1685年 フランスで数人を殺害した
狼が法廷で裁かれました。
法廷で衣服を着せられ、
顔に人間の仮面を括り付けられた被告の狼には、
絞首刑を言い渡されました。
なんでまたこんな回りくどいと言うのか、
今の日本に生きる私達からすると意味が無いと思われますが、
1685年のフランスでは、
そうせざる得ないような価値観や倫理観があったんでしょうね。
今の日本では、人里に迷い込んだだけの野生の動物は、
基本、危険なクマであろうと麻酔銃で眠らせて
生息域の山に放たれる処置を取って、
人を襲って人肉の味を覚えたクマなんかは
見つけ次第に地元の猟友会によって
射殺処分だったと記憶しています。
人を襲った狼を即殺処分することに対して
動物愛護協会的な人達の反対する声が大きかったので
一旦、人を襲って殺した狼を人と同じ扱いをすることで
それらの人達の声を何とかしようとしたのかも。
知らんけど。
前に書かせて頂きましたが
日本で僧侶が飼っていた虎が三頭が逃げ出して
大騒動になったことがありました。
あの時にも虎を殺すなんてとんでもないって
行政に抗議電話が多数寄せられたようです。
気持ちは分からんでもないのですが、
人が襲われたら、子供が襲われたら、
どうすんのって一人怒っていたのを記憶しています。
話を元に戻して
狼を法廷で裁いた理由は分かりませんが、
そのまま狼を射殺することが出来ない何かが
あったのでしょうけど、
異教徒が愛飲していた珈琲は、
悪魔の飲み物だとして禁止していたけれども
美味しいので飲用禁止にすることを
人々に徹底することは無理だとして
珈琲に洗礼を施してキリスト教徒も飲用することを
公認したと言う話を思い出します。
茶番と言うか都合良過ぎると言うのか、
言い訳が過ぎると言うのか、
あるいは、柔軟さに優れていると言うのか。
一度だけ一夜を共にしてもらえたら
それを思い出にして死なずに生きていける。
なんて真剣に言われて断れるかあ。俺には無理だった。
つまりあの女性とのことは浮気でも何でもないんだ。
人命救助なんだあ。
えっそれどこで見たんだ。
お前にも見えたのか、聞こえたのか、
どうやら僕に女性の地縛霊が憑依しているようで
今、御払いをしてもらっている最中で
浮気相手なんてとんでもない。
心理療法の技法の一つに物事の枠組みを変えることで
感じ方を変えるリフレーミングという技法がありますが、
上の様な枠組みを変え方では、かなりの確率で
「そうだったんだ。じゃあしようがないね。」
とは、ならないでしょうね。
しかし、世の中は不思議なもので
超堅物の人はそうそう多くないようなので
しっかりとした組み立てが成されておらず
かなり強引で茶番のようなものでも
それに飛びつきたい人が多かったり、
飛びつきたいと思えるものを提示されるのを
待っていたりすると上手く行くことがあります。
狼の裁判とか珈琲の件については、
大きな摩擦が起きることなく事が運んだのかな。