現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

「日本沈没」小松左京逝く

2011-07-29 15:26:24 | テレビ・映画・芸能人
「日本沈没」小松左京さん死去(読売新聞) - goo ニュース

昭和48年、映画「日本沈没」を観た時は衝撃的だった。
日本の高度成長が、オイルショックでストップした年だ。

赤軍派の血なまぐさい事件もまだ記憶に新しい時期。
時の総理大臣に「丹波哲郎」。そして小野寺俊夫役の
「藤岡弘」、阿部玲子役の「いしだあゆみ」の顔の
表情ひとつひとつを今でも思い出す。

天皇が真っ先に海外に。これで「日本国は終わりだ」。
天皇制も無くなり、まさに「朕没す」とも騒がれた。

ラストシーン、日本の難民が、当時共産国のソ連に
引き取られ、シベリアを無蓋貨車で運ばれていく
シーンに、日本人の共産化を憂え、ぞっとしたもの
である。


原作では「高速道路が倒れて車が転落する」とあって、
専門家は「ありえない」と非難していたらしいが、
阪神大震災では現実になった。小松左京氏の先見能力
には敬服する。

そして、このたびの「東日本大震災」。あの迫り来る
津波の映像には、「日本沈没」を思い出さずにはいられ
なかった。

韓国の新聞は、いっせいに「日本沈没」とタイトルに
掲げたそうな。あの津波の写真を見れば、皆そう思った
ことだろう。

小松左京氏がSF作家に転じたのは「全面核戦争への
恐怖」からだったという。津波もさることながら、
原発事故は、まさに「日本減速」「日本地盤沈下」を
招いた。むべなるかな。

小松左京氏は、東日本大震災の惨状に胸を痛め、
「この危機は必ず乗り越えられる。この先、日本は
必ずユートピアを実現できると思う。日本と日本人を
信じている」と遺言していた。これぞ「日本沈没」の
ラストシーンだ。


テレアポ

2011-07-29 09:01:37 | 虚無僧日記
家に居ると、いろいろな電話がかかってくる。
「投資話」に「金を売ってください」、そして
「蟹」や「青汁」や「育毛剤」に「健康食品」
「サプリメント」、そして「保険」・・・・・。

昨日は「名古屋に出店したので、ご挨拶に伺いたい」と、
優しい女性の声。こうした「テレアポ」の仕事は、
一日 百件以上もかけまくって、1件ひっかかるか
否か。ほとんど“冷たく”断られているのだろう。

「気の毒に」と多少同情して 丁寧に受けていると、
相手の女性は、すっかり喜びを顕わにして、「声は
お若いですねぇ」とおべんちゃら。何の売込みなのか、
用件を聞こうとしても、内容は言わず、「ご主人様、
ご主人様は」と こちらのことを聞き出すだけ。
適当に応対していると、30分近くにもなった。そして
「明日、挨拶に訪問したい」と。

会社の内容を言わないのは 怪しい。さっそくネットで
調べてみた。一応ホームページは開いているが、
営業内容が「中国との交易」としかわからない。
住所も明らかにしていない。さらに、「100%子会社の
倒産で7億の損失」とか、「詐欺の疑いで捜索」の
ニュース記事。「暴力団」との関連も伺わせる
情報もあった。

そして「事務員」の募集広告も。なるほど、この
採用広告を見て入社した彼女たちが、何も知らずに、
一生懸命マニュアルに忠実に仕事しているのだ。
彼女たちには罪の意識は無く、実に感じがいい。
会ってみたいとも思う。これに騙される人もいる
のだ。

おそろしや、おそろしや。ご用心、ご用心。

イチロー & 一路

2011-07-29 05:33:28 | 虚無僧日記
イチロー怒りの4安打!マリナーズ泥沼連敗17でストップ(夕刊フジ) - goo ニュース

私は「一路」。ローマ字では「ICHIRO」。

モスクワで 名刺を出したら、「Oh!.You'er Ichiro!」と
驚かれ、すぐ怪訝な顔をされた。「イチロー」の名は
モスクワでも知れ渡っていたのだ。(実は彼、アメリカ
にも行っていたとのこと)

というわけで、老人ホームなどでは、自己紹介するとき、
長い尺八をバットに見立てて、スイングして、「は~い、
イチローです」とやる。

その「イチロー」選手。今年は振るわないようだ。
7月26日、ヤンキース戦で4打数無安打。3三振。
マリナーズは敗れて17連敗。

それに「喝」を入れられたか、翌27日は 5打数
4安打2得点、2盗塁と爆発。マリナーズが9-2で
勝ち、泥沼の連敗を17でストップした。とのこと。

「37歳。もう歳か」の声も聞かれる。伊良部は42で
転落。伊良部のようには なりませぬように。
ガンバッテ イチロー。私50歳で転落。

修羅場で笑えるチカラ

2011-07-29 03:31:30 | 社会問題
特別講「なでしこジャパン」から学ぶこと【三谷流構造的やわらか発想法】(ダイヤモンド・オンライン) - goo ニュース

「なでしこジャパン」2-2の同点に追いつき、
優勝を賭けたPK戦。緊張に、選手たちの顔も
こわばるかと思いきや、佐々木監督も選手にも
笑いがあふれていた。

1990年、男子イタリアW杯での アルゼンチン戦。
PK戦となった時、オシム監督は、さっさとロッカー
ルームに引き揚げてしまった。「どうせ負ける」と
あきらめたか、その通りになって敗れた。

この違いが話題になっている。オシム監督は、
「PK戦はくじ引きみたいなもの」と、選手の力を
信じていなかったのだ。

佐々木監督は、「二度も追いついて、PKなんて
儲けもの! 楽しんでこい」と、笑顔で檄を飛ばした。
「本当は冗談のひとつも言いたかったんだけど、
思い浮かばなかったんですよ。だからオレは
リラックスしてるというのを伝えるために
笑顔を見せた」とのこと。

この「修羅場で笑える力」こそが、「なでしこ
ジャパン」を勝利に導いたチカラだった。

「ノリノリ」の佐々木則夫監督は「綾小路きみまろ」の
ファンだという。そして、さむ~い「おやじギャグ」が
とりえとか。「おやじギャグ」が 陽の目を見る。

「玉蹴ったー、ハアー、はいったー、たまげッた~」
「これがサッカーの醍醐味。そっかぁ」。
「国民栄誉賞」あげても ええよ。