現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

「唯我独尊、自灯明」とは

2013-06-08 15:06:58 | 虚無僧って?
4月8日は、日本ではお釈迦さまの誕生日。しかし、
スリランカ、ミャンマー、タイでは、2月15日だそうです。
なんで、同じ仏教国で、日にちがが違うの?

また、「お釈迦様は、生まれ落ちるとすぐ北に7歩歩いて、
天を指差し『天上天下唯我独尊』と唱えられた」とか。
これもミャンマーやタイで、その話しをすると「そんな
バカな」と、10歳の子供でも笑うそうです。

そんな子供でもわかる嘘を、日本の仏教者は公然とつく。
それを「嘘も方便」と言います。
「キリストだって処女マリア様から産まれた」って言うじゃ
ないですか。不可思議だから宗教です。

また「唯我独尊」について、以前は、「お釈迦様独りが尊い」と
説いていたのですが、最近では「釈迦様独りではなく、
世の中に生を受けたすべてのものが、それぞれに尊い」と
解釈されるように、変わってきたようです。

「私もあなたも釈迦と同等に尊い命を授かった。だから
他人の命も尊重し、自殺することも、他の命を奪うことも
してはいけない」と、瀬戸内寂聴も法話でそう述べています。

ついでに、釈迦の最期の言葉「自灯明」も「釈迦亡き後は、
『自分』を灯明として生きよ」が、その「自分」をどう
解釈するかでガラリと変わります。

「自分とは釈迦様自身のこと」と解釈すれば「お釈迦様を
頼りにせよ」となりますが、「自分はあなた自身のこと」と
なると、「釈迦も仏も無い、自分自身が尊いのだから、
自分自身で自信をもって生きなさい」となります。

釈迦は一文字も残さなかったのです。現存する経典はすべて、
1000年も後の人が作ったものです。お釈迦様独りで
3万巻もの教義を説くことはできないでしょう。

さらに日本では、解釈の違いでいくつもの宗派が派生し、
お互い反目し、争っています。こんな愚かなことはない。

ならば釈迦の原点に戻ろうというのが虚無僧です。
お釈迦様は家も寺も持たず、ただ歩き続けて、人々の心に
灯明を灯し続けた。

虚無僧には崇拝する像も、説くべき経典も有りません。
寺も教団も無いのです。まさに「唯我独尊」「自灯明」の
生き方です。

「虚無僧宗」のテーマソングは「世界に一つだけの花」
なのだ~。これと「三百六十五歩のマーチ」をいつでも
吹けるようにしておこう。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。


6/8 名古屋フォーラムで講演

2013-06-08 14:47:03 | 虚無僧日記
6/8 は「名古屋フォーラム」で講演させていただはました。
昨年の8/8 の講演が良かったとのことで以来、二度目の
依頼でした。

なんと、そこの責任者の方が、かつての千代田生命での
教え子と判り、もうびっくり。そんなことから、初めから
話しが盛り上がり、笑いが絶えず、もう「きみまろ」の
ライブのようでした。これもご縁ですな。

オープニングは まじめに?「タララリラ ラ~ン」と
「オリーブの首飾り」。これで意表をついて、その先は
話が脱線ばかりして、用意していたプログラムは
メチャクチャ。でも、1時間あっという間。こうして
笑って尺八を聴いていただけて大成功。

ものすごい拍手でした。で、考えてみますと、それは
この団体のメンバーの日頃の学びの姿勢によるもの
ですね。同じ話をしても ニコリともしないで、シ~ンと
している会場もあります。どんな客層でも常に笑いをとる。
これも修行。

「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。


ご詠歌に尺八

2013-06-08 13:23:34 | 虚無僧日記
6/7 津・本願寺の眞道さんの御縁で、兵庫県三田(さんだ)市
文化センターで行われた「ご詠歌」のコンクールに出演して
きました。

兵庫県の三田(さんだ)市は「三田牛」で有名ですから
地名は知っていましたが、大阪から(あの「福知山線」で)
約1時間。名古屋-大阪が 50分で、それより遠い?
所でした。
その三田市の「総合文化センター」。ご他聞にもれず、
地方の箱物は立派です。その大ホールでご詠歌の
コンクール。6~700席の客席は参加者だけで満席。

ご詠歌がこんなにさかんになっているとは。それも
二重合唱あり輪唱あり、踊りありとさまざま工夫を
こらしての挑戦でした。我々は「一絃琴と尺八入り」と
いう触れ込みで「特別参加」でした。

ご詠歌に尺八伴奏などできる人は他にはいまいと
思ってましたら、なんとおりました。それを聴けず
ザンネン。世の中広いですな。

ご詠歌の中に「慈覚大師奉賛」の歌がありました。
そういえば「慈覚大師円仁」は平安時代の初め、
中国唐に渡り、帰朝後「引声阿弥陀経」を、尺八で
もってその音程と旋律を示し、教え広めたとの伝承が
あります。ご詠歌も、尺八で旋律を示せば、旋律を
覚えるのに楽でしょう。それにしても、何も楽器の
伴奏がなく、皆さん音程をとれることには感心します。