100歳を越す、高齢者の「所在不明」がここ数日問題になっている。
キッカケとなったのは、ご存知のとおり111歳の高齢者の遺体が見つかったコトだ。
それも30年以上前に亡くなっていながら、死亡届もださぬまま現在に至っていた。
このこと自体、チョッと驚くことなのだが、その後次々と分ってきた「所在不明の高齢者」の実態を見ると、「家族崩壊」と言うコトバが思い浮かぶ。
「家族崩壊」と言うコトバそのものは、ここ20年ほどの間で聞かれるようになったコトバのような気がするのだが、「所在不明の高齢者」達を見ていると、それ以前から日本では「家族崩壊」が始まっていたのでは?と言う気がしてくるのだ。
確かに「所在不明の高齢者」の家族の中には、「失踪届け」などを提出している場合もあるようだが、中には「ここ30年くらい連絡もとったことが無い」とか「50年くらい、親・兄弟にも連絡をとっていない」と言う方もいらっしゃる。
とすれば、何も「家族崩壊」と言うような状況になったのは、今に始まったことではなく、ズット以前から始まっていたのでは?と言う気がしてくるのだ。
それも、映画「ALAWAYS 三丁目の夕日」の頃から、始まっていたのは無いだろうか?
この映画の舞台となった頃の日本は、高度経済成長の少し前で、まだまだ隣近所とのお付き合いがあり、貧しいながらも家族が片寄せあい一生懸命に生活をしていた時代として、描かれている。
「所在不明」となっている方の中には、何かの事情で半ば夜逃げ同然のように出て行った方もいらっしゃるだろう。
だが、それにしても「自分の家族に対して無関心」と言う傾向が、私たちが思っているよりも前から始まっていたのではないだろうか?
「行政の怠慢」と言う指摘もあるかも知れない。
「国民健康保険証」を郵送した際、不在で返却された保険証を元に、実体調査をする、と言う方法もあるのでは?と思うのだが、現実的方法ではないのかも知れない。
もしかしたら「所在不明の高齢者」と言う存在は、「パンドラの箱」のようなモノだったのかも知れない。
「日本の家族崩壊」がズッと以前から始まっていた・・・と言う。
キッカケとなったのは、ご存知のとおり111歳の高齢者の遺体が見つかったコトだ。
それも30年以上前に亡くなっていながら、死亡届もださぬまま現在に至っていた。
このこと自体、チョッと驚くことなのだが、その後次々と分ってきた「所在不明の高齢者」の実態を見ると、「家族崩壊」と言うコトバが思い浮かぶ。
「家族崩壊」と言うコトバそのものは、ここ20年ほどの間で聞かれるようになったコトバのような気がするのだが、「所在不明の高齢者」達を見ていると、それ以前から日本では「家族崩壊」が始まっていたのでは?と言う気がしてくるのだ。
確かに「所在不明の高齢者」の家族の中には、「失踪届け」などを提出している場合もあるようだが、中には「ここ30年くらい連絡もとったことが無い」とか「50年くらい、親・兄弟にも連絡をとっていない」と言う方もいらっしゃる。
とすれば、何も「家族崩壊」と言うような状況になったのは、今に始まったことではなく、ズット以前から始まっていたのでは?と言う気がしてくるのだ。
それも、映画「ALAWAYS 三丁目の夕日」の頃から、始まっていたのは無いだろうか?
この映画の舞台となった頃の日本は、高度経済成長の少し前で、まだまだ隣近所とのお付き合いがあり、貧しいながらも家族が片寄せあい一生懸命に生活をしていた時代として、描かれている。
「所在不明」となっている方の中には、何かの事情で半ば夜逃げ同然のように出て行った方もいらっしゃるだろう。
だが、それにしても「自分の家族に対して無関心」と言う傾向が、私たちが思っているよりも前から始まっていたのではないだろうか?
「行政の怠慢」と言う指摘もあるかも知れない。
「国民健康保険証」を郵送した際、不在で返却された保険証を元に、実体調査をする、と言う方法もあるのでは?と思うのだが、現実的方法ではないのかも知れない。
もしかしたら「所在不明の高齢者」と言う存在は、「パンドラの箱」のようなモノだったのかも知れない。
「日本の家族崩壊」がズッと以前から始まっていた・・・と言う。