喫茶店の珈琲を
無性に飲みたくなる時があります。
自宅で買い揃えた機器で豆を挽いて
珈琲を飲むほど凝る気持ちにもなれず
とは言えドリップ式のインスタント珈琲では
物足りなさが積み重なっていきます。
コンビニの珈琲が安くて
味もなかなかのものではあるのですが
物足りなさを埋めることは出来ません。
京都名所巡りとか、
最寄り駅から別の駅に出かけた際に
喫茶店に立ち寄ることはあっても
喫茶店の珈琲を目的に出かけることは
ここ最近は無くなりました。
物足りなさが少しずつ積み重なり
なんとなく臨界点が近づいているなと感じ始めた頃に
私のカウンセリング・ルームが入居している
オーナーさんに誘われて近所の喫茶店へ。
そこは個人経営の喫茶店で
特筆するような店内装飾が施されている訳でもなく
珈琲の味がすこぶる美味しいという訳でもないのですが、
紛れも無い純喫茶。
店内に漂う珈琲の香りと
落ち着きのある店内装飾。
店内に流れる音楽とカチャと静かに響く器の音、
遠慮がちに会話する声が心地良く空間を彩ります。
美味しい珈琲を飲めるお店を探し出すために
味覚の神経を研ぎ澄ませて飲むほど
珈琲に拘りがある訳でもありません。
ただ自宅では味わえない
珈琲の味と香りと空間と時間の流れが
そこにはあります。
珈琲一杯分の幸福を感じられるとき、
その苦難を乗り越えることが出来ると
心が囁いてくれているのだと思うのです。
特別に何か素敵なことが起きていなくても
その人は、きっと幸せな状態にあるのだと思うのです。