現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

フェイスブック「友達拒否」も

2011-11-22 12:23:48 | 虚無僧日記
「face book」で、ようやく「友達」100人超え、
プラハやコペンハーゲン、モスクワからもメールが来て、
返信にオタオタしている私。

成功している人は、「友達」が 4~5,000人もいる。
つい調子に乗って、「友達リクエスト」をポンポン
打っていたら、この方は厳しいコメント。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Lady ship salon《願.Lady-Only♪》○○きよみ

 ありがたいことに、FB開始2ヶ月で お友達が 2千人を
 超えました。 思う処あり(仕事との兼ね合いも含め)、

 ・リクエスト頂いても、単に人数集めの様な匂いがする場合は、
  応じたくありません。
 
 ・あいさつも、とても 多く頂いておりますが、
  あいさつ返しは 一切対応できかねます。

礼を失すること多々ありましょうが、今の私に許される
時間としては キャパ・オーバー状態と相成りました。
申し訳ございません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「2ケ月で2千件」は6月の時点。今は 5,000件を
超えている。なんで、こんなに友達 増えるのだろう。
この方は、毎日 数行ずつ、所感を書き込んでいる。
それが、簡潔ですばらしい。たとえば。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「過去美化バイアス」。 英語では Rosy retrospection
 (バラ色の回顧)とか。 過ぎてしまえば みな美しい
  との言葉も。 あの時、君(己)は若かった♪と、
  若き頃への憧憬も。。 脚下照顧・不易流行・温故知新で、
  今日一日を励み、 明日への構築に向かわねば。(自戒)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さすが・・、脱帽。

11月22日 いい夫婦の日 

2011-11-22 11:22:00 | 虚無僧日記
11月22日は、「いいふうふの日」。

今年「パートナー オブ ザイヤー」に選ばれたのは、
「高橋ジョージ・三船美佳」夫妻。昨年は「野村克也・
野村沙知代」夫妻で話題となった。記憶にあるところ
では、2006年度「船越英一郎・松居一代」。2005年度
「愛川欽也・うつみ宮土理」。

なんとなくわかるが、私が挙げるなら「加山雄三と
松本めぐみ」夫妻だろう。加山雄三が、茅ヶ崎の
パシフィック・パークホテルの倒産で、23億円もの
借金を抱えていた時期に結婚し、周囲から後ろ指さされ、
土下座もさせられ、1個の卵を夫婦2人で分けあって
食べながら、10年がかりで返済した。人気が出ると
糟糠の妻を捨て、また逆に落ち目になれば、離れて
いくのが“当たり前?”の芸能人の中で「松本めぐみ」
には敬服する。

以前にも書いたが、「長くラブラブでいられる秘訣」は、
「お互い感謝の気持ちを口に出して言う」ことだそうだ。


さてはて、私も、結婚式では「琴瑟(きんしつ)相和す、
オシドリ夫婦」なんて言われたものだが・・・・・。感謝の
気持ちはあっても、伝えるのが下手だったか。


因みに、「箏(そう)」は「竹」に「争う」と書くし、
「オシドリ」は「雌雄一緒にいるのは繁殖期だけで、
毎年相手を変える」とか。

番(つがい)が一生添い遂げるのは、なんと「カラス」
らしい。

北海道の開拓

2011-11-22 02:17:33 | 虚無僧日記
北海道の東側は会津藩、西側は庄内藩(山形)領だった。
その領地をプロイセン(現ドイツ)に売り渡そうとした。

当時の日本人の感覚では、「蝦夷地(北海道)」は、
米がとれないということで、「無価値、不毛の地」だった。

それに対して、駐日プロイセン公使の「ブラント」は
2回も蝦夷地を訪れ、その土地の価値を充分に評価して
いた。

「ブラント」に同行した農業専門家「ゲルトナー」が、
「北海道は緯度がドイツと同じ、気候も似ている。
土地は広大、水は豊か、牧畜や、ジャガイモ・麦などの
栽培に最適である」と判断したのである。

蝦夷地をプロイセンの植民地とする話しは、本国の
ビスマルクによって却下されてしまったが、ゲルトナーは
あきらめなかった。

戊辰戦争は会津の敗北で終わったが、榎本武揚や
大鳥圭介ら脱出組が、北海道で「共和国」を建設した。
明治2年(1869年)ブラントとゲルトナーは、この
新共和国に接近して、七重村300万坪を99年間租借
する契約締結に成功した。

これに怒ったのが、明治新政府。函館戦争で榎本らを
破り、翌明治3年、明治政府は補償金6万2500ドルを
支払って租借権、開墾権の契約を無効にした。

これで、プロイセン(ドイツ)の北海道侵略の野望は
費えたが、このゲルトナーの構想をそっくりいた
だいたのが、ドイツ系アメリカ人「クラーク」。
「少年よ大志を抱け」の人だ。



女性社長のブログ

2011-11-22 00:04:27 | 虚無僧日記
「女子力」全開、ますますパワーアップの時代だ。
ブログを書いている「女性経営者」が なんと 6,429人も。
人気上位の経営者は、仕事で多忙の中、自分の成功
ノウハウを、各地で講演している。講演を仕事として
いる「経営コンサルタント」も多い。


人気トップが『熱血社長の一日1分。ビジネス・パワー・
ブログ』の「朝倉千恵子」女史。

講演の中から「強運をつかむ31の言葉」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

比べるのは他人ではない
比較するのは、昨日の自分・・・
自分は出来ると信じること
諦めないこと
やり続けること

人と比較して落ち込む暇があったら

昨日より、今日
今日より、明日と
成長している自分をみつけよう!!


夢を叶える「ナニヌネノ」

 ナ・・・難題、難問に背を向けず
 ニ・・・忍耐強く最後まで
 ヌ・・・温もりと優しさを忘れず
 ネ・・・願いを込めて諦めず
 ノ・・・望みに向かい歩みを止めず

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なるほど

  ナ なんでも
  ニ ニコニコしながら
  ヌ ぬかりなく
  ネ ねまわし しっかり
  ノ のりのりで




被害者=加害者?

2011-11-20 21:21:59 | 虚無僧日記
交通事故のニュース2題。

①追い越し車線を走っていて、前の車が左によけたので、
「進路を譲ってくれたか」とアクセルを踏んだら、
そこに、なんと自転車の男。跳ね飛ばして即死。

②高速道路をミニバイクが逆走してきて、トラックと
接触し転倒。後続の乗用車に轢かれて即死。

2件とも、運転手は「過失致死で現行犯逮捕」。

交通ルールを守って運転していた善良な市民が、一瞬
にして“犯人”扱いだ。不可抗力の被害者だろうと
思うが、法は無情だ。

③「『あなたの紹介だ』というので品物を渡したが、
残金が払われない」とのトラブル。名前を勝手に
使われたのだ。

④信号無視を注意したら逆キレされ、けんかとなり、
相手に怪我を負わせて逮捕。どっちが悪い?!

いつどこで加害者になるかわからぬ時代となった。
住みにくい世の中になったものでございます。


なむやみ(闇)だぶつ

2011-11-18 11:03:45 | 虚無僧日記
中日新聞連載、五木寛之『親鸞』。いよいよ核心に触れてきた。

どんな悪人も「南無阿弥陀仏」と唱えさえすれば、極楽
浄土に往生できるのか? 極悪非道の悪人でも救われる
なら、この世で悪の限りを尽くした方がいい。強姦も
窃盗も殺人もしたい放題。しなきゃソンソン。

「念仏」は そうした危うい理解を孕んでいる。

悪事を働いた時は「わるのりだぶつ(悪乗り打仏)」。

闇の中での淫靡な快楽には「なむやみ(闇)だぶつ」

「なみのりだぶつ(波乗り舵物)」。これはサーファーの
ブログで見つけた。「波に任せる身は、仏法の悟りと
共通する」と。

「難有りだぶつく」。これは欠陥商品が大量に返品され、
倒産に追い込まれた悪徳店主の救いを求める念仏。

守銭奴が、悪事で稼いだ金を数える時は「ナンマイダ、
ナンマイダ、何枚だ」。


ところで、「釈迦も見捨てた女人や極悪人を、唯一
阿弥陀如来だけはお救いくださる」と、いったい誰が
言ったのか?。釈迦がそんなこと言ったのかいな。
釈迦は、「人々をあまねく救う」といいながら、
「女人と悪人だけは救えない。救ってもらいたければ、
阿弥陀如来に頼め」と、自らの役割を放棄したことになる。

「阿弥陀信仰」は釈迦を見限って「阿弥陀如来」に
唯一帰依するというのだから「釈迦仏教」ではない。
「阿弥陀“教”」だろうと私は考えるのだが・・・・







facebookで“友達”100人

2011-11-18 10:19:45 | 虚無僧日記
facebookで“友達”が100人を超えた。
「孤立無縁化社会」の中で、facebookは「絆」を求める
一手段ではあるが、他愛の無いご挨拶だけに終始して、
今後の生活(仕事)にどれだけ役に立つかは未知数だ。

「友達」申し込みをして「承認」をもらっただけで
「友達できた」と錯覚して、依然 引きこもり状態に
ある人が多いとも指摘されている。

私も、今まで全く面識のなかった方が大半。とりあえず
友達承認をいただいただけで、毎日100人とメールの
やりとりをするわけにはいかない。認知度を高めるのは
これからだ。

一方 ブログのアクセス数は、600から半分の300になって
しまった。それでも、毎日 300人の方が見てくださって
いることは、すごいことだ。感謝申し上げます。


来年9月9日「名古屋能楽堂」で「一路会公演」を
予定している。600席 集客するには、名古屋地域に
限定して 3,000人に周知したいと思っている。

それにブログやfacebookが どれだけの効果を発揮し
得るのか。実験でもある。


初心忘るべからずの真意

2011-11-16 15:13:30 | 虚無僧日記
「初心忘るべからず」とは、物事を始めた頃の
「初々しい気持、真剣な思いを忘れるな」という
ことだと思っていた。

能を大成した世阿弥の言葉であれば、頂点を極めて
も、初心の頃の思いを忘れるなという戒めの言葉と
誰もが思いこんでいる。ところが、これは全く逆だ
という。磯部欣三著『世阿弥配流』P17

「初心にかへるは能の下る所なるべし」(『花鏡』) と
書いているように、現今多用されている「初一念を
忘れるな」とは逆で、それぞれの時分の未熟さを
忘れることなく、一生が稽古であり、30代になって
20代の「初心」に後退することは許されない」。

私はこの部分をかつて読んではいたのだが、思い込み
が激しいと目にはいらなかった。見方を変えてみると、
世阿弥は、初心は若い時の始めだけでなく、20、30、
50、60代になっても、その時々の初心がある。25歳頃
一番花もあって、世間からももてはやされ有頂天になるが、
やがて花は枯れることを知り、未熟を反省して新たな芸の
高みに達する。それも初心。さらに老いてまた新たな境地
にはいる。その時も初心。「その時々に初心があることを
忘れるな」と説いているのだ。

60を過ぎて、私の芸風も変わってきた。今さら若い者と
競ってブーブーガシャガシャ尺八を吹く気はない。
新たな世界を模索し逡巡している。これが60にして知る
「初心」なのだ。

また、逆に若者が年寄りの芸風を真似ることもいかんと
世阿弥は説いている。20代は20代の初心を貫けばいいのだ。
若い者が変にわかったふり、悟った芸はあさましいと。

「パイパース」という管楽器専門誌の取材を受けたが、
そのライターの竹内氏が、最後に結んでくれた。「一路は
今が“旬”です」と。いつもその時々の花を咲かせるのだ。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。


邦楽は音楽か?

2011-11-16 11:40:03 | 虚無僧日記
最近は「facebook」に はまってしまって、ブログが
おろそかになり スミマセン。

「facebook」で、Oさんと こんなやりとりがありました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨今の大方の邦楽演奏家は「楽譜を弾いている」のであって、
「音楽を表現している」とはいえない。古典も、流派としての
「学習的古典でしかない」。

音色ひとつひとつを吟味して、「盲人にはできなかった色彩・
映像感ある音楽表現としての古典」に取り組んでいかないか

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まさに、わが意を得たり。

地唄は、どれを聞いても同じように聞こえる。それはそうだ
「地唄は盲人の音楽なのだから、色をつけてはいかん」。

なんていう大先生が多い中で、私の師「堀井小二朗」は、
「邦楽も音楽だよ、花風鳥月、色も情景も 心も 表さな
ければ」古典は滅びると説いた。
『残月』『楫枕』『夕顔』『ままの川』『新娘道成寺』
そして『千鳥』『六段』。そのくらいしか習わなかったが、
全部曲想が違う。それを表すためには、最初の一音から、
同じ「レ」の音であっても、音色、音質、強弱を変える
ことで、その曲の内容を表すように と。

私は、そのように心がけてきた。先年、NHK FMラジオ
「邦楽のひととき」で、梶田昌艶先生と『千鳥の曲』を
演奏した時、琴古でも都山でもない手付けで、波や磯、
千鳥の鳴声を表現した。

「古曲にトレモロなんてトンドモない」という お叱り
覚悟だったが、一部の方からは「すごい新鮮だった」
「磯に遊ぶ千鳥が目に浮かんだ」と評価いただいた。

しかしその声が、潮流とならないのは、流派にどっぷり
浸っている方々には、自分の流派の楽譜通りにキチンと
吹くことしか念頭にないから、全く理解できないようだ。


宮城道雄氏も「自分は目は見えないが、音にはそれぞれ
色がある」と語っている。「楽譜を出版したことで、琴の
曲は飛躍的に広まったが、反面、“曲”が失われた」とも。

「盲人にはできなかった色彩・映像感ある音楽表現としての
古典」に取り組むことに、私も参加したいが、その“違い”
がわかる人が居なくなってしまった。

今日の運気、ドンピシャ 

2011-11-13 21:04:00 | 虚無僧日記
11/13 「今日の運気」

「運気絶好調。望みがかなうラッキーデーです。
こうなったらいいなぁ、と漠然と思い描いていた
シチュエーションが目の前に展開するかも」。

そして、ラッキーアイテムが なんと「宗教音楽」。

ということで、そのものズバリ的中した。

朋友「竹内明彦」氏から電話があり、「今日、
名古屋で公演がある」という。なんと、わが家の
近くの「五反城教会」で、パイプオルガンと笛との
共演をするとのこと。

正に占い通り。


つい先日、家から数百mの界隈を歩いていて、
教会を見つけた。中をのぞいてみたいと“漠然と”
思っていた。そこが「五反城教会」だった。

古いコンクリート造りのドーム型の教会で、パイプ
オルガンがある。そこで、バッハの曲から現代音楽の
作品まで、篠笛や龍笛、能管との共演。

意外性があるが、笛もパイプの一つだから、パイプ
オルガンと馴染む。音量的にも笛なら遜色ない。
結構面白かった。

私もここで、「尺八とオルガンでバロック音楽」の
コンサートをやってみたいと思った。


今日の学び:「バロック」とは「いびつな真珠」と
いう意味だそうで、「音楽における感情の劇的な
表現」が特徴だそうだ。教会という「宗教性」を
背景にしたリサイタルをやってみたい。