心の扉 神戸カウンセリング花時計

心理療法や催眠療法、ストレス解消や悩み等メンタルに関するもの、そして日常の出来事を自由気ままに掲載します。

書き換え

2016年12月15日 | 記憶

 

人の記憶って

本人が望むようなものへと

書き換えられてしまうことがあります。

 

過去の同窓会に参加したことがなかった

A が珍しく参加したので

声をかけてみたら。。。

 

仕事、○○やってるんだってな。

A「いや、それもう辞めた。」

 

そうなんだ。

A「行くとこ行くとこブラックばっかりで。」

 

「同窓会の参加は、初めてだよな。」

A「ああ、こんなクソ同窓会、

 本当は参加したくはなかったけどね。」

 

「あらまた、なんで?」

A「顔をみたくないクソ野郎が多いからな。

 特にBC。」

 

「へえ、そうなんだ。でもなんで?」

A「あいつら、俺を虐めてたろ。」

 

「う~ん。仲が良くはなかったと思うけど、

虐めを受けていた?それは初耳だな。」

A「あいつら俺をボコボコに殴って、

 それから無視しやがった。まあ虐めだな。」

 

「殴られたって、お前がBと一回喧嘩して

負けたの覚えているけど、それからも殴られていたのか。」

 

A「いや、殴られたのは一回だけ。

 その後の無視。絶対に許せない。

 参加したくもなかったクソ同窓会に

 今回参加したのは、

 BCに謝らせるためだったけど、

 しかし、肝心のBCも不参加とはなあ。」

 

「ええーっ小学生の頃の喧嘩に負けたことを

今だ根に持っているのか。」

A「やった方は、すぐ忘れるかもしれへんけど

 やられた方は、何年経っても覚えているもんや。」

 

「ちょっと待てよ。お前の中であの喧嘩の記憶、

どうなってんの。」

A「あれ、俺が○○ちゃんに話していたら、

 Bがいちゃもんつけてきて、俺を殴りやがった。」

 

「それ完全にお前の記憶が間違っているぞ。

俺は、あの時のことをハッキリと覚えているけど、

あれって、○○ちゃんが嫌だと言っているのに

お前がひつこく鉛筆を貸せ貸せと絡んでいたんやないか。

 

それを見かねたBが止めに入ったら、

いきなりお前がBを殴ったから

喧嘩が始まって

その喧嘩にお前が負けただけじゃん。

 

だから、その一件に関してなら

謝らなくてはならないのは

本来、お前の方だと思うけどなあ。

でもまあ、

あいつらは、そんな昔のことを

お前に謝らせたいなんて思ってるとは

思わないけどね。

 

記憶がどこでそうなったから知らないけど、

小学生の頃のことを今まで根に持っていたなんて

しんどかっただろうね。

 

でも、今言ったことが間違いのない事実だから

その事実を、大人のAの目で

落ち着いて眺めてみたらいいんじゃないかなあ。

そしたら、

○○BCへの子供のAの怨念のようなものを

成仏させられるかもよ。」

 

 

普通に心が成長していれば、

ただ事実を知るだけで

その出来事、その相手への

自分の気持ちが変わるのが

普通ですが。。。

 

 

そいつはそうではなかった。

 

小学生の頃のAの身勝手で我がままな

心がこんなにスクスクと育ち

磨きがかかりました的な反応が。。。

 

A「やっぱりお前も俺の敵やな。

 それがよう分かった。

 俺のこの気持ちを全く分かっとらんようやのう。

 

 鉛筆くらい一回言えば

 貸してくれても良かろうが!

 もったいぶりやがって!

 

 ほんでBは関係ないじゃろうが、

 関係ないのに

 横からしゃしゃり出てきて

 偉そうに何様のつもりじゃ!

 俺に恥をかかせたんじゃ!

 Bは殴られても当然のことじゃろが!

  

 黙って殴られとけや

 それを殴り返すんじゃから

 クソ野郎決定じゃろうが!

 しかも、

 殴ったことを謝りもせんで

 俺を気に食わない。

 俺と話をしたくない。ふざけんな!

 絶対に許せるかあ。」

 

 

「ああそうか。

 俺からもう何も言うこともないし、

 言いたいとも思わない。じゃあな。」

 

この場合、

告げられた事実に対して

戸惑いも、混乱も、疑問も、確かめもなく

その事実を知っていたかのような反発なので

記憶が書き換わっていたのではなく

意図して記憶を改竄していたと言えるかもしれません。

 

どうであれ、

もう圧倒的に価値観が違う。

もう住む世界が違う。

住む星が違う。

 

クライアントじゃないので

何の責任も持つ必要がない

だから、さよならです。

 

 

クライアントではないので

Aが自分は弱い。

自分は虐められる、攻撃される。

と心怯えたまま過ごし続けても

責任を持つ必要がないので

さよならです。

 

クライアントではないので

Aいくら敵を増やそうが、

何の責任も持つ必要もないので

さよならです。

 

クライアントではないので

Aが恨みの気持ちを燃やし続けて

苦しみや憎悪の気持ちと共に

人生を歩んだとしても

何の責任も持つ必要がないので

さよならです。

 

ですが、

いつの日か、遠くない日に、

自分が幸せになることの責任を

他人ではなく、自分が。

 

他人ではなく

自分を変えることの方が

心の平安への近道であることに

気が付いて

アドレナリンの蛇口が

ググッと絞られてくれると、

 

クライアントではないけれども

友達でもないけれども、

友達になるつもりもないけれど、

なんか嬉しくなれるのは

間違いなしなんだけどね。

 

 

催眠療法&心理療法 神戸ストレスカウンセリング・ルーム花時計

 



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