私の子供の頃、昭和20年代、テレビはまだ無い。歌など
歌う機会はめったになかった。
幼稚園にはいって、歌の授業があった。手拍子を叩き
ながら歌を歌う。歌は手拍子を叩きながら歌うものだと
思っていた。いつも上手に叩けてほめられていた。
ところが、小学校にあがって1年の時、音楽の授業で歌を
歌う時、私は得意になって手を叩いた。すると先生が
「誰ですか!手を叩くのはやめなさい!」と。それまで
親にも叱られたことのない“おりこうさん”で通してきた
私は、皆の前で叱られたことに激しいショックを受けた。
それから歌は全く歌えなくなったのだ。歌ったことがない
から当然音痴だった。
NHKラジオにクラスで出演することになった。先生は
私に向かって「牧原、お前は歌わんでよろしい」と、皆の
前で命じた。もう音楽が恐怖でしかなかった。私にとって
音楽は「音が苦」となったのだ。
音楽の成績が悪いのを心配した親は、わが家にピアノの
先生を招いてピアノを習わせた。そのピアノも私にとっては
苦痛でしかなかった。
そんな洋楽に対するコンプレックスから、反動で尺八を
始めたのだ。尺八なら、大人も吹けない。音も出せない。
音が出るだけで自慢できる。優越感にひたれる。尺八は
自己流で覚えたが、好きこそものの上手なれ。ピアノを
習っていたことで、五線譜が読めたから、昭和40年代の
現代音楽興隆の波に乗って、活躍の場はたくさんあった。
というわけで、音楽音痴だった私が、今「尺八音楽」で
食べさせてもらっている。
音楽に才能が無かっただけに、人一倍の努力はした。
だからこそ、音楽がダメな人にも、どんな練習をしたら
よいか指導ができるのだ。
先月亡くなった井上さん。
1年前、「老人会で『刈干切唄』を歌うので、
尺八の伴奏をして欲しい」と頼まれた。家に
来てもらって、合わせてみたら、全くひどい
音痴なのだ。音程もとれない。間も悪い。
聞くと、「自分は歌が全くダメだが、子供の頃
『刈干切唄』を聞いて感動し、いつか自分も
歌ってみたいと思い描いてきた」という。よりに
よって、民謡の中でもこの歌は難しい。もっと
簡単な唄にすればいいものを、どうしても『刈干
切唄』を歌いたいとのこと。3ヶ月特訓した。
仕事で多忙の中、多いときは週3日も来て練習した。
尺八をテープにとり、毎日聞いて、音程と流れを
聞くことから始めた。発声練習では、ドレミファソ
ラシドもできない。根気よく練習を重ね、老人会で
みごと初舞台を踏んだ。案の定尺八とキィが狂っ
たが、そこはすかさず私が合わせてあげた。全く
歌えなかったのだから、彼なりには満足したこと
だろう。
長年の夢を一つかなえて彼は逝った。『刈干刈唄』
のせつない節が耳に残る。
私は音痴です。子供の頃、歌は全く歌えませんでした。
高校の頃、箏を習い始めましたが、調絃ができず、練習ができないので
断念しました。今でもチューナー無しでは調絃できません。
その私が、先日カラオケに行き、87点から91点。一緒に行った仲間の中で
トップの高得点でした。そこで「音痴は治る」と主張する私と
「音痴は絶対治らない、あなたは、元々音痴ではなかったのだ」という
Fさんと論争に。Fさんはカラオケに行っても全く歌わない。「自分は
音痴で歌えない」という。
それでネットで検索してみました。
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一般的に「音痴」と言われる人のほとんどは生まれつきのものではなく、
育った環境に影響された後天的な原因によるものです。正しい音を出す
トレーニングをやってこなかったというだけのことが多いのです。
ですからほとんどの人は正しいトレーニングを量的にこなしていく
ことによって直すことができます。
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はい、私もその一人かも。子供の頃はテレビもテープレコーダーも無く、
レコードはクラッシック・オーケストラの曲のみ。ラジオで流行歌など
聴く機会は全くありませんでした。歌うのは小学校の音楽の時間のみ。
これでは歌えなくて当然。
○音痴診断
1.相手の声を聞いて、全くまねできない。
2.話し方やアクセントが変といわれる。
3.調子っぱずれとよくいわれる。
4.人に指摘されないと音がはずれたのに気がつかない。
5.リズムがとれない。テンポ感がない。
6.いつも決まったところで音程がはずれる。
7.人前でドキドキして度胸がない。
○音痴になりやすい人
1.家族など、まわりに音痴の人が多い。
2.集中力がなく、めんどくさがり。
3.ものまねを全くやれない。
4.あわてもので、人の言うことをよく聞かない。早合点しがちだ。
5.体まかせ、声まかせでシャウトする。
6.人より歌を知らない。
7.歌う経験が人より少ない。
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ふむふむ、Fさんはすべて該当する。
私もそうでした。父が音痴、妹も音痴。音痴は遺伝するから自分も音痴と信じていました。
歌を聴いても全く覚えられない。今もそうです。尺八曲の暗譜ができません。
さて、そこで私はどうやって、音痴を治したか。
22才の頃、チューナーが発売されました。当時初任給が5万円の時、2万円も
していましたが、必需品ですから買い求めました。その後、どんどん性能も
良くなり、安くなって、何度も買い替えました。チューナーは今でも
手放せません。曲の出だしなどは、チューナーで確認します。
尺八は特に気温に左右され、またその時の気分で、メったりカったりで
±10ヘルツもずれますから、絶対音感の無い私は、必ず確認します。
曲を数回聞けば覚えて、歌える人もいます。うらやましいですね。
暗譜できない私は、「暗譜できない」との思い込みを口実に、暗譜する
努力もしていませんでした。できないなら人の何倍も何百倍もの努力が
必要です。毎日、プロの演奏テープを聞いて、500回聞いた頃、ようやく
それに近づくことができるようになります。それでも暗譜できない私です。
あきらめない、努力するしかありません。
そして、練習も毎日1~3時間。ピアニストになるには、一日10時間練習をすると
いいますから、それに比べたら、多くの尺八家は、十分の一も練習しないでしょぅ。
山本邦山氏も云ってました。「尺八家は 一つの曲30回も吹かない」と。
たしかに、数回吹いただけで舞台に出る素人ばかりです。これでは、
良い演奏ができるわけがない。素人ほど練習しない。
というわけで、すべては練習次第。
「素人は知ろうともしないで、練習もしない。玄人は練習を苦労とも思わず
ひたすら続ける」。その時間の差ということですか。
「必ず水を掘り当てるという井戸掘り名人がいた。
彼がやったことは、水が出るまで掘り続けること
だった」
そうだ、虚無僧に出て、お布施がゼロということは無い。
お布施いただくまで吹いていればいいのだ。
莫大な投資をして金の発掘を行なったが、鉱脈に
当たらず、あきらめて破産した人。その廃坑跡を
買って、ちょっと数センチ掘ったら金脈にぶつかっ
たというラッキーボーイの話もある。
「めぐりあい、少しだけ遅いだけなの」。
テレサ・テンの歌大好きだ。
2月14日 俳句の句会に呼ばれている。
俳句など作ったことが無い。さて困った。 「はい」と答えたものの「はい苦」だ。
俳句といえば、「古池や蛙飛び込む水の音」
「ひとつ家に遊女と寝たり萩と月」を思いだした。
よしできた。
「古家に虚無僧寝た(ネタ)り、禿げと月」
虚無僧で旅していて、廃屋に忍び込み一晩
明かした。天蓋を取れば禿げ頭。破れ天井
からは月が見える。どうだ!
だめ?季語が無い?それなら、もう一句。
「春の海、ひねもす寝たり寝たりかな」というのが
ある。ウン、これでいいなら、
「春の夜に、虚無僧寝た(ネタ)り寝たりかな」
尺八吹くと眠くなる。吹きながら寝ている。いや
寝ながらでも、吹ける私である。
北風が吹く。ビル風がすごい。それにもめげず
尺八を吹く。
「虚無僧さん寒そう」
「いえいえ、着物は暖かいですよ。手甲、脚絆
に足袋、それに天蓋。頭から足の先まで覆って
いますから。それより、股下3cmの超ミニスカート、
ミニパンで素足をさらしている娘さん方の方が、
よっぽど寒そう。見ている方は熱くなりますがね。
それで、あれホットパンツって云うんでしたっけ?」
「ほっといて」
「綾小路きみまろ」のパクリ。
浅草は雷おこし、大阪は粟おこし、名古屋は
掘り起こし。私は「道路工事あやまろ」。
体は袋小路。頭はハゲカミ(禿げ髪)王子。
後ろ髪だけ伸び放題。
「髪切れんのか!?」「はい噛み切れんのです」
電気はつけっぱなし、ドアは開けっ放し、鍵は
付けっぱなし。カツラも着けっぱなし。
釧路は湿原 私は失言 マリモは阿寒湖 リニモは
アカン。
虚無僧こけたら、天と地が、お、しゃかさまだ
早くトイレに行っといれ、
虚無僧が寺の東司(トイレ)に飛び込んで用をたしたが、
紙がない。「たれぞ、紙はあるか」「ここは寺だから、
かみ(神)はいない」「いや神じゃない 紙だ」
「なんまいだ? なんまいだ?」「お し(四)まいだ」
文珍の落語から
「あんた働いてますの?」
「あかん、うちはブラック企業や」
「色があるだけいいですな。うちは無色(職)や」
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先日あるテレビ局に行った時のこと。一階ロビーで、
就活の学生が面談していた。仕事の内容よりも、
「定時に帰れますか? 残業はありますか。残業代は
きちんと支払われますか? 土日は休めますか。
有給休暇はきちんととれますか」と
それぱかり聞いている。
私としては、あきれた。テレビ局の仕事で残業がないわけは
ない。そのくらいわかるだろう。
社員の方は「突発的な事件が起きた時は、夜でも取材に
行ってもらうことはあるけど、そんなことそうあることではない」
などと、丁寧に受け答えしていた。
こんな学生は、絶対就職できないだろうと 私は思うのだが、
今は時代が違うらしい。「働き方の改革」とか。
電通の若い女性が自殺したことで、各企業が労働環境の改善を
求められている。学生の方は、志望する企業が、労働環境の
改善にどれだけ取り組んでいるかを、堂々と問える時代になった
のだそうだ。
これは中日新聞に掲載されたパリ駐在員からの特派員便り。
フランス人が作ったジョークです。それに私が手を加えました。
ある日、キリストとお釈迦さまが お忍びで日本に来られた。
観光客に扮して、日本料理店にはいられた時のことです。
お釈迦さまが お品書きを眺めていると、中居さんやってきて
「さかさまです」と。お釈迦さまは、「なんで私がお釈迦さまと
わかったのだろう」と首をすくめた。その後の中居さんの
親切なおもてなしに、キリストが尋ねた。「なんでそんなに
親切にしてくれるのか」と。すると中居さんは答えた。
「お客様は神様ですから」。キリストはびっくり。
「なんで私が神様とわかったんだろう?」
そこへお店の女将(おかみ)さんが挨拶にや ってきた。
「私がここの女将(おかみ)です」と。キリストはまたまた
びっくり仰天。「おかみ(神)?? オォ マイ ゴッド!」
日本人は、神も仏もキリストもみな素直に受け入れているのです。
大日如来は天地創造の神。あらゆる諸仏に変化する。釈迦も
阿弥陀も薬師も、天照大神も諸々の神もみな大日如来の化身と
解釈されるようになった。
ということは、大日如来は天地創造の神、God であり ゼウスで
あり、アラーなのだ。
「あらぁ~」
加山雄三の話を聞く。
「典型的な慶応ボーイ。若大将」として人気絶頂の33歳の時、
母親の小桜葉子が亡くなり、茅ヶ崎のホテル・パシフィックが
倒産した。
「舞台では笑顔をふりまいて、舞台裏では債権者に土下座
して謝る、辛かった。そんなときに結婚。(妻は松本めぐみ)。
マスコミは「こんな時に何考えてるのか」と「加山雄三結婚
事件!」と報道。仕事も無くなり、人も皆、サァーと離れて
いった」と。
よく奥さんが、支えてくれたものだ。「子供の育児も
二人で分担。3時間ごとのミルクは、交代で やれば
6時間ずつ眠れる」と。
加山雄三は『理想の父親』ナンバー1 になったことも。
「朝は5時半に起きて、奥さんと朝ごはんの支度。子供4人、
小学校卒業までは、毎朝、全員そろって食事をした」
とのこと。
借金は10年で完済した。それまでの努力、苦労話がすごい。
「人生、誰にも辛い時、大変な時はある。おばあさんが
言っていた『享楽は失うものが多く、苦しみからは得る
ものが多い』」とか。「99 % 苦しくとも1% の喜びが、
辛い苦しみを払拭してくれるのだ』等など、一言一言、
勇気を与えてくれるいい話だった。