「初心忘るべからず」とは、物事を始めた頃の
「初々しい気持、真剣な思いを忘れるな」という
ことだと思っていた。
能を大成した世阿弥の言葉であれば、頂点を極めて
も、初心の頃の思いを忘れるなという戒めの言葉と
誰もが思いこんでいる。ところが、これは全く逆だ
という。磯部欣三著『世阿弥配流』P17
「初心にかへるは能の下る所なるべし」(『花鏡』) と
書いているように、現今多用されている「初一念を
忘れるな」とは逆で、それぞれの時分の未熟さを
忘れることなく、一生が稽古であり、30代になって
20代の「初心」に後退することは許されない」。
私はこの部分をかつて読んではいたのだが、思い込み
が激しいと目にはいらなかった。見方を変えてみると、
世阿弥は、初心は若い時の始めだけでなく、20、30、
50、60代になっても、その時々の初心がある。25歳頃
一番花もあって、世間からももてはやされ有頂天になるが、
やがて花は枯れることを知り、未熟を反省して新たな芸の
高みに達する。それも初心。さらに老いてまた新たな境地
にはいる。その時も初心。「その時々に初心があることを
忘れるな」と説いているのだ。
60を過ぎて、私の芸風も変わってきた。今さら若い者と
競ってブーブーガシャガシャ尺八を吹く気はない。
新たな世界を模索し逡巡している。これが60にして知る
「初心」なのだ。
また、逆に若者が年寄りの芸風を真似ることもいかんと
世阿弥は説いている。20代は20代の初心を貫けばいいのだ。
若い者が変にわかったふり、悟った芸はあさましいと。
「パイパース」という管楽器専門誌の取材を受けたが、
そのライターの竹内氏が、最後に結んでくれた。「一路は
今が“旬”です」と。いつもその時々の花を咲かせるのだ。
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。
「初々しい気持、真剣な思いを忘れるな」という
ことだと思っていた。
能を大成した世阿弥の言葉であれば、頂点を極めて
も、初心の頃の思いを忘れるなという戒めの言葉と
誰もが思いこんでいる。ところが、これは全く逆だ
という。磯部欣三著『世阿弥配流』P17
「初心にかへるは能の下る所なるべし」(『花鏡』) と
書いているように、現今多用されている「初一念を
忘れるな」とは逆で、それぞれの時分の未熟さを
忘れることなく、一生が稽古であり、30代になって
20代の「初心」に後退することは許されない」。
私はこの部分をかつて読んではいたのだが、思い込み
が激しいと目にはいらなかった。見方を変えてみると、
世阿弥は、初心は若い時の始めだけでなく、20、30、
50、60代になっても、その時々の初心がある。25歳頃
一番花もあって、世間からももてはやされ有頂天になるが、
やがて花は枯れることを知り、未熟を反省して新たな芸の
高みに達する。それも初心。さらに老いてまた新たな境地
にはいる。その時も初心。「その時々に初心があることを
忘れるな」と説いているのだ。
60を過ぎて、私の芸風も変わってきた。今さら若い者と
競ってブーブーガシャガシャ尺八を吹く気はない。
新たな世界を模索し逡巡している。これが60にして知る
「初心」なのだ。
また、逆に若者が年寄りの芸風を真似ることもいかんと
世阿弥は説いている。20代は20代の初心を貫けばいいのだ。
若い者が変にわかったふり、悟った芸はあさましいと。
「パイパース」という管楽器専門誌の取材を受けたが、
そのライターの竹内氏が、最後に結んでくれた。「一路は
今が“旬”です」と。いつもその時々の花を咲かせるのだ。
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。