現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

先が無い趣味は 無意味?

2017-10-21 21:27:19 | 地球人類の問題


以前、プロゴルファーの上田桃子さんが「バレーとか

バスケットとか、“先の無いスポーツ” をやっている人を見て

不思議だった」と発言して、ブーイングが殺到したことがあった。

“先が無い”とは、“プロになれない=金にならない”という

意味での発言。

障害者の姉を抱え、家計を助けなければならない境遇では、

「金にならないスポーツはヤル気なかった」と言う。

私は素直に 同感したい。お金と時間を使うだけの趣味は

家族にとっては迷惑でしかない。

尺八も “先が無い”と一般には思われている。しかし、

ピアノやギターだって、プロとして稼げる人は少ない。

それに比べて、尺八はライバルがいない。ちょっと努力

するだけで プロになれる。 洋楽器の何十分の一の練習

(努力・技量)で収入になる。

こんなに簡単にプロになれる“楽器”は無いのに、趣味に

甘んじている人は、私は不思議でならない。

 


 


傍若無人な若者、すぐキレる老人

2017-10-18 23:47:55 | 地球人類の問題

傍若無人な若者。若者より困るのは、すぐキレル老人。

私も以前はよくキレた。今思い返すと恥ずかしい。朝起会で学んで10年。
朝起会で学んで ようやく、腹が立たなくなった。
毎朝、4時から「禊(みそぎ)」と称して掃除。

そして5時から「五つの誓い」の唱和。そして昨日の反省と今日の誓い。
「朝起き会で学んでいて、なにあの人は」と云われぬように。


【五つの誓い】

一、今日一日 三つの恩を忘れず、喜んで進んではたらきます
一、今日一日 人の悪をいわず、己の善を語りません
一、今日一日 気付いたことは、身がるに直ぐ行います
一、今日一日 腹を立てず、不足の思いをいたしません
一、今日一日 三つの無駄を排し、新しく大地に生き抜きます


傍若無人の非礼には

2017-10-18 23:32:37 | 虚無僧日記

今日、地下鉄で二人の若者が、ドアの前に寝転がって 大声を

あげて、じゃんけんのようゲームに興じている。その声も

尋常でない。酔っぱらっているのか、ドアを蹴ったり、叩いたり。

名古屋駅で大半の客は降り、乗っているのは私のほか3人。

無視すべきか、注意すべきか。注意したところで聞く相手ではない。

怒鳴るべきか。「腹を立てず」の試される時がきた。

笑顔で二人の行動を見つめていると、気づいたか「そこのハゲェー、

そこのメガネ!」と怒鳴ってきた。手を挙げてこない限り、無視。

車掌に通報しようかと電車を降りたら、車掌のいないワンマン電車。

すぐドアが閉まり、走り去っていってしまった。

ホームでは「迷惑行為や不審な行為を見かけたら、近くの駅員に

お知らせください」と女性の声のアナウンスが空しく流れていた。

 『論語』の一説に

「子曰く、礼に非ざれば視るなかれ、礼に非ざれば 聴くなかれ。
 礼に非ざれば言うなかれ、礼に非ざれば動くなかれ」

「仁」というものは、己の恣(ほしい)ままに行動するのではなく、
やりたいこと、言いたいことを ぐっと抑えること。

そうした礼を失したふるまいに、怒りを顕わにしてはならない
という。視て見ぬ振りをしろと孔子はいう。

たしかに、そういう人たちには何を言っても無駄だ。
だからといって、黙って見過ごせない場合もある。
その時は、どう対処すべきか。少なくとも、感情的に
怒鳴ったり、手を挙げたりは、礼を失する行為。
非礼や暴力からは何も生まれない。手でさえぎり、
静かに諭すべきであると。

求められるのは、そうした時のコミュニケーション力。
そこが知りたい。



降りかかる火の粉は

2017-10-18 23:23:24 | 虚無僧日記

最近、高速道路でトラブルとなり、煽って、さらに前に回り込んで

急ブレーキをかけて、進路妨害した事件が問題になっている。

「煽られた経験は?」という問いに、「有り」と答えた人が

全国で何千件も。私もある。東名でベンツが前に回り込んできて

何度も急ブレーキをかけてきた。幸い分岐点で、左に逃げ

離れることができた。

一般道路で、信号無視して後ろから飛ばしてくるBMWに対して

わざと前をゆっくり走ってやったら、信号で止まった時に

相手の車から若者(ばかもの)が 降りて、怒鳴り込んできた。

実は、後ろから来た時に、その車を見て、知人の息子だとわかっていた。

降りてきた若者に「やぁ」と笑顔で「〇〇さんとこの息子さんだろ」と

声をかけると、相手はひるんで、すごすごと戻って行った。

 


ありがとう、ごめんなさい

2017-10-18 22:45:36 | 虚無僧日記

NHKラジオ深夜便で、女優の「吹雪ジュン」さん

最近はすっかり母親役。哀しい場面、辛い場面でも

不思議と目は笑っている。そのことに関連して

「初対面の人と会う時でも、必ず ニッコリほほ笑みます。

自分と合わないなと思う人、私に敵意をもって接してくる方もいるでしょう。

出会いは、先祖の因縁で出会うのです。私はその方に何もしていなくとも、

遠い先祖が、その方の先祖に なにか悪いことをしたのかもしれない。

そんな先祖の因縁から、私に悪意をもって接してこられたのかもしれない。

それで、私は心の中で「ごめんなさいね、許してね、ありがとう、

感謝してます」と唱えて、にっこりほほ笑むのです。すると相手の方も

険しい顔が和らいで、自然と笑顔になります」と。

すばらしい、これは統一教会の教えと同じ。

自分は罪を犯していなくとも、アダムとイブの神の意思に背いた原罪に始まり、

祖先の罪、民族同士の争いによる罪がある。まさに韓国の日本に対する怨念は

ここからきている。「ごめんなさい、許してね、ありがとう、感謝です」

恨みをもった人にも優しい笑顔で、目で語り掛ける。その目にたちまち

トロンとなるような、そんな素晴らしさを吹雪ジュンは持っている。

 

 


親が子を、子が親を殺す

2017-10-18 22:36:18 | 社会問題

「親が子を殺す」「子が親を殺す」事件が立て続けに起きている。

・「傷害容疑で夫婦逮捕 10カ月長女に暴行」
・「生後10カ月の長女を虐待し、26歳両親を逮捕」 
・「3歳次女の首締め殺害、容疑の母親を逮捕9」
・「重体の4カ月長女が死亡 母親逮捕」 
・「浴室で母親を殴打か 殺害容疑で24歳男を逮捕」
・「生後4カ月の娘を殺人未遂容疑 母親を逮捕」
・「妻の連れ子である10歳の女児の首を絞めたとして保育園園長逮捕」

「継母(ままはは)」ならぬ「ままパパ」の暴行。最近、母親が
連れ込んできた男に こどもが暴行されるという事件も多い。

殺人事件で、加害者のトップは「親」とのこと。なんてこった。


歌舞伎の題材でも「子殺し」はいくつかある。
『仮名手本忠臣蔵』では「加古川本蔵」が虚無僧となって
尺八を吹くと、「あれ『鶴の巣篭もり』。鳥類でさえも、
親は子を慈しむのに、人の世は・・・」と嘆くシーン。

ただでさえも子供が少ないのに、やっと生まれてきた子供が
親に殺されるとは、嘆かわしい。「朝起会」で 倫理を学ぶべし。


シルバー川柳 「立ち上がり、立ちどまり」

2017-10-17 22:17:50 | 虚無僧日記

『シルバー川柳』(ポプラ社)より、今日の一句

「立ち上がり、用を忘れて 立ちつくし」

ふむ、そうそう、トイレに行こうとして 立ち上がり、

前のチャックを下ろしたまま、用をたすのを忘れて

玄関のドアを開けて、外出してしまったことが、

一度ならず二度も。

ズボンのチャックが開いているのに気づいて、

「そうだトイレに行くの忘れてた」。

もう愕然。一人で赤面。

昨年の10月のこと。尿意はあるが出ない。出てもキレが悪い。

「これは・・・ひょっとして」と 思っていたら、旅先の

奈良ホテルで、背中が痛み どうにも たまらず。

床をのたうち回っていたら、ホテルの人が救急車を呼んでくれて、

奈良病院へ。

診断結果は「尿道結石」。自然に流れ出るのを待つしかないとのこと。

「一日2ℓの水を飲め」と云われて、三日三晩 水を飲んで出しました。



 


一休「婆子焼庵」の公案を解く

2017-10-17 04:57:10 | 一休と虚無僧

「一休」を語るのは“何回”だ?。いや“難解”だ。

一筋縄にはいかない。どう説明しても、一休は“違う
ちがう”と否定してくる。

一休について書いた書物は多いが、すべて、江戸時代に
書かれた「コミック誌」に影響されている。一休を解く
には『狂雲集』しかない。その裏を読まねばならないの
だが、それが見えないから“苦難”する。

『狂雲集』は、ただ彼が作りためた「漢詩」を綴った
ものではない。一休が「生涯、寺も職位も求めない
一介の乞食(托鉢)僧で終わることを志していながら、
最晩年に、意に反して?大徳寺の住持に就任したこと」
の真意を秘めた、壮大な自伝なのだ。

「一休の禅」は「婆子焼庵(ばすしょうあん)」の公案に
込められていると私は見ている。

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●「婆子焼庵」の公案とは

ある老婆が、一人の修行僧のために草庵を建て、
衣食住の一切を世話をして20年が過ぎた。
そこで「そろそろ いいか」と、娘を世話する
ことにした。すると 修行僧は「枯れた木が
寒い岩に立つように、私の心は燃えない」と
言って、娘の誘いをはねのけた。

娘からその報告を聞いた老婆は「20年も世話
してきて、まだ こんな生臭さか!」と怒り、
修行僧を追い出し、庵も焼き払ってしまった。

さて「婆さんの真意はいかに」というもの。

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これについて、一休は 詩を作って答えている。

   老婆心 賊の為に梯(かけはし)を過して、
  清浄の沙門に女妻を与う。
  今夜美人、若(も)し我を約せば、
  枯楊 春老いて、更に稗(新芽)を生ぜしめん。


「老婆」は、「世話焼き ばあさん」「老婆心」の
ことをいう。

つまり、一休は「婆さんは、泥棒に梯子を貸して
やるように、清浄な修行僧に女を与えようとした。
その老婆心を無碍に断るのもなんだ。娘は、青年僧に
惚れていたのかもしれない。その情をはねのければ、
乙女心を傷つける。仏道とは、ただ独り 枯れ木の
ように修行してればいいというものではない。
人の心に添い、衆生を済け導くのが僧の勤め。娘は
「甘露の仏性」であったかもしれない。「枯れた
楊(柳)の木も、陽春を受けて 新芽を生ずるか」と。

もひとつ、漢文学の世界では「美人」は、必ずしも
女性ではない。一休が しばし「美人」と書くときは、
「敬愛する大徳寺の開祖大燈国師」であったりする。

『狂雲集』のみに登場してくる「盲目の女性・森女
(しんにょ)」も、一休が恋い焦がれた“仏心”の
象徴であると、私は考えている。「婆子焼庵」の
公案を解くことは、一休の生涯の課題だったのだ。


薦を着て 誰人います 花のはる 芭蕉

2017-10-16 21:46:38 | 虚無僧日記

俳句のサイトで 見つけました。コピーさせてもらいます。

薦を着て 誰人います 花のはる

          芭 蕉(其袋・新春・元禄三)」

芭蕉の句でしょうか。この解説文です。

「初春の日、薦(こも)を着て 乞食姿 (こつじきすがた) の 僧が いらっしゃる。

 どなたなのであろう、あの 徳の高い方は」の意。

「薦(こも)」は「莚(むしろ)」のことで、莚をかぶっている僧は 乞食僧ということになる。

芭蕉は、「なほ 放下 (ほうか) して 栖 (すみか) を 去り、腰に たゞ百銭を たくはへて、

柱杖一鉢 (ちゅうじょう いっぱつ) に 命を結ぶ。なし得たり風情 終 (つひ) に

菰 (こも)を かぶらんとは」 (栖去之弁) といい、万物放下の乞食の境涯を求めた。
 

「乞食の中にも 立派な世捨人がいるものだ」という感慨を、西行の『撰集抄』に見える

「乞食僧」を思いかえす形で、真に風雅の誠を追求する人物へ呼びかけた句である。

 

はてさて、元禄の頃の 虚無僧は 天蓋は被っていなかった。

当時の『洛中洛外図』によると、「薦」を背負っているのは「薦僧」と

「巡礼」。諸国回遊する姿。その場に滞留している「乞食」は

薦を持っていない。

というので、「薦を着て」は、「虚無僧」のことと私は思うが、いかに。

  三十二番職人歌合 二十二番

この「薦」の歌

花さかり 吹くともたれか いとぶべき

            かぜにはあらぬこもが尺八、

 

芭蕉の句は これに関連しているように

思われる。


宮城道雄の記憶

2017-10-16 21:31:56 | 虚無僧日記

あれは私が何歳の時だったのだろう。たしか歌舞伎座だと思うが、
母親に連れられて歌舞伎を見に行った。暗い場面だった。上手の
四分の一ほどに黒い幕が下ろされ、そこに薄明かりに照らされて
琴を弾く男性の姿が浮かびあがった。母は私にそっと「宮城道雄よ」
と耳うちした。

幼い記憶では、大きな「平家蟹」が縁の下から這い出てくる場面を
覚えている。「宮城道雄」の作品年譜によると「昭和29(1954) 年
『平家蟹の舞台音楽』作曲」とある。では歌舞伎座での上演は、この
年昭和29年か、せめて翌年の昭和30年だったのだろうか。私はまだ
6歳か7歳、小学1年だった。宮城道雄のことは、強烈な印象で鮮明に
記憶している。私は、宮城道雄の演奏を生で見聞きした最後の世代
ではないだろうか。

翌昭和31年6月25日、刈谷駅東にて、列車からの転落事故で帰らぬ
人となった。翌朝、新聞各紙が一面トップで大々的に取り上げ、
母も「大変大変」と騒いでいた。演奏を見聞きした記憶もまだ新し
かったから、日本中が大騒ぎしていたことも記憶している。

それから40年後、宮城道雄が亡くなった刈谷市の豊田病院を
訪れた際、タクシーに乗って、「宮城道雄の遭難現場に立ち
寄って欲しい」と頼んだが、その運転手は「宮城道雄?知らない、
わからない」と言う。空しくあきらめたことがあった。

それから さらに10年、先日漸く「供養塔」のある公園に行ってきた。
事故の原因については、私なりに思うことがある。真実を知る宮城
喜代子も、すべてを胸の内にしまって逝かれたか。

その後の宮城会はいったいどうなってしまったのか。