現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

ボランティア演奏は美徳?

2020-03-23 10:22:34 | 虚無僧日記

写真の説明はありません。

朝日新聞の記事

東日本大震災後、有名アーティストがボランティア演奏をして話題となり、我々のような一流でない演奏家は無報酬が当然とされるようになってしまった。この記事にある通り、尺八という特殊技術に対する対価は全くいただけない。そしてここにきて、新型コロナウィルス騒ぎで、今月は仕事ゼロ。収入ゼロ。

それで今日も虚無僧に。3時間吹いて、お二人様で11円。全くゼロという日はないのも不思議だが、虚無僧に布施する奇特な人は少なくなった。吹きながらいろいろ考える。なんで虚無僧やってるんだろう?考えてみた結論は。

1.今やらなければ、虚無僧という存在が全く忘れ去られてしまう。日本では古来、乞食も聖とみなし、布施することで徳積みをさせていただくという教えがあった。仏教でいう慈悲の心だが、それが消えてしまう。

2.尺八の練習のため。街頭は良い練習場所。いかに足を止めてもらえるか、心に響く演奏ができるか、真剣勝負である。その修行をさせていただいていると思えば、無償でもいいか。

 


憂国の士[三島由紀夫]

2020-03-22 15:06:05 | テレビ・映画・芸能人

「三島由紀夫vs東大全共闘」の映画が公開された。

https://youtu.be/M0Q2nigaY_M?t=5

1969年5月13日、東大駒場キャンパス の900番教室で、1000人を超える学生たちを相手に三島由紀夫が討論を行ったその記録映像。

三島といえば 極右。それと極左の対決だが、双方に共通する一致点が。それは、三島も 戦後の日本の繁栄の裏に、失った「日本人の心」を嘆く「憂国の士」であった。

「右翼」の根幹は「反共、愛国、そして親米」だが、三島はそれとはまるで違う。三島にとっての敵は「経済繁栄にうつつを抜かし堕落してしまった日本」そのものだった。ヤルタポツダム体制によって去勢され、米国の属国になった日本、魂を失った日本人こそが、三島由紀夫の怒りの標的だった。その思想の根底には、左翼学生との共通項が見い出せた。

この討論の1年半後、三島は割腹自殺した。

「三島由紀夫」の画像検索結果

その日、私は 1970(昭和45年)11月25日、私は慶応の三田校舎で授業を受けていた。すると遅刻してきた学友からメモで「三島由紀夫が自決した」ことを知らされた。あの時の衝撃は忘れない。

三島由紀夫は身長163cmと小柄、病弱で徴兵検査にも洩れた。
その劣等感が彼を、剣道、居合い、合気道、そしてボディビルに駆り立てた。

35歳で筋骨隆々。褌一本のヌード写真でその肉体美を誇示し、また模擬切腹シーンを撮らせている。三島は「腹を切る時、脂肪がついていると切れない」。また、「脂肪があふれ出るようなぶざまな死に方はしたくない」とも語っていたという。



「人は死ぬために生きる」言い換えれば「人は死に際をどうするか、それまでの生き様が問われる」というような言葉には、私も同感だ。

三島は老いて老醜をさらすことを忌み嫌った。その言葉を、三島と親しかった川端康成も敏感に受け止めていたようだ。川端康成もその後60歳を一期に自殺した。

三島の必死の要求を自衛隊員は嘲笑と揶揄の怒声で封じた。彼の命を賭しての行動は茶番に終わった。「隊員を制して、静かに耳を傾けるように命ずるべきだった」という自衛隊の幹部もいた。

https://youtu.be/bprGPmEwiw0?t=5

 

 

 

 

三島の死から50年が経ち、すべては風化したかのように思える。だが、三島が死を賭して訴えた「憲法改正、自衛隊の明文化」は、今ようやく安倍政権によって成されようとしているが、これも賛否両論なかなかに進まない。

 


オウム真理教 林郁夫君 

2020-03-21 08:46:20 | 社会問題

1995年3月20日のオウム真理教による地下鉄サリン事件から25年。

6000人余りが重軽傷を負った。

つい先日、後遺症で寝たきりとなっていた浅川幸子さん(56)が亡くなられたとのニュース。地下鉄サリン事件での死者は14人となった。 

 

25年前のあの日、私47歳。中目黒にあった千代田生命の本社広報部に勤務していて、毎日埼玉県越谷市の社宅から地下鉄日比谷線で通勤していた。

毎朝6時に家を出、8時前には出勤していたから、私は難を逃れた。

広報部でテレビにスイッチを入れると、「地下鉄日比谷線がストップしている」とのニュース。千代田生命の社員も多く乗っていた。未だに後遺症で苦しんでいる仲間がいる。


この事件によって、オウム真理教の一連の犯行が明るみになり、逮捕者が次々に出た。その中の一人、「林郁夫」逮捕のニュースに関連して「慶応中等部」の写真がテレビ画面に出、驚いた。ベランダに全生徒が並んで撮った卒業アルバムの写真で、その中に私も居たからである。顔は ぼかされていたが、見覚えのある写真だった。

「林郁夫」は慶応中等部で私の1年先輩。美術部で一緒であり、写生旅行などを共にしたことがあった。結婚した相手が、これまた1年下の○○さん。ニュースでもさんざん報道されたが、有名な俳優の姪。「慶応のOB名簿」を見ると、夫婦共に、就職先が「オウム真理教内病院」となっていた。

「林郁夫」先輩は、優しい、生真面目な人だった。成績優秀で慶応医学部に進み、慶応病院に勤務していた。石原裕次郎の主治医でもあったとか。まじめ過ぎて、「病を治すのが医者の役目なのに、現実には多くの人が亡くなっていく。西洋医学では治せない病をなんとか、ヨガや超能力で治せないものか」と、彼なりに真剣に悩み、オウム真理教に救いを求めた。

「たいていの菌は53度で死ぬ」ということで、オウムの信者を53度のお湯に入らせたりしたこともあったようだ。

しかし、麻原教祖の言動に「何か変だ、おかしい」と思うことは何度かあったとも。その違和感を覚えたときにすぐに脱会していれば良かったのだが、それを問われて、「自分の選んだ道が間違っていたと認めることができなかった」と述べている。

サリンの製造という最も大きな役割を担っていながら、ただ一人「無期懲役」で死刑を免れた。「彼の自白が、事件の解明を助けた」という理由らしいが、自白で刑が軽減されることは、(今は改正されたが)当時の法制度ではありえなかった。慶応という学歴、親族が有名人ということでの特別扱いともとれる。

判決を下した山室恵裁判官は「法廷で号泣した姿を見て、悔心の情著しい」と判断したという。しかし、後日、法廷の職員から「騙されてませんか」と云われて、迷いも出たが「自分の下した判決が、間違っていたとは思いたくない」と
述懐している。(私の母方の姓が「山室」なので、贔屓にしたくなる)

一連の事件で2018年7月、元代表の松本智津夫元死刑囚=執行時(63)=ら13人の死刑が執行され、林郁夫君だけが今も収監されている。 



呪われたオリンピック

2020-03-19 23:05:08 | 社会問題

麻生副総理が、こう発言したそうな。

「札幌で冬季五輪が開かれることになったのが1940年。それが日中戦争でパーになったんですな。

その40年後の1980年のモスクワ五輪。半分吹っ飛んだ。(日本も参加せず)

それで今回40年経つと2020年。今年です」

 

??1940年(昭和15年)は冬季札幌オリンピックだけでなく、夏期の東京オリンピックもです。それが日中戦争の渦中、満州国建国に対する世界の反撥もあり、また日本国内でも軍部の反対もあって、返上となった。

東京への招致に尽力した嘉納治五郎氏が 1938年(昭和13)エジプト・カイロで行われたIOC総会からの帰国途上、船内で肺炎にかかり死去というのも因縁めく。

 

1980年のモスクワ大会は、ソ連がアフガニスタンに侵攻したことで、アメリカ・西ドイツなどの西側諸国がボイコットすることになり、日本も同調して不参加となった。この時、私の尺八の友(琴古流,柳内調風門下)の森脇保彦君(国士館大学)は 軽量級でオリンピックに出場が決まっていたが、幻のオリンピック選手になった。あの時の衝撃は忘れない。金メダル確実といわれていた山下泰裕氏は泣いて「参加」を懇願したが、アスリートの気持ちなど無視して、当時のJOCは不参加を決定した。まさに、アメリカに気遣った政治がからんだ事件だった。イギリス選手は「不参加」の決定を無視して個人で参加したそうな。

森脇保彦君は、翌年1981年マーストリヒで開催された世界選手権で優勝。実力のほどを示したが、オリンピックの金メダルを取れなかったのは悔やまれる。

彼は尺八も上手く、「柔道の試合の前には必ず、控室で静かに尺八を吹き、気持ちを静める」と語っていた。“国士館で柔道の選手” と聞くと、荒くれ猛者を想像するが、彼はそんな素振りは全くみせず、いつも物静かな紳士だった。尺八の音がモスクワに届かなかったのが残念。今ではモスクワでは尺八も盛んになっている。

 

 


政治に利用されるオリンピック

2020-03-19 22:48:31 | 社会問題

聖火リレーは、1936年のベルリン・オリンピックからだそうだ。

ドイツは、ギリシアからアルプスを越えてベルリンまで、3000人のランナーを立て、走行距離と時間を綿密に調査し、みごと開会式に間に合わせた。
成功の影には、それはそれは大変緻密な準備作業がなされたのだ。

そして、その後、ナチスドイツはそのルートを使って大軍を南下させ、シナイ半島へ速やかに攻め入ることができた。聖火リレーは軍事目的のためだったのだとか。

オリンピック憲章ではオリンピックの政治的利用は禁止とされている。

オリンピックは、「平和の祭典」だの「政治とは分離」などと云っているが、各国とも政治利用してきた。

 

新型コロナウィルスの猛威に、2020年東京オリンピックの開催は絶望的。現状ではヨーロッパはじめ、各国とも選手団の派遣はできないだろう。国と国の往来が遮断されているのだから。

さてさて、オリンピックで一儲け企んだ連中に、神の鉄槌か。


刀を右に!変なイラスト

2020-03-19 22:21:42 | 虚無僧って?

尾張徳川園が制作した小中学生の夏休み宿題用のチラシに
侍のイラストが描かれていた。なんと刀を右に指している。
日本人だったら絶対にありえない。以前「新撰組」の映画で
「坂本竜馬を斬ったのは左利きで、刀をいつも右腰に指して
いた」という設定になっていたが、考えられない。

変なポスターもよく見かける。名古屋駅の地下通路で見た
虚無僧のイラストは着物が左前(左を内側にする)になって
いた。
スキー場の宣伝ポスターで、鎧武者がスキーを履いているの
だが、なんか変、鎧を前後逆に着けているのだ。

鼓を左肩に乗せている写真、お筝を左右逆にして弾いている
写真などはしょっちゅう見る。またか!である。
制作スタッフは、ちょっと専門の人に聞くか、調べればいい
のにと思う。日本人がもう日本人でなくなっているのだ。


アントニオ猪木 77歳 [最後の闘魂]

2020-03-15 09:59:09 | テレビ・映画・芸能人

伝説のプロレスラー・アントニオ猪木 77歳、喜寿を迎えて、

 元気ですかー!!
 元気があれば何でも出来る。
 アントニオ猪木です。
 ユーチューバーになります!
 アントニオ猪木「最後の闘魂」チャンネル
 登録をよろしく!

と呼びかけている。
アントニオ猪木「最後の闘魂」
https://www.youtube.com/channel/UComGgtc9jFMmhR3qDCOsbXQ[リンク]
https://youtu.be/42302BbkqNI



「アントニオ猪木」。横浜生まれで 12歳の時、一家でブラジルに移民した。力道山がブラジルに興行に行き、「猪木」を見出して、連れて帰り「日系二世のブラジル人」という触れ込みで売り出した。横浜の時の同級生が写真を見て、訪ねてきたが「知らない」と押し通したそうな。

その「猪木」、力道山からは、なにかにつけ「ブラジル野郎!ブラジルに帰れ」とののしられ、殴られ、虐待されていた。それでも現在 猪木は「今あるのは力道山のおかげ」と感謝しているという。今は、「褒め育て」、世の中 甘くなった。力道山から 褒められたことなんかなかった。叱られ怒鳴られ、そして強くなったと語っている。

“いじめが”どうのこうのと ゴタゴタ言ってる 連中に聞いてもらいたい話。


ところで、アントニオ猪木は、一休宗純の言葉として

「この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 
危ぶめば道はなし  踏み出せばその一足が道となり 
その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ」

という詩を“座右の銘”にして、試合前にリングで朗読したり、講演でも話している。喜寿の祝パーティでも最後に歌っていた。

ところが、「一休」研究50年の私としては疑問を呈せざるを得ないで。一休の史料の中には、この詩は見当たりません。一休の言葉としてもおかしい。全くのデタラメです。
ネットを検索して、「清沢哲夫氏の詩の改変」とのリークがありました。
なぜ「一休の作」と公言しているのかが 謎です。

ま、力道山の試合も、興行として面白くするために、事前に勝ち負けのシナリオが取り交わされていたとか、 すべては虚構の世界。


虚像の「力道山」

2020-03-15 09:51:29 | 社会問題

ネットを検索していて「力道山は朝鮮人だった」と初めて知った。日本名は「百田 光浩(ももた みつひろ)」だが、朝鮮名は「金 信洛(キム・シルラク)」。そのことは、公然の秘密だったようだ。相撲界に入った時は、朝鮮人として登録され、「朝鮮人、朝鮮人!」と差別を受け、「朝鮮人は横綱になれない」との不満から プロレスに転向したようだ。

そして、得意の空手チョップで外国人レスラーを次々にやっつける雄姿は、敗戦国の日本人にとって「ヒーロー」となった。日本人のヒーローは「日本人」でなければならず、そこで「力道山」が朝鮮人であることはひた隠しにされたのだという。なんだか悲しい話だ。

2004年、韓国映画で『力道山』(ソン・ヘソン監督)というのがあったそうな。韓国人の監督により、韓国人の俳優が演じた。相撲界での差別に暴れまくる力道山、外国人レスラーをなぎ倒す力道山に涙を浮かべて狂喜する日本人、力道山の
真実をあますことなく再現した映画。その映画のキャッチフレーズが「日本人が一番力道山のことを知らない」とあった。本当にその通り。

力道山は、殺される半年前、日航の国際線スチュワーデス「田中敬子」さんと結婚していた。その「田中敬子」さんが『力道山の真実』(力道山の妻、田中敬子)
という本を出版している。

「婚約が決まり、『朝鮮の出身だ』と初めて打ち明けられたとき、主人の涙を見ました。泣いたのを見たのは 私がプロポーズを承諾したときと2回だけです」。

「死の真相」についても、「手術後も暴飲暴食をしていたから」というのは嘘です」とのこと。どうやら、「常人とは異な体格、腹筋の厚みに、麻酔薬を2倍投与したため」とか。

手術室に入る前の最期の言葉は「オレはまだ死にたくない」だった。

田中敬子さんは『力道山の慟哭』という本も出している。

亡くなる前の力道山は、すでに40歳を越え、体力にも翳りが出てきていた。

「どうせ死ぬなら リングで死にたい」と洩らしていた。

力道山が刺される2日前、昭和38年12月6日、名古屋の金山体育館での控え室で「片輪者になって生きていたってしょうがない。恥さらしだ。本物のポンコツになってしまはないうちに引退しないと」としんみり語っていたそうな。

その時、力道山は 右腕の筋を切って、空手チョップの威力もなくなっていた。「空手チョップのない力道山なんて意味がねえ!」と力道山は自嘲した。

12月8日は「パールハーバー、真珠湾攻撃の日」。この日力道山は相撲協会の高砂親方ら相撲関係者の来訪を受けた。「大相撲のロスアンゼルス興行」を、興行師としても実力をつけていた力道山に頼みにきたのだった。かつて自分を追い出した角界が、自分に頭を下げにきた。力道山にとっては嬉しい出来事だった。力道山は上機嫌で料亭に親方達を招待し痛飲したという。その後、TBSのラジオ番組は酔っ払って収録ができなかった。その後、力道山は赤坂のニュー・ラテン・クォーターに向かった。そこは行き着けの店ではあったが、力道山のバックにある「東声会」とは対立する「住吉連合系」の“シマ”で、その「村田」とは
以前からトラブルがあった。泥酔していた力道山は、この「村田」に「足を踏んだ」と言いがかりをつけ、袋叩きにした。先に手を出したのが力道山だから、村田は正当防衛だが、“ヤクザもん”だから「7年」の判決となった。


力道山を刺した男

2020-03-15 09:47:50 | テレビ・映画・芸能人

スーパースター「力道山」は、1963年(昭和38) ヤクザの村田勝志に刺されて死んだ。

ネットで検索していて、面白い記事を見つけた。「村田勝志」本人から直接聞いたという話。

昭和38年といえば、東京オリンピックを前に日本中が湧いていた年。

赤坂に「ホテルニュージャパン」というホテルがあった。後に火災を起こし、千代田生命が購入して倒産に追い込まれた原因のひとつとなったホテル。政治家の藤山愛一郎がオーナーだった。

その地下に「ニュー・ラテンクォーター」と言う高級クラブがあった。「ポテトチップなどのつまみだけで一人5万円」
(今なら30万くらい)と言う。

そこの前身の「ラテン・クォーター」には、インドネシアの故スカルノ大統領夫人となった「デビ夫人」も勤めていた。
デビ夫人も当初は千代田生命で給仕をしていた。

そこの用心棒をしていたのが「村田勝志」だった。

事件の発端は、入口付近で、泥酔した力道山が女と話しをしていて、その前を「村田」が通り過ぎた時に、力道山が「足を踏まれた」と後ろから村田の襟首をつかんだ。

「村田」は「踏んだ覚えはない」と言い返したのだが、力道山は泥酔状態で村田と口論となった。力道山は、酒癖が悪く、「ぶっ殺してやる。」と村田を張り倒し、馬乗りになってボコボコに殴ってきた。あの空手チョップでやられたらひとたまりもない。「殺される」と感じた「村田」は、登山ナイフで、下から力道山の腹を刺した。

短刀は根元まで刺さったが、出血はあまりしなかった。力道山がひるんだ隙に 村田は現場から逃走。力道山はいったん席にもどり、脇を抱えて飲みなおした。やがて出血がひどくなって 近くの山王病院に行き、応急手当を受けて帰宅した。

事件から2日後、力道山は腹部の症状が悪化したために山王病院に入院。手術は無事に成功した。しかしその約6時間後の午後の9時過ぎに死亡したのであった。

死亡原因は、気管内チューブの気管挿管を失敗して窒息した医療事故と言うことになっている。が、真相は麻酔の投与過多だったそうな。

加害者の村田氏は、懲役7年の刑を受けた。その後、チンピラだった村田勝志はその後「住吉連合系」の組織「村田組」の組長になった。


力道山は性格的には粗暴で、感情の起伏が激しく、機嫌が悪いと飲食店での暴力沙汰は日常茶飯事だったという、

“国民的アイドル”“人気スーパーヒーロー”が、ナイフであっけなく逝ってしまったことに、当時の国民大衆は多いに嘆き悲しんだものだった。が、その素顔を知って、今、さもありなんと思う。


オリンピックは中止か

2020-03-14 22:42:42 | 社会問題

以前書いたブログです。

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「滝川クリステル」の「お・も・て・な・し」が「流行語大賞」に
選ばれたことで、今あらためて、「オリンピック招致IOC総会」
でのスピーチをネットで見てみました。

「滝川クリステルのスピーチが東京招致の決定打になった」とか、「東京招致の女神」などと賞賛の声が多い一方で、“不快”の声も。

「『お・も・て・な・し』の最後にみせた「合掌」に違和感。
日本人が手を合わせるのは 神・仏に祈る時か、死者に対して、また特別に悪い失敗をして謝罪する時、そして相手に媚びる時であって、人と人との対等の場で、挨拶の作法として手を合わせることはない。タイやインドなどと混同されて、合掌が日本人のふだんの挨拶のしぐさと誤解を招く」と。言われてみれば、その通り。

(あの演出は、イギリス人のコンサルタントの意向だったそうな)

その「おもてなしの例」として挙げた内容にも、私は「?」です。

まず「失くし物はほぼ確実に戻ってくる?」。
私は過去3回財布を失くしましたが、3回とも“出てきません”でした。

東京は世界で最も安全な都市?」。
秋葉原の無差別殺傷事件をはじめ、ひったくり事件は激増。都内の「ひったくり事件」は月150件以上だそうです。「安全神話」に騙されないよう、お気をつけください。

公共交通機関。街中の清潔さ?」。

名古屋と比較すると、渋谷はゴミだらけ、ホームレスのションベンの匂い。山手線の中にもホームレスがいて、とても座席に座る気にはなれません。

タクシーの運転手の親切さ?!」。

だいぶ昔の話ですが、
わざと遠回りして、料金をぶったくられたり、いかがわしい店や宿を紹介されたり、いやな体験を何度もしています。ですから、私は 今も 東京では 絶対タクシーには乗りません。今は改善されたのでしょうか。

安倍晋三首相」のプレゼン
「フクシマについてお案じの向きには、私から保証をいたします。状況は統御されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも及ぼすことはありません」。

これも大嘘。嘘で招致したオリンピックにうすら寒さを感じたのは  私だけでしょうか。

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この時、私は、東京でオリンピックが開催されるというイメージがわきませんでした。

今まで、演奏会や大きな行事で、こういう気持ちになった時は、必ず 中止になってきました。

私と同じことを予言した人もいます。この招致発表の時、テレビ画面に黒いバッテンが見えた。これは開催されないという暗示だと。