですか?」
「なにぃ、もう とっくに変えたがね」
「あれは、アナログテレビだけに出るんでしょ?」
「そんなことあるかぁ。元で送ってるんだから、
 地デジだって出るさ」

はて? 

新しいテレビに変えたので、当然「地デジ」と
思っている方が多いようだ。アナログと地デジ
両方に対応でき、スイッチの切替えを知らないで
アナログで見ている人。

テレビには内蔵されていなくて、チューナーを
買わなければならない人。

テレビは「地デジ」だが、アンテナを取り付けな
ければ見れないことを知らない人が、まだまだ
居るようだ。

そういう人に、あなたの見ているテレビは「アナログ」
ですよと、気づかせるためのテロップと、私は認識
しているのだが、違いますか? 誰か教えて。



7/4 4日目

2011-07-05 15:21:19 | 虚無僧日記
天気予報は「午後から雨」。雨雲が現れては消え、
なかなか雨が降らない。雨に降られてはかなわぬから、
今日は中村界隈を一廻りすることに。

8月お盆休みに東北に行くならば、体を鍛えねば
なるまい。今日は歩くのが目的。

閑静な住宅街だから、人影が無い。尺八を静かに
吹きながら、ただただ歩く。

一軒の家の前を通りかかった時、偶々か、小学生の
女の子が二人、玄関から飛び出してきた。虚無僧の
私を見て「ギョッ」と立ち止まり、家の中に駆け込んで
いった。そして、父親の手を引っ張って出てきた。
お父さんもビックリ。子供に小銭を持たせて、「入れて
くるように」と支持したのか、二人が門の外ま出てきて、
「明暗箱」に入れてくれた。私の方こそ、ビツクリ。

天気予報は「夕刻から、雷雨、突風を伴う大雨」に
変わっていた。そして降ったのは、夜9時過ぎだった。

もっと知恵出さんかい

2011-07-05 12:00:51 | 政治家
7/5 中日新聞「佐藤正明の政治風刺漫画」は傑作。

「松本人志監督」の映画『さや侍』にひっかけて、
若君を笑わせようと、いろんなギャグを繰り出すが、
若君は笑わない。そこで「松本(龍)監督」が、
「もっと知恵出さんかい!」と役者を叱る。
女の子役が「それって 監督の仕事でしょ」と。

笑えた。その通りだ。松本復興相は、「復興の
仕事は現地で知恵出してやれ。知恵出さぬなら、
金は出さん」と言っているようなものだ。

そもそも、復興相の要請を受けた時の心境として、
記者に「ピーター・ポール&マリーの『私の試練』
の歌を深読みして、正解者がいたら1万円上げる」と
謎かけしてみたり、岩手県庁前で出迎えた知事に
向かってサッカーボールを蹴りこんでみたり、
慰霊祭では「あえてお見舞いは申し上げない」と
言ったり、なんかピントがずれている。それを
得意然とするところが 幼稚だ。

義祖父は「開放運動の指導者」だったらしく、
以前、被差別出身者を訪問して、私は
「松本治一郎の孫です」と 胸を張ったところ、
「お帰りください」と云われたとか。

その「お帰りください」の意味を深読みできない
ところが哀れ。今、世論は「辞職して欲しい」と
言っているのに、その真意も深読みできないようだ。

香川一朝君逝く

2011-07-05 03:52:54 | 虚無僧日記
大橋鯛山君から電話がはいった。「香川一朝さんが亡くなった」
との知らせ。

・7月7日(木)18:00~ 通夜
・7月8日(金)10:30~ 告別式 
・湘和会堂 小田原市栄町1-6-10 0465-22-4111

大橋鯛山君は、私より2年下か。40年以上も前、学生三曲連盟の
演奏会で一、二度会っただけだが、その時、私と話をした内容まで
実によく覚えていて、記憶力抜群の人だ。

その大橋君が、「香川君の死」を知らせてきた。香川君とは
40年前「土曜会合奏団」の演奏会で一度一緒した仲だが、
そのことも大橋君は知っているのだから、驚き。

3、4年前だったか、大橋君と香川君が名古屋に見えて、
それこそ40年ぶりに会い、駅裏で飲んだ。40年前のことが
イッキに甦った。

ネットで「香川一朝」君のことを検索してみた。
今年1月に 復帰コンサートを川崎能楽堂で行っている。
その演奏が You-tubeで見られる。

2002年の時の「神奈川県西湘地域の情報誌」『JOY POST』に
紹介記事があったので転載させていただく。

2002年3月、54才にして29年間勤めた(小田原)市役所を退職。
これまでライフワークのように追求してきた尺八に専念することにした。
尺八との出会いは大学のサークルだった。団塊の世代で学園紛争の
真っただ中。大学へは行かず、尺八の先生(横山勝也師)のお宅に
入りびたっていた。演奏家としてセミプロのような活動をしていた
ものの、25才で、いろいろな状況を考えて、市役所に就職。

それからは、職場に尺八の同好会を作ったり、週末に母校の
大学で後輩を指導したり、極力時間を作って 尺八を続けた。
それが、仕事も中堅ともなってくるとままならず、長いこと
考えて、1年くらいの準備期間を経て、2002年の3月、独立するに
いたった。

大学は違うが、私と同年齢。同じ世代で同じ経歴だ。名前も
私は「一路」で、彼は「一朝」。63歳。人ごとではない。