次の目的地の黄台山 長楽寺は、
大谷祖廟の北門を出ると直ぐ右側(東方向)に続く参道があるので
その参道を少し歩けば長楽寺に到着です。
長楽寺のお目当ては、相阿弥作の苑池。
室町時代に相阿弥が室町幕府八代将軍の足利義政の命により
銀閣寺の庭を作る時に試作的に作庭したと伝えられています。
本工事に入る前に建築模型を造ることは現代でも見られますが、
次の本番の銀閣寺の庭は、こんな感じの庭と
模型ではなく実際に試作の庭を作庭するなんてことは
経費を使い過ぎじゃないのって思ったりしますが、
たまたま同じ時期に長楽寺から庭の作庭を依頼されていたのかも。
足利義満が金閣寺の舎利殿を建立する際に
参考にしたのが鹿王院の舎利殿と言われています。
鹿王院の舎利殿は、金閣寺の舎利殿の試作として
建立されたものではありませんが、
足利義政は、足利義満に憧れていたので
義満の手法を参考にしていたのかも知れません。
黄台山 長楽寺
長楽寺は、西暦805年に桓武天皇の勅命によって創建されたお寺で
安徳天皇の生母である建礼門院(平徳子)が壇ノ浦の戦いの後に到来し、
当寺の法然の弟子について出家しました。
長楽寺の元々の敷地は広大でしたが
徳川幕府第8代将軍の徳川吉宗が1万坪の境内地を没収し、
隣接する先ほど拝観した大谷祖廟に寄進されました。
さらに明治4年、境内の大半が明治政府に没収され
明治14年に円山公園に編入されます。
長楽寺 山門
長楽寺 本堂
山門の前から続く長い石段の先にあるのが本堂。
本堂は、安土桃山時代に建てられた伏見城の御殿の一つとのこと。
天井板(血天井)に使用している板は、
伏見城が落城した際に戦死した武士たちの血の跡が付いた板とか、
京都でも兵庫でも伏見城から移築されたものとか良く聞くのですが、
伏見城の多くの建造物は、戦いの中で
かなり破壊されたり燃やされたりもしたはずなので
残された物を移築して再利用するにしても
損傷程度が軽度な建築物が多すぎる感があるのですが、
どうなのか。
本堂・鐘楼
建礼門院御塔
中央の十三重の石塔『健礼門院御塔』は、
安徳天皇の生母『健礼門院』の毛髪が埋められているとされています。
平安の滝『名水 八功徳水』
相阿弥の築とされる平安の滝。
流れ落ちる水が相阿弥の苑池に流れ込むようになっていて
滝石組みの一部には石仏が使われているようです。
苑池の水に僅かでも流れがあると
その分だけ夏場に蚊等の発生を抑えられますからね。
収蔵庫
長楽寺の収蔵庫は、一度火災にあっていて
その際、懸命の働きで
全ての寺宝は運び出されて無事だったそうです。
で、長楽寺のお目当ての相阿弥の庭苑ですが、
………御覧の通り書院も客殿も何も無し。
住職から説明を聞いて解体修理中であることが判明しました。
長楽寺の堂宇の殆どが解体修理中であっても
相阿弥作の苑池と書院が健在ならば満足できましたが
なかなか訪れるようにならなかった長楽寺の拝観を
ようやく実現したと思ったらこれですわ。
私が小学生の頃ならもう間違いなくグレてますね。
相阿弥の苑池が解体修理中であることを知った時に、
世界から色が失われ、音さえ消え失せて
長楽寺の山門まで戻ったのかの記憶がない位に
私は、落ち込んでいたようですが参道辺りで、
そこまで凄い庭園じゃないからと自分に言い聞かすことで
全てを取り戻したので、次の目的地へと朗らかに向かいます。
レンタルきもの 岡本
次の目的が着物で京都東山を散策する訳じゃなくて
レンタルきもの 岡本の敷地に目的の建物があります。
芭蕉堂
芭蕉堂は、江戸時代中期から後期の俳人『高桑蘭更(たかくわらんこう)』が
松尾芭蕉を偲ぶために建てたもので、堂内には松尾芭蕉の像が祀られています。
松尾芭蕉を祀る祠のようなものと考えて良いのでしょうか。
西行庵
西行法師は、平安時代末期の僧侶で新古今和歌集の代表的歌人の一人。
鳥羽上皇の北面の武士でしたが出家して諸国を旅し
全国の風光明媚な自然を和歌で詠みました。
西行庵のあるこの地は、西行の終焉の地であったと伝えられていて
建物は荒廃していましたが明治26年に
富岡鉄斎らの働きかけにより再建されました。
西行庵は、母屋『浄妙庵』と茶室『皆妙庵』からなり、
茅葺きの母屋『浄妙庵』は、大徳寺塔頭『真珠庵』の別院を移したもので
もう一つの建物『皆妙庵』は、北野の久我別邸より移されたもの。
こちらの建物が『皆妙庵』だと思うのですが………
双林寺 花月庵
花月庵
花月庵は、室町時代初めの頃に西行法師像を祀るために建立されたもので
現在の花月庵は、1731年に大阪府池田の李孟寺の天津禅師によって
再建されたもの。
松尾芭蕉は、西行法師を心の師として
西行法師を慕って諸国を旅をしたと言われているくらいなので
かなり有名な方のようですが、例によって私は全く知らなんだあ。
八坂神社 石鳥居
八坂神社の正門の南楼門まで戻ってきました。
八坂神社 南楼門
何故ゆえに戻って来たのかと言うと、
南楼門前にある二軒茶屋で提供されている田楽豆腐を食べるためです。
前々から二軒茶屋の田楽豆腐を食べてみたかったんですよね。
これまで八坂神社には午前中に立ち寄ることが多くて
二軒茶屋の営業が始まる頃には、別の名所の拝観へと向かっていて
これまで食べることが出来ていませんでした。
二軒茶屋
その昔、八坂神社の表参道に二軒の茶屋が向かい合い
『二軒茶屋』と呼ばれて慕われてきました。
最初は、茶屋として営業をしていましたが
参拝者らに軽い食事を提供するようになり
次第に本格的な京料理のお店『中村楼』へと発展していきます。
当時、二軒茶屋で提供されていた田楽豆腐(祗園豆腐)は評判が良く
京都を訪れた武士や商人らが、せっかく京都に来たのだから
八坂神社(祗園社)の田楽豆腐(祗園豆腐)を食べないで
帰る訳にはいかないと言う程、京都の名物となっていたようです。
祗園豆腐
当時は、お砂糖が手に入れにくく高価でもあったので
お味噌の甘味をお砂糖の代用にしたとのこと。
豆腐の上の味噌は、確かほうれん草だったか入っています。
鯛茶漬け+おばんざい
この先、さすがに昼食が田楽豆腐だけでは燃料切れになるので
贅沢であるけれども鯛茶漬けも一緒にご注文。
現在の二軒茶屋では、軽い食事以外にも
あんみつや抹茶はもちろんのこと珈琲やパフェ等も提供されているので
喉を潤したい所ではあるのですが
八坂神社の門前にあるお店ということもあってか
ちょいと値段がお高め感がありこれ以上の注文をするとなると
庶民の私としては踏み切れなかったあ。
昔のままの製法で作られている田楽豆腐(祗園豆腐)は、
正直、そこまで美味しくは感じませんでしたが
美味いかどうかは問題ではなくて
昔の武士や商人らが食べたものと同じものを食べるのが
第一の目的なので歴史を隠し味にした田楽豆腐を堪能しました。
美味しさだけで言うと鯛茶漬けが旨かったあ。
使われている鯛は、安っぽい感じが無く
料亭『中村楼』で提供されているのと同じだと思えるほどで
御飯の上に隠し味程度に添えられたお味噌に注ぐ
出汁との相性が抜群でした。
そして、隣の席の兵庫県から京都に嫁いできた女性と話が弾み
楽しい時間を持てたことも良かった。
その女性曰く、京都の人は案外と京都の名所を訪れないし、
よって一度も訪れたことが無い所もかなりある人が多いようです。
私もかなり多くの名所を訪れていますが、
その女性は、兵庫出身なので数多くの京都名所だけじゃなくて
全国各地の名所を巡っているようで四季折々の京都の名所だけでも
訪れていない所はないんじゃないかって思う位に
巡っていたので名所巡りの大先輩ですね。