私達が何かの1シーンとか、
ある時に自分の姿を
写真に収めておこうとするのは何でなんだろう。
時間の流れが、
今の全てを過去へと流し消し去ることへの抵抗なのか、
自分が生きてきた証として懐かしみたいのか。。。
子供の頃、タイムマシンが出来たら
絶滅した恐竜を見に行きたいなんて
思ったりしたことを思い出します。
私が名所の門をくぐる時、
恐竜は見れないけれど
タイムマシンで過去に旅して
その一部と交わる(リアル?疑似?)体験を、
楽しんでいるのだと思います。
この過去への旅は、
過去をありのままを体験するのではなく
醜いものや、怖いものや、悲惨なものを
時間が朽ち果てさせてくれたものに
触れることが出来ます。
素晴らしいものは素晴らしいものとして楽しみ。
他人の血が流れた戦場や謀略や裏切りと言った、
怖いものや醜いものも、
天変地異の悲惨さや事件の現場も
教訓として交わることが出来るように思います。
細かなことをあれこれと書くことは止めておきます。
誰しもに過去と向き合い、体験し、
上手く処理する優れた能力が備わっています。
傷ついた体験、トラウマ、恨み、悲しみ等、
誰しもが備えるそれらの能力を働かせれば、
余計なものは、朽ち果て、削ぎ落ち、
自分史のどこかの1ページの1場面として、
閉じることが出来るのではないでしょうか。