1963年 新婚旅行で宿泊した
雲仙国立公園の旅館で
23歳と22歳の新婚夫婦が服毒自殺しました。
遺体の傍には、
「幸せ過ぎて希望が無くなった。」
と書かれた遺書が残されていました。
幸せ絶頂の二人が死を選ぶことによって
幸せの状態のままでいられると思ったのか、
手に入れた幸せを失うことへの恐れからなのか、
二人の気持ちをあれこれと考えても
本当の気持ちは2人にしか分からないと思いますし、
本人達にも分かっていないかも知れません。
ここで良く知られているお話をご紹介。
事業に成功したアメリカ人の旅行者が
メキシコの田舎町の海岸沿いを
散歩している時に停泊する小さなボートと
メキシコ人の漁師を眼にした。
小さなボートの網には、今しがた漁で得た新鮮な魚。
アメリカ人の旅行者は、漁師に
「やあ。どれ位の時間、漁をしていたの?」と
尋ねたところメキシコ人の漁師は、
『そんなに長い時間じゃないよ。』と答えた。
旅行者が
「もっと漁をしていたら、
もっと魚が獲れただろうに おしいなあ。」と言うと、
漁師は、
『自分と家族が食べるには十分だ。』と言った。
旅行者は、
「それじゃ余った時間でいったい何をするの?」
『日が高くなるまでゆっくりと寝て、
それから子供と遊んで、妻と楽しく過ごして、
夜になったら友人と一杯やって
ギターを弾いて歌を歌って………
まあ大体そんなものかな。』
すると旅行者は、真面目な顔で漁師に向かって
「事業で沢山のお金を得た成功者として
君にアドバイスをしよう。
君は毎日もっと長い時間漁をするべきだ。
それで余った魚を売る。」
『なるほど それからどうするね。』
「それでお金が貯まったら大きな漁船を買う。
すると漁獲高があがるので儲けも増える。
その儲けで漁船を2隻、3隻と増やして
大漁船団となったら
もう仲介人に魚を売るのを止めだ。
自前の水産加工工場を建てて
大量の魚をそこで加工して販売するんだ。」
『なるほどね。それからは?』
「その頃には、君はちっぽけなこの田舎を出て
メキシコ大都会、ロサンゼルス、ニューヨークへと進出して
マンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ。」
『そうなるまでにどれ位の時間がかかるのかね。』
「20年、いやおそらく25年でそこまでいくね。」
『それから どうなるのかね?』
「それから?それからは、本当に凄いことになるよ。」
自分の会社の株を上場したり、
株を売ったりして、君は億万長者さ!」
『なるほど それで?』
「そうしたら君は引退して海岸近くの小さな村に住んで
陽が高くなるまでゆっくりと寝て、日中は釣りをしたり
子供と遊んだり、奥さんと楽しい時間を過ごし、
夜になったら友達と一杯やって、
ギターを弾いて、歌を歌って過ごすんだよ。
どうだい。素晴らしいだろう。」
さてですがお金を得たり、目標を達成したり、
最愛の伴侶を得たりした時等、
願望や欲望を満たせた時に得られる
興奮の幸福感がありますし、
のんびり、ゆったり、気持ち穏やかに過ごすことで
得られる安定の幸福感もあります。
興奮によって得る幸福感は、願望や欲望が満たされると
その幸福感は、しばらくすると
煙のように消えていくことになるので
さらなる刺激を求めることになります。
心拍数があがり興奮した状態は、
決して健康的に良い状態とは言えないので
人間の身体は、元の状態にもどそうとします。
つまりは、興奮による幸福感のみを求めようとすると、
新たな願望や欲望を永遠に追い求めることになりますが、
頂点に辿り着いたと実感した時には、
絶望感に襲われることになります。
確か、アメリカの鉄道王だか鉄鋼王だったから
絶頂の頂点で自殺した人がいたような………。
一方、ゆったり、穏やかな気持ちで得られる幸福感は、
慣れたり、元に戻そうとする働きが
身体の中で起きないので長く続くことになります。
どちらの幸福感の得方が
良いとか悪いとかではなく
アメリカの旅行者のように何らかの時点で
興奮の幸福感から穏やかな幸福感へと
移行することを見据えていれば、
例え絶頂の地点に到達したとしても
絶望に襲われることはありません。
ただし自己肯定感が低いようだと
穏やかな幸福感を得るステージ移行が
難しかったりするんですよね。