子供の頃に親にせがんでビールを一口、
あんなに苦くて不味い飲み物は無いと思ったものも、
今では美味しい飲み物に変化し、
子供の頃に鳥の皮のブツブツが気持ち悪くて大嫌いだったし、
あの臭さが無理で納豆は口にしたことも無かったけれども、
それらを、いつの間にか美味しくムシャムシャと食べている自分がいます。
京都、奈良への修学旅行、小学生の自分には神社、仏閣回りは
退屈でしかなかったけれども、今は、随分と好きになって、
その頃、全く面白みが無かったニュース番組も
今ではそれしか見ないくらいになっていたりします。
これら全て、そうなろうとした訳でもなく自然とそうなっていたんですよね。
まだ、小学校で好き嫌いをなくそうとして
給食を残さず食べるなんていう取り組みをしている所があるようですが、
また、何でもかんでも食べるように躾ける家庭もあるようですが、
その子が泣く位嫌いなものを、吐いてしまうほど嫌いものを、
その時に、食べなければならないという考えが
今の私には、どうしても分からない。
今、それを克服することが本当に必要でないなら、
非常に困難と感じる時に、あえて困難なことにエネルギーを費やさずとも、
それはひとまず置いておき、その時に比較的取り組みやすいものに取り組む。
そして、やがて成長した自分にとっては
かつて困難だったものが、
さほど困難では無くなっていたりするものだから、
その時に取り組んでも十分の様に思えるんです。
催眠療法&心理療法 神戸ストレスカウンセリング・ルーム花時計