「明治天皇はすりかえられた」という論拠の一つは、
「大室寅吉(寅之祐)」の親戚の子孫「大室近祐」氏の証言。
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文久3年の政変で 都を追われた“七卿”が 長州に来て、
大室家に滞在した時、三條実美らは「寅吉(寅之祐)」を
掌中の珠のように可愛がり、慈しんでいた。
慶応2年、伊藤俊輔(後の博文)が「寅吉」を萩の杉家
(松陰の実家)へ連れて行き、翌3年3月下旬、寅吉を
「玉」として上洛させた。桂小五郎や伊藤博文たちに
南朝の末裔を天皇に擁立するよう指導したのは吉田松陰。
大室寅吉(寅之祐)は、「南朝天皇の子孫」という触れ込みだが、
実は海賊某の孫だった。勇壮・頑強で左利き、字は達筆だった。
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宮内大臣を勤めた田中光顕(たなか・みつあき)も次のように
述べている。
「明治天皇は孝明天皇の皇子で、母は中山大納言の娘で、
母の下で育てられ、父孝明天皇崩御と同時に(立太子の式を
経ずに)天皇の跡を継いだことになっているが、実は、
その睦仁親王は暗殺され、後醍醐天皇(南朝系)の皇子
光良親王の子孫で 長州萩で毛利氏が庇護してきた相撲取が
明治天皇として即位した。
というもの。
孝明帝の実の皇子は、女官らに囲まれて育ち、ひ弱で、
疱瘡を煩い顔にあばたがあり、右利きだが、字は下手
だった。
その皇子は、孝明帝と共に殺されたか、一説には比叡山に
押し込められた。そして、大室寅之祐が明治天皇に仕立てられ、
さっそうと登場する。とても15歳とは思えない、どす黒い精悍な
顔、逞しい体つきで、相撲好き。馬上ゆたかに閲兵式を行って
いるのだ。
孝明帝のひ弱な皇子が、15歳で 突然 馬に乗っての登場とは、
とても考えられないこと。しかも、明治天皇が東京に移られた時、
中山家で仕えていた女官は、一人も随行していなかった。
睦仁親王の妃は「昭憲皇太后」として、皇居内に幽閉された。
「皇太后」というのは「先帝の后」という意味である。
大室(明治)天皇の事実上の后は「柳原愛子」で、その2人の
間に大正天皇が生まれた。
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