おぢのニセコ山暮らし

山暮らしと世間のあれこれを書き綴ります

昭和46年発刊「赤線座報」

2015年01月29日 | Weblog

 

午前7時の気温はマイナス8度。

ふあふあ雪がジャンジャン降ってます。

昨夜から今朝にかけての積雪は10センチみ満たないですけど、いい感じのパウダーなのです。

スキーに行きたいのですが、きょうはしっかり仕事なのです。

残念!!

今朝は寝坊いたしました。

水曜恒例のズンバでドンと疲れためでしょう。体力が落ちたのかもしれません。

でもって、ギリギリ6時10分に起床して、Eテレ朝の体操をしたのですが、体がたいしたよく動く。

有酸素運動はもちろん、筋トレなど無酸素運動も大事だなぁと思ったりも。

なかでも肩甲骨周りが柔らかくなると、可動域も大きくなるし、姿勢もしゃんとなる。

パソコンの前にいると前かがみになるわけで、その時間は減らさんとヤバいようです。

ってパソコンに前に座っていて、いうのもなんですがね。

ところで、

札幌の旧友Sから「赤線座報」(せきせんざほう)というのを送っていただきましたです。

そう、これは昭和46年10月30日付で発行した、おぢの旧友の皆さん執筆のミニコミ誌。

B4版でなんと8ページもあって、それもいまの若い人ならだれも知らない「ガリ版刷り」なのです。

文書を「ガリをきって原紙をつくる」ところから始まるたいそうメンドイ作業なのです。

ロウの塗られたペラペラした原紙を、ヤスリ状の板の上に乗せて、鉛筆状のとがった針のようなもので原紙にガリガリと文字を書くというのか、彫る作業なのです。

ここから「ガリ版印刷」などと呼ばれたものです。懐かしい!!

ガリを切り間違えたら、修正液というのがあって、ニス状の液体を塗って乾かしてからまたその上に書き直すのです。

この原紙ができると、木枠にスクリーンが付いた印刷機にセットし、上からインクを付けたローラーで1枚1枚印刷するのです。

考えてみたら、70年代までは簡単な印刷といえば、このガリ版印刷でした。

今では考えられないしんどいことをしておったのです。

そうしてできたのがこの赤線座報でござる。執筆した旧友はいま数えたら11人、もしかすると12人でござる。

ラッキーなことに、皆さんご存命でござる。

おぢもおバカなこと書いておる。

題して「習慣女性不信」。このころから週刊誌が好きだったか…

週刊でなくて習慣としたところが、きっとよかったんだろ。

単なるアホです。

でもって、この昭和46年というのはおぢがちょうど20歳(当時は「はたち」といいました)。

大学生のおバカで、考えることといったら、頭の中の9割ぐらいは「エッチがしたい!!」時代のこと。

草食系男子なんぞ、そんな言葉も無けりゃ、そんなチンケなヤツは周りには誰一人もおりません。

アッパラパーのにーちゃんたちは、「歩く生殖器」ド変態でござった。

座報の記念すべき1ページ目にはある旧友が発汗にあたって、元へ、発刊にあたって座長としてなにやら書いておる。

大事な発刊の言葉、第一声はこうだ。

「赤線座発刊にあたって、私は天高く馬越ゆるごとく叫びたいところであります」。

いきなりクラクラいたします。

「馬肥ゆる秋」ってのがニッポン国にはあるけれど、「馬越ゆるごとく」で「叫びたい」だもなぁ、、、

馬を越えてどこぞの丘にでも行んか? それとも牛にでもなるのか? はたまた象にでもなるか?

そして叫ぶんだも!! 凄いです。

かねてからアホだとは思ってましたけど、発刊に際してまさに発汗する恥ずかしさ。

ひっくり返りましたです。

かの内容については、この先順次当ブログにアップいたしますゆえ、座員の皆さま、いまさらながら恥を知ることになるけど、いいかな???

いいとも!!

ってことで赤線座報についてはあすに続くのだ!!