現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

なむやみ(闇)だぶつ

2011-11-18 11:03:45 | 虚無僧日記
中日新聞連載、五木寛之『親鸞』。いよいよ核心に触れてきた。

どんな悪人も「南無阿弥陀仏」と唱えさえすれば、極楽
浄土に往生できるのか? 極悪非道の悪人でも救われる
なら、この世で悪の限りを尽くした方がいい。強姦も
窃盗も殺人もしたい放題。しなきゃソンソン。

「念仏」は そうした危うい理解を孕んでいる。

悪事を働いた時は「わるのりだぶつ(悪乗り打仏)」。

闇の中での淫靡な快楽には「なむやみ(闇)だぶつ」

「なみのりだぶつ(波乗り舵物)」。これはサーファーの
ブログで見つけた。「波に任せる身は、仏法の悟りと
共通する」と。

「難有りだぶつく」。これは欠陥商品が大量に返品され、
倒産に追い込まれた悪徳店主の救いを求める念仏。

守銭奴が、悪事で稼いだ金を数える時は「ナンマイダ、
ナンマイダ、何枚だ」。


ところで、「釈迦も見捨てた女人や極悪人を、唯一
阿弥陀如来だけはお救いくださる」と、いったい誰が
言ったのか?。釈迦がそんなこと言ったのかいな。
釈迦は、「人々をあまねく救う」といいながら、
「女人と悪人だけは救えない。救ってもらいたければ、
阿弥陀如来に頼め」と、自らの役割を放棄したことになる。

「阿弥陀信仰」は釈迦を見限って「阿弥陀如来」に
唯一帰依するというのだから「釈迦仏教」ではない。
「阿弥陀“教”」だろうと私は考えるのだが・・・・







facebookで“友達”100人

2011-11-18 10:19:45 | 虚無僧日記
facebookで“友達”が100人を超えた。
「孤立無縁化社会」の中で、facebookは「絆」を求める
一手段ではあるが、他愛の無いご挨拶だけに終始して、
今後の生活(仕事)にどれだけ役に立つかは未知数だ。

「友達」申し込みをして「承認」をもらっただけで
「友達できた」と錯覚して、依然 引きこもり状態に
ある人が多いとも指摘されている。

私も、今まで全く面識のなかった方が大半。とりあえず
友達承認をいただいただけで、毎日100人とメールの
やりとりをするわけにはいかない。認知度を高めるのは
これからだ。

一方 ブログのアクセス数は、600から半分の300になって
しまった。それでも、毎日 300人の方が見てくださって
いることは、すごいことだ。感謝申し上げます。


来年9月9日「名古屋能楽堂」で「一路会公演」を
予定している。600席 集客するには、名古屋地域に
限定して 3,000人に周知したいと思っている。

それにブログやfacebookが どれだけの効果を発揮し
得るのか。実験でもある。