1977年 イギリスのノーサンプトンに住む
19歳の男3人組がビルに侵入するために
窓の破壊を試みました。
窓を破るために用意したハンマーで
ぶっ叩いたが割れず、
さらに用意していた溶接バーナーで
焼き切ろうとしたが失敗し、
男達は、逮捕されました。
これ凄くないですか。
もちろん三人組の男達のことではなくて
ビルの窓のことです。
建物への不法侵入者を阻むためには、
窓が一番のネックだったと思いますが、
これほど強固な窓の製品を使用している
ビルもあるんですね。
ハンマーで割れず、溶接バーナーで焼き切れずって
「キャデラック・ワン」とか「ビースト」って呼ばれる
アメリカ大統領専用車両並みの強度かと。
以前見た動画に
ショーウィンドウの窓ガラスをバールで殴っても割れず、
ならばと投げつけた煉瓦が仲間の泥棒の頭部に跳ね返り
泥棒が失神KOとなった映像がありましたが
上の泥棒と同じ奴らかも。
物騒な世の中とは言えども
ロケット弾を撃ち込まなければ壊れないような
高価な強化ガラスを設置しているビルはあっても
多くの民家は設置していませんよね。
1階の部屋に複数の大きな窓から
建物内へ太陽の光が差し込み、
外観も美しい家なんか見ると
ちょっと心配症の私なんか
防犯は大丈夫なのかと心配になります。
人を見たら泥棒と思え
誰も悪く思わぬ人はすぐ騙される
寺の隣にも鬼が住む
とは言いますが、
渡る世間に鬼はなし
捨てる神あれば拾う神あり
とも言います。
上のことから分かるのは、
どちらか極端に捉えてはならないってことですし、
逆に何らかの出来事によって
自分と言う人間の全てを理解するのも
かなり危険ということですね。
全てがそうじゃないってことは、
誰かから傷つくことを言われて
変に真に受け過ぎることは必要ないってことです。
周りの人の自分への態度は、
自分の姿を写し出す鏡なんて言われますが、
それは間違いとまでは言いませんが
決して正しくも無いように思います。
あくまでも周りのその人の自分への態度は、
その人のその時の自分への捉え方、
感じ方を現わしているのであって
真の自分の姿を現しているとは限りません。
誰かが写し出した自分の姿は、
誰かの歪んだガラス面に写し出されたものでしか
ないかも知れないのです。
それらをどう扱い、どう理解し、
自分に役立てるのかを決めるのは自由ですが、
相手の態度は、必ずしも自分の姿を正確に
写し出していないことを忘れないでいると
ハンマーやバーナーでも砕け落ちない
自分の心をしっかりと守り抜いてくれる
強化ガラスを有することが出来るかも知れません。
そして、どんなことからも自分を成長させたり、
良き人間関係を結べる人は誰かを
取捨選択する情報とすることが出来るかも知れません。