おぢのニセコ山暮らし

山暮らしと世間のあれこれを書き綴ります

「IWC脱退」と勇ましいけど、クジラの「捕獲量は減る」というからなんじゃらほい???

2018年12月27日 | Weblog

午前6時の気温はマイナス11度。

この冬一番の冷え込みです。

いまは穏やかですが、つい先ほどまで吹雪いておりました。

雪もけっこうな量が積もってます。

きのう家の周りの除雪をしておいてよかったですワン。

この嵐が終わると、そろそろスキーかしらん。

パフパフのパウダースノーをちょっとだけ滑るのがよろしいのですが、こっちの脚力、ちょっとはいえ大丈夫か?

少々不安にもなるお年頃でござる。

さて、

我がニッポン国、これまで加盟しておりました「国際捕鯨委員会(IWC)」を脱退したという。

1933年の「国際連盟脱退」を思い起こさせます。

このときは、関東軍が傀儡政権である「満州国」を建国。

例の「ラストエンペラー」愛新覚羅溥儀を皇帝に据えて建国した国が満州国ですわ。

これに対して国際連盟はリットン調査団を派遣して調査し、これを「ニッポンによる侵略」と認定した。

調査結果を基に開かれた「国際連盟総会」は、ニッポンを除いた参加国が「侵略認定」に賛成した。

これでニッポンは国際連盟を脱退する。

当時の国民もマスコミも、これをたいした持ち上げた。

同じ年にはドイツも脱退、全体主義国家は世界から孤立し、第二次世界大戦へと雪崩を打つ。

三国同盟を結んだのもこのときの外務大臣松岡洋右だけど、のちにこの三国同盟締結を「一生の不覚」と深く反省しておった。

ニッポンが戦争に傾いていくきっかけにもなったのが「国際連盟の脱退」なのです。

だからですかね、今回の脱退が嫌な感じするのは…

おぢが子どもだった昭和30年代、ニッポン国も我が家も、たいそう貧乏だった。

学校給食では「クジラの竜田揚げ」を、家庭では「クジラのショウガ焼き」をいただいた。

とりあえず元気に生活ができたのは、当時安価なタンパク源であったクジラさんのおかげだ。

ニッポンがこのIWCに加盟したのはなんと、1951年というからおぢが生まれた年でござる。

その後ニッポンは、クジラ資源の枯渇も心配される中、南氷洋での商業捕鯨から撤退、「調査捕鯨」になりました。

IWCを中心にグリーンピースだとかシーシェパードだとかが「賢い哺乳類を殺していいのか!」ってことになり、捕鯨への風当たりは強くなった。

とりわけグリーンピースの活動は過激で、捕鯨船にぶつかって来たりして、なんだかなぁ~ って感じでもありました。

おぢに言わせれば、賢いクジラは殺すのはダメだけど、頭が悪い牛や豚は殺して食べてもいいのか? 

そもそもそんなの変だろ、って話だ。

ニッポン固有の食文化に口出ししてきたのが欧米人だ。

そんなこんな「欧米か!?」とタカトシ的突っ込みもしたくなる。

ニッポン人として「反捕鯨」は気分もよろしくない。

そもそも、ペリーが浦賀にやって来た当時、欧米では捕鯨をしておったじゃんって話でもある。

しかも単に「鯨油を取る」ために殺したのだ。

ニッポンにおける捕鯨が、肉から骨からなんでもかんでも活用してきたのに対し、欧米人は鯨油だけが目的で捕鯨をしておった。

いまどき「捕鯨は残酷だ」とか申しますけど、欧米人は単に脂を取ることを目的に大量のクジラ殺しておったわけ。

そんな歴史がありながら、ニッポンの食文化を批判などしていいのかって話でもある。

ペリーが浦賀にやって来た目的の一つに捕鯨船の中継基地の確保もあったといわれておるしね。

そんなこんなの経緯からすると、IWC脱退もやむを得ない気もしますけど、安倍政権下で「脱退」が行われたところがとっても嫌。

確かにおぢたち世代にとっては、貴重なタンパク源でもありました。

だけど、国際社会の反発を招いてまで、多くのニッポン人は今どきクジラなんぞ、そんなに食べたいか?

そんなに食べたくて食べたくてというほど、旨いのかクジラ?

…という現実的な問題でもあります。

しかも今回、南氷洋での調査捕鯨もできなくなるから、クジラの捕獲量は減るのだそうな。

先ほど放送してた羽鳥モーニングショーによるとクジラの「在庫は余っている」そうだ。

IWCの脱退、ある種のパフォーマンスのような気がします。

国際機関からの脱退、世界から「孤立したニッポン」を想起させて、嫌~な感じがしますです、ハイ!!