2004年 米国のニューヨークの郊外で
停車中の車に女の子を置きっぱなしにした
英国人の夫婦が子供を危険にさらした疑いで
逮捕されました。
法廷で夫婦は「英国なら罪にならない。」
と訴えましたが却下されました。
裁判所での夫婦の上のような訴えを
本当にしたんでしょうかね。
どう考えても無理筋ですよね。
事前に弁護士と打ち合わせしているはずですが
興奮した夫婦が打合せしたものと違うことを
言ってしまったのでしょうか。
夫婦が言っているように
英国では罪にならないとしても
そこは米国の法廷なんで全く意味が無いことですし、
子供を危険にさらしたことについて
反論をしていないので
それについては認めているともとれます。
なので判事の心証を悪くして
裁判が不利になるように思えます。
車内で子供が発見された時の状況が
どのようなものだったのか分かりませんが、
日本や英国では日常生活の中で行っている行為が
米国内では法律や条令に
違反する行為とされることがあるようです。
在ナッシュビル日本国総領事館によると
米国での生活上の注意点として
紹介されていた具体例。
<児童虐待>
某日、小学生の子供を連れた邦人女性が
近くのスーパーに買い物に出かけた際に、
子供が商品を買って欲しいとねだるので
母親が子供の頭を小突いて叱った。
→それを他の買い物客が目撃して警察に通報し、
母親は、幼児虐待容疑で
自動保護局の取り調べを受ける。
<児童虐待>
某日、幼稚園に通う少女が、
父親と一緒にお風呂に入ることを
嫌だと幼稚園の作文に書いた。
→その作文を読んだ幼稚園の先生が
児童虐待(性的暴力)容疑者として
父親を州政府の児童保護局に通報し、
調査活動が行われた。
<児童虐待>
某日、小学生の男子が悪ふざけをしたので
父親が注意したら
少年は近くの木に登ったので父親が少年に対して
降りてくるように怒鳴った。
→その様子を目撃した近所の住民が警察に通報し、
父親が児童虐待(心理的威圧)容疑で拘留された。
<児童虐待>
某日、邦人女性が5歳前後の息子と
一緒に外出するため準備していたが、
先に準備をすませた息子が外に出たいと言ったので、
先に息子だけを戸外に出させ、
待っているように言った。
息子は、外に出された理由を
母親に叱られたものと勘違いし、
玄関は施錠されていたため
泣きながらベランダに回り、
室内に入れてもらおうと窓を叩いたり、
蹴ったりしたため、
慌てて邦人女性が息子を家の中に入れた。
→児童虐待をしていたと近隣住民が勘違いをして
警察に通報し警察官が駆け付けた。
警察官に事情を説明したが
児童虐待と判断されて
裁判所への出頭命令書が手交された。
英国夫婦と似ているかもしれないケースとして、
<児童放置>
某日、日本人の女性が2歳の子供を連れて
車でスーパーに買い物に行った際に
食料品2点のみを買うだけなので
車内に子供を残して約10分間車から離れた。
→通行人女性が警察に通報して児童放置容疑で
邦人女性が警察の取り調べを受けた。
<児童放置>
某日、母親が7歳の子供を連れて
大型スーパーに買い物に行き、車に戻った際に
その店に忘れ物をしたことに気が付き、
子供を車内に残したまま車から離れた。
→通行人女性が警察に通報し、児童放置容疑で
母親が警察の取り調べを受けたほか、子供が1ヵ月間、
指定の里親に預けられ親との面会も制限された。
大人の親は、何だかんだと言い訳をすることが出来ますが、
幼児は、自分の気持ちや事情を説明できないし、
話せたとしても親を悪者にはしたくないので
客観的事実を聞き取ることが出来ないとしているのでしょう。
見方によっては、
確かに酷い親と被害に合っている幼児と
見ることも出来るとは思うのですが、
米国は、状況に児童虐待を疑えるものがあるのなら
調査なり拘留をするようですね。
社会の中で児童虐待行為が増えてくると
性善説のレンズで物事を見るのではなくて
性悪説のレンズで物事を見てから
ことの真意については調査をするって感じでしょうか。
ちょっと行き過ぎな感もしないでもないですが、
現代の日本でも児童虐待の事件が増えてきているので
後々はアメリカの様な形になる可能性もありますね。
子供を育てるのは、
犬猫のペットを飼うのとは違って
かなり大変でストレスも多くなると思うので、
日本の場合は、特に母親に大きな負担があるようです。
イライラが募り、普段なら感情的に怒らないことでも
きつく怒ってしまったり、一度やってしまうと
次第に歯止めが利かなくなり
躾と虐待の線引きが麻痺して
どんどんと酷くなっていくこともあるようです。
昔の日本の社会は、
家の中に爺ちゃん婆ちゃんがいて
子守を手伝ってくれていたので
母親が子育ての大変さから
解放される時間を持てることで
追い込まれてしまうことから
救われていたのかも知れません。
核家族化が進んだ現在では、
母親は頑張り過ぎず、
一方の親が過度な負担とならないように
夫婦で密に話し合い
行動することが求められています。
十分に愛された子供は、
他人を自然に愛する人間に育ち、
虐待された子供は、他人に防御的、
攻撃的な人間に育つ可能性は高くなります。
自然と人を愛せる人間を
社会に送り出してあげることは、
世界の多くの人達から賞賛される
今の日本の社会で在り続けることに繋がり、
それは他人の為と言うより、
自分が気持ち良く過ごせる社会を形成することに
なるのではないかと思うのです。
情けは人の為ならず