現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

ひどい暴言 3件

2011-11-29 23:02:12 | 虚無僧日記
Fさんと町を歩いていて、車の販売店の前で
足を止めた。車椅子を乗せるリフトがついた車や、
助手席が横に飛び出し、障害者でも乗りやすくした
車など「障害者に優しい車」が展示されていた。
Fさんの父親は“車椅子”だ。それで のぞいてみた。

すると、営業マンが出てきて・・・・・、「こうして、
車椅子ごと(障害者を)“ぶち込む”んだ」だと。


夜8時過ぎ、電話が鳴った。「おたく 昼行っても
居ないので、今の時間に電話してるんだが、
おたくは“賃貸派”か“持ち家派”か 聞いて
るンだよ」
「ハァ?」である。突然に何の話?。うちの
マンションの管理会社かと思って いろいろ
やりとりして、よその「マンション販売業者」と
判る。

「私は、もう 年金暮らしだから」と言うと、
「ウチは、働いてる人しか相手にしないの。
 お宅じゃダメだね」ガチャン。

以前の私なら腹を立ててたが、あきれてモノも
言えない。で、なんで、私が昼 留守ということと
電話番号を知っていたのだろう。恐ろしい世の中だ。


沖縄防衛局長を更迭=防衛相「弁解余地ない」―地元は政府不信強める・女性侮辱発言(時事通信) - goo ニュース

「おかす時、おかしたる なんて言わんでしょ」と
発言して沖縄防衛局長 クビ~。それだけ聞くと、
真珠湾の奇襲攻撃のことかと思った。

私なんか いつも言ってる。おかし食べる時、
「おかし (食べ) たるぅ~」って。これも
いかんかったですか?








「対面販売」は消えゆく

2011-11-29 22:06:53 | 虚無僧日記
「生命保険の若者ばなれ」の記事。事情は、各企業が
「個人情報保護」の名目で セールスをシャットアウト
し出したからだそうだ。ひと昔前なら、職場にセールス
レディがやってきて、新入社員にアタックしていたのが、
今は、接触する機会が奪われてしまっていると。

学校もそうだ。不審者の構内乱入事件が続き、門を閉め、
職員室への業者の訪問は「お断り」というところが増えた。

新聞や週刊誌などの寄稿も、かつては記者が直接訪問して
依頼したが、今は 電話で依頼し、了解を得たら、あとは
パソコンでやりとり とのこと。

たしかに。『邦楽ジャーナル』からの原稿依頼も電話で
来た。了承すると あとはパソコンでのやりとり。
写真も、私のホームページからとってもらうか、パソコンで
送る。記者の顔は見ることなく、終わってしまった。

「売り手」と「買い手」が 直接対話して モノを売買する
ことは少なくなった。自販機の普及。ネットや通販の急増。
コンビにもスーパーも、家電量販店、ドラッグ店もそうだ。
自分で品物を選び、レジで支払いを済ます。店員は、商品の
説明もPRもしない。

銀行もサラ金もATM。駅の切符売場も。改札口も機械相手。

というわけで、対面し、会話しながら 売り買いする場が
なくなってきた。「友達づくり」でさえ、Face-book で
パソコン上でのつながり。

それを「さみしいね」と思う私は旧人類か。





「春日局」の名は「お福」

2011-11-29 21:06:21 | 虚無僧日記
「福」くんのついでに、NHK大河ドラマ「お江」にも
出てきた「春日局(かすがのつぼね)」の本名は「斉藤 福」。

「福」の父は、美濃国の守護代「斎藤氏」の一族「斉藤利三」。
明智光秀の甥とも従弟とも言われ、光秀の重臣だった。
「本能寺の変」で織田信長を攻めた首謀者。山崎の合戦で
秀吉に敗れ、捕らえられて処刑された。

この時「福」は まだ3歳。「福」の母は 稲葉一鉄の娘・
「あん」。母の兄「稲葉重通」の養女となり、長じて、
稲葉氏の縁者で「稲葉正成」の後妻となる。

正成は関ヶ原の戦いにおいて、主君・小早川秀秋を
説得して東軍に寝返らせ、徳川家康を勝利に導いた
最大の功労者である。

「福」が 家康に気にいられ、竹千代(家光)の乳母として
迎えられた経緯については、諸説あって、謎。

また「福」の直訴で 家康が 竹千代を世継ぎと定めた
ことも有名だが、「福」に なぜそれほどの力があったのか。
明智光秀と家康の密約があったことを想起させる「状況
証拠」の一つである。

息子の稲葉正勝も家光の小姓に取り立てられ、元和9年
(1623年)に老中に就任、寛永9年(1632年)には 相模国
小田原藩主となった。

なお、私の妻の父は「稲葉一鉄」につながる子孫との
ことだが、詳しい話を聞いていなかった。ザンネン。