1943年 アメリカ・ミネソタ州の裁判所は、
6人の子供を持つ42歳の男性を
性的異常者として実刑判決を下した。
判決理由は、『妻と極端に多く性行為をした』
とのことですが、性的異常者と認定する
性行為の回数や頻度の基準は、
明確にされていないようです。
実刑判決を下した判断については
ちょっと置いておいて
どうにも引っかかるのが性的異常者の部分。
これって性行為が週に何回程度であるなら
正常と認定されるのだろうか?
確か精神分析のフロイトが
「そこにあるのは二人の行為だけ。」
のようなことを言っていたと思うんですよね。
裁判所や裁判に参考人として参加した
精神科医が判断基準を決めて
認定するようなものじゃないのでは。
裁判所が性的異常者として認定したことは、
裁判所がレッテル張りしたことにならないのかなあ。
性依存症とかの精神の病とせずに性的異常者ですからね。
これ人格攻撃になりかねません。
これって近所の人が夫婦の性行為の数が
あまりにも多すぎて近所迷惑だと
裁判所に届け出たわけではないはずなので
訴えたのは妻なんだと思うんですが、
で、妻はこれ以上子供を作るのは
経済的に無理があるとか、
夫の要求に毎回応えるのが
体力的にも精神的にも辛いことを話しても
夫は聞く耳を持たずに毎夜迫ってくる。
で恐れながらと裁判所に訴えて
どうにかしてもらおうとしたところ、
妻の切実な様子、やつれた様子等から
これは性的虐待であると判断しての実刑判決なら
まあ納得もできそうなんですが………
私の想像を遥かに凌駕する頻度であった
夫の妻への求めだったとしたら
夫に性的異常者だとの強烈な言葉を
あえて使用することで
夫に強い反省と自覚を促し、
自分を顧みる環境と期間と
自分の行動を変えるための治療する場を与える
意図があったのかも知れませんが、
裁判所の認定が入ると、
レッテルの接着剤が強力になるので
自覚以上に夫婦の生活圏の人達の印象が………。
人間腹が立つこともあるので
文句を言いたくなることも思いますが、
その際に非難する言葉もそうなのですが
特に人格批判になる言葉を発しないことかな。
人格批判は、凄く重みのある言葉ですが
日常の中で本人も気が付かないまま
人格批判をついしてしまっていることがあります。
あいつ(あなた)は、○○の人と
○○に人を付けて非難すると
それはもうただの悪口でしかなく
また言われた方は、
自分と言う人間を全否定された気持ちになって
関係性が酷く悪化する可能性があります。
相手を非難するのは、
相手の行動や態度を変えて欲しいからなので
相手に伝えるメッセージは、
相手がおいそれと改善できない人格についてではなく
相手が改善できる行動や態度について伝える方が
衝突が激化することを防げますし、
本来の目的に合致しているはずです。