現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

佐川急便さん

2017-10-16 21:27:17 | 虚無僧日記

佐川急便には格別の思いいれがある。
昭和50年頃、私の尺八仲間が 佐川に勤め、5年で家を建て、
会社を辞めた。「5年以上は勤まらない。体を壊す」と
言っていた。当時、20代で「月給50万、5年で家が建つ」と
聞いてびっくりした。しかしそれに値するだけの猛烈、
壮烈な働きだった。

私は、保険会社の広報部で社内報ビデオを担当していた時、
佐川急便の「社内報ビデオ」を見せてもらったことがある。

見せる対象は、社員ではなく、その家族。毎週各自が、その
ビデオを家に持って帰り、家族に見せる。一家の主人である
自分の夫が、父親がいかに会社で一生懸命働いているか、
家族の理解を得るためのものなのだ。

とにかくすごい。テーマは「他社よりも、引き取り時間は
遅く、配達は早く、料金は安く」。配達のかたわら企業に
飛び込んで、「どこの業者を使っているか。集荷は夕方6時
なら、当社は7時でいいです」。そして、「他社が翌日10時なら
9時に届けます。料金は、他社が1,500円なら、うちは1,300円で」
と、仕事をとってくる。新規取引先企業の獲得もノルマなのだ。

そして、その品物が、翌日9時までに高松まで届けられるまでの
ドキュメント。荷物を積んだトラックが、深夜東京を発って、
ひたすら東名、名神を走り、夜明けとともに四国大橋を渡る。
日の出に輝く橋を渡るシーンでは、思わず見る人から拍手が
起きる。約束の時間ギリギリに品物が到着した時には、「走れ
メロス」ばりの感動で、目頭が熱くなった。そのような映像が
毎週毎週作られる。佐川急便の社内報ビデオは、「社内ビデオ」
コンクールで大賞に輝いた。

佐川急便の猛烈な働きぶりを、私はビデオで鮮明に記憶した。
ところが、マスコミで叩かれてからの佐川はなんか、元気が
ない。「追いつけ、追い越せ」のライバル、くろねこ大和に
水を開けられているようだ。

我が家から車で北に2分、南に2分の二箇所に、くろねこの
営業所がある。留守をする時は「営業所留め」にして、
都合の良い時間に引き取りにいくのにも便利だ。

佐川急便は、時間指定もできず、いつも留守中に来る。くろねこ
なら、伝票にドライバーの携帯番号が書かれているので、すぐ
連絡をとって、夜9時までなら届けてくれる。佐川は、港区の
方から来るし、全く連絡がとれない。こちらも留守がちなので
時間指定ができない。

ヤフオクで300円で落とした筝の送料が、くろねこが700円のところ                                    佐川は8,820円!。
かつての「どこよりも早く、安く」の佐川はどうしちまったん
だろう。



ネットで間違い探し

2017-10-16 19:43:43 | 虚無僧って?

「虚無僧」で検索してみると、いろいろ間違った
記述が多い。それだけ知られていないのだ。

1.コスプレ大会の画像で「虚無僧」とあったので
 見てみた。丸笠の托鉢僧だ。またか、である。
 天蓋と尺八を持つのが「虚無僧」なのだ。
 中日新聞夕刊に連載の『遊女のあと』の挿絵も
 虚無僧は、天蓋はかぶっているが、下は普通の
 托鉢僧で錫杖を持ち、尺八は手にしていない。

2.「知らなくてもいいこと」というサイトには、
 「虚無僧が下げている箱に『明暗』と書いてあるが、
 あれは仏教とは関係ない。京都の明暗寺の会員で
 あることを示すものだ」とあった。
 うーん、半分当たっているような、当たってない
 ような。一応、虚無僧が祖師と仰ぐ普化禅師の偈
 『明頭来明頭打 暗頭来暗頭打』のを意味している
 から仏教に関係無くはない。もっとも「明暗」と
 書かれた偈箱を下げるのは、昭和のことなのだ。

3.「虚無僧は幕府の隠密だった」という記述は多い。
 その事実は無い。

4.法燈国師覚心を「東福寺の僧」という記述も。                                              現在、明暗寺は東福寺内にあるが、それは明治以降のこと。

詳しくは「邦楽ジャーナル」に連載中です。見てね


インターネット占い

2017-10-16 08:30:47 | 虚無僧日記

インターネットでの占い
私の前世は「色と銭と飯のことで頭一杯の人間」だったらしい。
今は「遊、遊、遊」なるほど、当たっているかもしれない。

この他、いろんなサイトがあって、見てみた。

「戦国武将で誰に近いか」は「石田三成」だった。「知力高く、有名
大学に入って一流企業へ、しかし、長に立つ器なし」ドキ!当たってる。

適職は、なんと「管楽器」ピッタシかんかん。虚無僧尺八の一路でござる。

「死亡推定年齢」というものまであった。
何歳で死ぬか。まず「性格悲観的」でクリックしたら76歳。あと7年か。
「性格普通」で再クリックしてみたら80歳。「楽天的」では86歳と出た。

なるほど、なるほど、“明るく楽天的に生きなきゃ”である。一休さんを
見習おう。一休さんは88歳まで長生きした。77歳で森女に恋いし、
81歳で大徳寺の住持になり、現在の価格で20億円もの浄財を集めて、
大徳寺を再建したのだ。頑張ろう!!


正座へのこだわり

2017-10-16 08:24:07 | 虚無僧日記

「ニューヨークで琴を教えているアメリカ人女性が来日し                                     『残月』を弾く」というので、聞きに行った。

驚いた。金屏風に緋毛氈の舞台で、ハイヒールを
履いたまま正座しているのだ。すごくつらそう。

外国では「人前で靴を脱ぐのは娼婦」という習わしが
あるらしい。靴を履いたままベッドインというシーンも
よくある。それくらい、靴を脱ぐことには抵抗がある
ようだ。

尺八を吹く外国人女性も増えた。CDも出ている。
そのジャケット。ロングドレスだが、片膝立て
だったり胡坐をかいている。でもなかなか美しい
シルエットだ。

そうなのだ。正座は日本でも江戸時代からの文化で
しかない。古代は、尺八は胡坐をかいたり、片膝を
立てて演奏するものだったのだ。韓国は今でもそう。

なにも正座しなければ吹けないというものではない
のだが、やはり正座にこだわる私である。

ところが、昨年の引っ越しで膝を痛め、正座もままならない。

今毎朝「朝起き会」に通って、一時間正座の特訓中。


怖くない「カイダン話」

2017-10-16 08:18:43 | 虚無僧日記

これから冬に向けての定番曲は「津軽半島冬景色」。

数年前、青森県、津軽半島の突端、竜飛岬に行った時のこと。
12月初めでまだ、あたりは枯れ草色。ところが、
竜飛岬に近づくにつれ、空はどんより雪雲に覆われ、
初雪が舞いはじめた。するとあれよ あれよ と一面
真っ白の雪景色になった。

竜飛岬にたどり着くと、そこには、石川さゆりの
『津軽海峡冬景色』の大きな石碑。前に赤いボタンが
あって、押すと、ドドドドーンと前奏が流れる。
『上野発の~』のはずが、いきなり二番『ごらんあれが
竜飛岬、北のはずれと~』から。

風が強く吹き、雪が舞う中、合わせて尺八を吹く。

さて、吹き終えて、国道339号をさらに進もうと
したら、車の通行不可。地図には載っているのにだ。
なんとそこは、日本で唯一「かいだん国道」と呼ばれて
いるところ。階段になっていて、車の通行はできないのだ。

「怖くないカイダン(階段)話」でした。

もひとつ、行ってみてわかったこと。

青函連絡船の航路からは「竜飛岬」は見えない。
怖いですね、思い込みって



仏陀「筏(いかだ)の譬(たと)え」

2017-10-15 08:52:20 | 虚無僧日記

仏典は「如是我聞(にょぜがもん)」(私はこのように聞いた)で始まります。

お釈迦さまは一言一句一字も残しませんでした。字が書けなかった?のではなく

「不立文字(ふりゅうもじ)」文字では伝えないという主義。それなのに

釈迦の入滅から500年、千年も経って、仏教徒を自認する人たちによって、

「私はこのように聞いた」と、何万巻もの経典が作られました。おかげで

ある宗派(禅宗)では「あの世などない、前世も来世もない」といい、

その他の宗派では来世を信じ、また天台宗では「人は死ねば皆仏になる(成仏)」

といい、ある宗派では「いやいや、悪事を働けば地獄に墜ちる」といい、

真言密教では霊魂を信じ、「祖先の霊が災いしている」などと。

あげくのはてに、「お釈迦さまは、その時その時、人を見て法を説かれた。

嘘も方便」と言い訳する。こんな話も

仏弟子の一人が、「私はお釈迦さまから『欲のままに行動しても、かまわない』と

聞きました」というと、他の一人が「とんでもない『欲は障礙(しょうがい)になる』と

私には云われた」と。そこでお釈迦さまに問うと。お釈迦さまは

 
「一人の旅人がいて、川のほとりに辿り着いた。対岸に渡るのに筏を作って
 
渡った。渡り切って、せっかく作った筏だから、次、また川を渡る時のために
 
この筏を背負って旅をしようか、置いていくかと迷った。君たちならどうするか?」と。
 
みな、「置いていく」と答えた。

釈迦は「こだわりの心から開放されるために、筏の話をした。尊い教えも
 
用が済めば捨て去るべきである」というです。
 
「毒蛇に例えれば、一匹の毒蛇を見て、しっぽを捕まえる人、胴の一部を
 
掴んで満足する人。それで安心してはいけない。蛇はすぐにクビスを返して、
 
毒歯で噛むであろう」とも。「悟りも時と場合によっては毒になる」という。            

泣かせる方が楽?

2017-10-14 19:26:02 | 虚無僧日記

先日のテレビ局ディレクターの問。「虚無僧は何のため?」に応えるべく

今の活動は「笑いあり涙ありの尺八漫談」。

「虚無僧が来る店は混むそうです」
「虚無僧怖そう」「北風吹いて虚無僧寒そう」
「虚無僧は僧であって僧でない」
「昼付けても今朝(袈裟)つけた」
などなどお寒いジョークを飛ばしている私だが、
年とるとギャグを言いたくなるらしい。「おやじ
ギャグ」と云われるように、ギャグを言うのは
年とった証拠だとか。

「人を怒らせたり泣かせるのは簡単。人に笑われる
ことも簡単。だけど、“笑っていただく”ことは
本当に難しい」とは、三遊亭歌る多さん。女性初の
真打だそうだ。
今落語が人気を盛り返しているらしい。人は笑いを
求めている。

「中年禿げやすく、髪生えがたし、一本の髪も軽んず
べからず」これはラジオで聞いたネタ。
(少年老い易く、学成り難し。一寸の光陰軽んずべからず)


執着する人の顔は醜い

2017-10-14 18:43:24 | 虚無僧日記

朝晩急に涼しくなった。冬が来る。

半年前、夏に向かって“冬物”はすべて捨てた。

セーターもコートも 厚手の下着も布団も。

禅の言葉で「放下著(ほうげちゃく)」。下着を捨てるではありません。

執着を捨てること。仏も経典も、悟ろうとする心も解き放つ。

自分までも捨て去る。もう来冬には、私の存在は無いと思っていた。

ところがどっこい、まだ生きている。困った。

そしたら、布団や毛布、冬服などなど次々と 提供して

くださる方がいて、部屋はもう満杯。

捨てれば、また入ってくる。

 

「執着のある人の顔は醜い。執着を捨てた人の顔は

晴れやかで、美しい」

「老醜」とは執着心に凝り固まった顔のこと。

執着心を捨てた顔をしていれば、いろいろなもの、人も

また寄ってくる。そんなものでございます。

 

 

西郷隆盛は「金もいらぬ、命もいらぬ、名誉もいらぬという人物が、

一番扱いにくい」といっています。自分までも捨て去った人は、

こわいもの知らずだというのでしょうか。



 

 


名誉、財産、知識、立場、主義等を捨てよというのではなく、持っている自分自身を捨て切れと教えています。
  何かと自己顕示欲の旺盛な昨今、「放下著」の語に参ずるのも必要なことです。

 物もたぬ たもとは軽し 夕涼み


虚無僧は誰のために?

2017-10-13 08:33:49 | 虚無僧日記

毎月一回、笹島の教室で、異業種交流の「結いの会」を開催している。

名古屋では著名なホテルの支配人、テレビ局のディレクター他

さまざまな職種の人が集まり、話は大いに盛り上がる。

昨日テレビ局のディレクターから云われたこと。

「虚無僧は何のためにやってるの?誰のために?

自分の美意識?、それだけでは番組にならない」と。

なるほど、名古屋市の助成金も「自分たちの満足のための

発表会は助成の対象外。自分たちの活動が一般市民に、

どのような影響を及ぼしているかが無ければ不可」。

「尺八の普及のため、虚無僧を知ってもらうため」ではダメ。

「尺八や虚無僧が 社会にとってなんの益になるのか」と

問われれば、返答に窮する。明治政府は「虚無僧は有害無益」と

断定した。今の世の中、虚無僧が社会のために有用となる要素を

見出さなければならない。

来週、〇〇小学校に招かれて、和楽器を子供たちに披露する。

それが和楽器のためではなく「子供たちに何を与えるのか」が

問われている。


もりたなるお 『虚無僧秘帖』 つづき

2017-10-12 20:40:31 | 虚無僧って?

毎夜、寒風の中、尺八を吹いていて、「もりたなるお」著
『虚無僧秘帖』」の最後「冬山氷人」の話を思い浮かべる。

虚無僧は、艱難困苦を柳に風と受け流す自然体。

氷人の吹く尺八の音は、朝霧夕霧に似て、静かに流れ
捕らえどころがない。今そこで消えたかと思うと、すぐに
天上で鳴り、一転して地中深く滲み込む。幽玄でも夢幻でも
なく、透明な音色は、氷人の飄然たる姿とともに、天然自然の
雰囲気を醸し出すのである。

虚無僧の門付けを迎える人は、天蓋で面を隠してはいても、
精神のいい虚無僧と、世俗の垢が染みついた虚無僧とを感じ
分けるところがある。言わず語らずとも純粋無垢は人の心に
伝わる。

結果として、報謝は他より多かったが、氷人は、報謝の多寡も
意中になかった。

虚無僧寺では、ならず者の虚無僧が酒と女におぼれている中、
肩肘張って清廉を貫くわけではなく、他と不協和音を起こす
わけではない。これぞ、変幻自在、臨機応変、自然体の普化禅の
妙諦である。


と、「もりたなるお」は、虚無僧のあるべき姿を見事に活写
してくれている。これぞ、私のめざすところだ。

「冬山氷人」は創作話だが、「伊奈村」の出身となっている。
伊奈の山中で、 氷を割って水行をしていた「竹坐」師を思い
浮かべずにはいられない。