今月から変わったテレビCMの中に、インテルのCMがある。
前回のCMは、小学生のタカシ君が、タカシ君のお父さんの会社の偉いジョンと入れ替わりっていた(タカシ君のお父さんは、ロサンゼルスに本社を置く外資系企業に勤めていて、ジョンはその企業の偉い人のようだ)。
それが今回、小学生・タカシ君になったジョンがバレリーナのマリエさんと入れ替わってしまった。
だが、タカシ君になったジョンは、「タカシ」とお母さんから呼ばれていたようなのだ。
となると・・・気になるのは、ジョンと入れ替わった小学生のタカシ君だ。
話の展開からすると、小学生のタカシ君は、その後ジョンとしてタカシ君のお父さんの偉い人となって、仕事をしているはずなのだが・・・
そしてジョンの奥さんは、小学生のタカシ君をジョンとして生活しているのだろうか?
その後の話の展開がますます気になる、テレビCMではある。
実は、このようなストーリー展開を持ってなされているテレビCMは、他にもある。
日清のカップヌードル「フリーダム」も、その一つだ。
2006年4月に登場して以来、テレビCMの変更時期になるたびに新たな話が展開している。
インテルのテレビCMよりも、スケールが大きくストーリー性の高いテレビCMだが、シーズンにあわせ、一つの話からストーリーが展開をしている点では同じだといえる。
このようなストーリー展開のある、テレビCMの難しさは話に凝り過ぎて、生活者に何を訴えるのか?というCMの基本から外れてしまうことだ。
インテルの場合、話が突飛過ぎて「だから何?」というコトにもなりかねないような気がしないわけではないのだが、そのくらい「突飛で凄い」というコトを訴えているようだ。
もう一つは、その話が生活者から飽きられてしまうという、リスクがある。
テレビCMが生活者から飽きられる理由は、いくつかある。
例えば現在の「docomo2.0」のテレビCM。
「直感ゲームなどは、だから何なの?」というよりも、「そんなゲームなら、Wiiです
るよ」という気にさせてしまっている可能性が高い。
携帯電話の利便性・強み・docomでなくてはならない理由などがわからないばかりか、CMそのものの興味を削いでいる可能性もある。
下手にCM展開すればするほど、興味が無くなってしまっている可能性だ。
インテルのテレビCMのジョン=小学生のタカシ君は、今度は一体誰と入れ替わっているのだろう?
少なくとも、そんな興味を持たせつづける必要がある。
前回のCMは、小学生のタカシ君が、タカシ君のお父さんの会社の偉いジョンと入れ替わりっていた(タカシ君のお父さんは、ロサンゼルスに本社を置く外資系企業に勤めていて、ジョンはその企業の偉い人のようだ)。
それが今回、小学生・タカシ君になったジョンがバレリーナのマリエさんと入れ替わってしまった。
だが、タカシ君になったジョンは、「タカシ」とお母さんから呼ばれていたようなのだ。
となると・・・気になるのは、ジョンと入れ替わった小学生のタカシ君だ。
話の展開からすると、小学生のタカシ君は、その後ジョンとしてタカシ君のお父さんの偉い人となって、仕事をしているはずなのだが・・・
そしてジョンの奥さんは、小学生のタカシ君をジョンとして生活しているのだろうか?
その後の話の展開がますます気になる、テレビCMではある。
実は、このようなストーリー展開を持ってなされているテレビCMは、他にもある。
日清のカップヌードル「フリーダム」も、その一つだ。
2006年4月に登場して以来、テレビCMの変更時期になるたびに新たな話が展開している。
インテルのテレビCMよりも、スケールが大きくストーリー性の高いテレビCMだが、シーズンにあわせ、一つの話からストーリーが展開をしている点では同じだといえる。
このようなストーリー展開のある、テレビCMの難しさは話に凝り過ぎて、生活者に何を訴えるのか?というCMの基本から外れてしまうことだ。
インテルの場合、話が突飛過ぎて「だから何?」というコトにもなりかねないような気がしないわけではないのだが、そのくらい「突飛で凄い」というコトを訴えているようだ。
もう一つは、その話が生活者から飽きられてしまうという、リスクがある。
テレビCMが生活者から飽きられる理由は、いくつかある。
例えば現在の「docomo2.0」のテレビCM。
「直感ゲームなどは、だから何なの?」というよりも、「そんなゲームなら、Wiiです
るよ」という気にさせてしまっている可能性が高い。
携帯電話の利便性・強み・docomでなくてはならない理由などがわからないばかりか、CMそのものの興味を削いでいる可能性もある。
下手にCM展開すればするほど、興味が無くなってしまっている可能性だ。
インテルのテレビCMのジョン=小学生のタカシ君は、今度は一体誰と入れ替わっているのだろう?
少なくとも、そんな興味を持たせつづける必要がある。