1996年 アメリカ・ボストンで自動車販売会社の帳簿係の
32歳の女性が30万ドルを横領して逮捕されました。
犯行の動機は女性の前の勤め先の建設会社で横領した
77万ドルを返済するためだそうです。
最初に横領した会社にはまだバレていなかったとしても、
転職した会社で横領したお金を元の会社に
どうやってバレないように振り込む?
それとも前の会社の横領がバレて逮捕され、
刑期を終えてから損害賠償請求されている金額を支払うとなれば
堂々とお金を振り込むことが出来るとは思いますが、
そのために新しい会社で横領した?良く分かりません。
現在の日本の場合、その人に前科があるかどうかについては、
一般の人には調べようが無いようです。
人権にうるさいアメリカがGPSの装着を義務付けて
監視するほど性犯罪者には厳しいのに
それ以外の犯罪については日本と同じように一般に
その人に前科が有るか無いかを知ることが出来ないのかも知れません。
日本の場合、前科の有無を開示しないのは、
幸福追求権に関係するプライバシー権は犯罪者と言えども
保護されるべきとの考えが
1981年に最高裁での判決が下されたことによるもので、
そんなに古い話ではなさそうです。
刑期を終えて罪を償った人の社会復帰や日常生活に
ハンディを負わないようにするために
個人の前歴を非開示としていることについては
「そりゃそうだよな。」と理解も納得もするのですが、
一方では、アメリカの横領で逮捕された女性の前歴が開示されていると
自動車販売会社は、横領被害を防ぐことが出来ていたはずなので
犯罪歴のある個人が負うべきハンディを
社会に丸投げして受け止めさせるかのような
司法の判断には何か釈然としません。
厳罰を伴う新たな法律が複数施行されて
その昔には無かった事件が当たり前のように起きる時代に
加害者に優しすぎる対応は、
時代の流れに沿っていないような気もします。
いやいやインターネットの普及で
個人の前歴を知ろうと思えば、ちょいちょいと検索をすれば
知ることが出来のだから公的な情報は非開示のままでも
良いのではないかと言うのも違うような気がして、
なので一律に非開示とするのではなく
殺人とか強盗であるとか、放火魔であるとか、
個人がしでかした犯罪の種類であるとか
犯罪の悪質性によって個人の前歴を開示したり非開示にしたりと
区別するのは有りなような気もするのですが、
どうなんでしょうね。
ねっ。私って優しく無いでしょう。
でもね。思うのです。
お前はキリストの生まれ変わりかと思えるような
加害者に対して許容的で受容的で優しさに溢れることを言う人。
私なんかでは計り知れない本当に心が広く大きくて、
愛に満ち溢れている立派な人なんでしょうけどね。
だけど、その気持ちを個人で持ったり、
個人でやる分には素晴らしいんですが、
そのような価値観を押し付けられると
私なんかは「無理言うなよ~。」って言いたくなります。
私レベルでしかない人間からすると、
人間のはずなのに行き過ぎた綺麗で神様のようなことを言う人は、
穿った目で見てしまうんですよね。
いざ自分が被害者になった時にはどうなんでしょうかね。
過去に多額のお金を横領した人が途中入社してきて
前科ある人に再び横領されて自分の会社が倒産したなんて時も
加害者には幸福追求権があるのだからと言うのかなあ。
また自分が加害者と同じ立場に立った時に、
その価値観を自分にも向けそうな気がするんですよね。
「あなた方は、加害者である私はある意味において
被害者でもあることを理解しなければならない。」
「人間だから過ちもある。であるはずなのに、
あなた方はここぞとばかりに私を叩いている。
それがあなたの正義なのか。」
逆に、加害者は被害者が納得するまで
謝り続けなければいけないと言っていた人が、
「私は十二分に謝罪もしたし罪も償った。
それなのに他の人と同じ扱いをしないのは、
今や被害者を装った加害者でしかない。」
なんてね。