現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

渋谷 道玄坂の光と闇

2011-07-22 22:04:20 | 虚無僧日記
私は、渋谷から東横線で三つ目の祐天寺で生まれ育ったから、
渋谷駅については、戦後 テント張りの「ヤミ市」が立っていた
時代から知っている。しかし、よくよく考えてみると、東急
百貨店や西武デパート、そしてNHKに行く道以外は よく
知らない。道玄坂の上の方は、足を踏み入れてはいけない
場所だった。

「東電OL殺人事件」の後「立ちんぼ(街頭で客引きする
娼婦)」が居なくなったというから、今は健全な町なのかも。

今は、若者がひしめく道玄坂界隈だが、佐野真一のノン
フェクション『東電OL殺人事件』のおかげで、道玄坂と
円山の歴史を知った。

「道玄坂」の由来は、なんと「盗賊の大和田太郎道玄」が
潜んでいたためとか。地名の由来からして おそろしい。

事件のあった「円山(まるやま)町」あたりは、 江戸時代
火葬場があった場所で「(おんぼ)谷」と呼ばれていた。
これも、初めて知った。どおりで、霊的なものに敏感な
私には近寄り難い場所だった。

道玄坂の中腹には、江戸時代、「富士講」の本部があった。
この信仰は、富士山を女体に見立て、山麓に点在する「風穴」や
「氷穴」になぞらえた洞窟を造り、そこを巡る(胎内巡り)
ことで、死と生まれ変わりを体験するというもの。
 
道玄坂を登りつめれば、その裏は 急な坂になっていて、
谷に続いている。そこが円山町一帯で、当時は火葬場だった。
そして、谷底に「神泉」と呼ばれる泉があった。井の頭線で
渋谷から一駅目の駅が「神泉」。渋谷駅周辺のビル街とは
がらりと一変する。W.Y.が殺された安アパートもここだ。

そこには、江戸時代「聖(ひじり)」と呼ばれる半僧反俗の
宗教者が住みついていて、泉の水をわかして「弘法湯」と
いう癒しの湯を、疲れた人々にふるまっていたという。

「半僧半俗の聖」の話は、紀州由良興国寺の裏に「普化谷」
というところがあり、虚無僧たちが「湯」を沸かしていた
という話に類似している。

「東電OL殺人事件」の被害者W.Y.もまた、貧しいネパール
人たちに、性を捧げる「比丘尼」であったか。なぜか、私は
魅かれるものがあり、彼女の生き様に共感するのである。

東電OL殺人事件

2011-07-22 16:31:18 | 虚無僧日記
東電OL事件、受刑者に有利か…DNA一致なし(読売新聞) - goo ニュース

原発事故で叩かれている東電にとっては、タイミング悪く
過去の事件が甦ってきた。1997年に起きた「東電OL殺人事件」。

当時、東電広報室は、躍起になって「東電」の文字を消してもらう
ようマスコミ各社に働きかけたことだろうが、その後も、ノン
フェクション本が出、「東電OL事件」として、すっかり定着
してしまった。

私にとっても無関心ではいられない、強烈な事件だった。
殺された被害者が、慶応卒で東電の管理職であったこと。
Y.W.の名前が私の知人と同姓同名であったこと。

父親は、没落した資産家の息子で、東電に入社し、部長にまで
昇進したが、彼女が20歳、学生の時に癌で亡くなっている。
母親は良家の娘で、お嬢様育ち。専業主婦。

私の父は、定年まで東電に勤めたが、家庭環境は、私とよく
似ている。

この件で、東電は かん口令を敷き、東電社員からの情報は
全く出ない中、様々な憶説が飛び交った。この時の東電の
「隠蔽体質」が、原発事故と重ねて語られる羽目になっている。

私も生保会社の広報部に勤務していたから、この種の事件の
マスコミ対応の苦労は、よく理解できる。

彼女は、エリートOLと売春婦という二つの仮面をかぶった。
私も「虚無僧」という“別の顔”を持ち、ひそかに楽しんで
いる点で、少しは彼女の“心の闇”に入れる気がするのである。