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65年という歳月

2010-08-07 15:55:45 | 徒然
昨日は65回目の「広島原爆記念日」だった。

今年の大きな変化は、パン・ギムン国連事務総長が「ヒロシマ・ナガサキ」を初めて訪問したことと、米国駐在大使が記念式典に出席したことだろう。
これまで、頑なに記念式典への出席を拒んできた米国の代表が出席した、と言う背景を考えると、やはりオバマ大統領の「プラハ演説」が大きく関係しているような気がする。

と言っても、米国退役軍人の会などでは「謝罪に行くのであれば、反対」と、強く抗議をしたという話も聞く。
米国退役軍人の人たちにとって、「ヒロシマ・ナガサキでの行為は、正当なコトである」と言う、強い気持ちを持っているのだろう。
「(戦争を止めさせるために)正当なコトをしたのだから、謝罪する必要はない」と言う考えだとも思える。

だが、多くの「ヒロシマ・ナガサキのヒバクシャの方たち」は、本当に謝罪を望んでいるのだろうか?と言う、気がするのだ。
もちろん「原爆投下」に対しての謝罪を望む気持ちがあっても、おかしくはないと思う。
戦後直後であれば、尚その気持ちは強かっただろう。
しかし、半世紀以上の歳月は「謝罪」よりも、「悲劇を忘れて欲しくない。地獄絵図と化したヒロシマ・ナガサキを米国の人たちにも、見て・知って欲しい」と言う気持ちへと変化させているような気がするのだ。

丁度このタイミングで、ユネスコは「ビギニ環礁」を「世界遺産」への登録を決めた。
その登録理由は、「自然の美しさ」ではなく「負の文化遺産」としてだ。
ご存知の方も多いと思うが、1940年代後半~1950年代、「ビギニ環礁」では核実験が度々行われた。
その結果、美しかった環礁は消え去り、環礁そのものの姿を変えてしまった。
それだけではなく、周辺の島に住む人たちの「被爆状況」には、米国そのものは余り関心がないようだ。
まるで、「自分たちの目に入らないから、見てみぬ振りを決め込んでいる」かのように。

そして、原爆投下から65年と言う歳月を経て、やっと米国自身が「原爆と向き合う」気持ちになってきたようだ。
それだけの歳月が、米国にも必要だったのかも知れない。

「ヒロシマ・ナガサキの平和への祈り」が、やっと世界に届きはじめ、動き出し、大きな転換期となったのが今年のように思える。

トルコの詩人・ナムジ・ヒメクットの詩をロシア文学者の中本信幸氏が日本語訳し、指揮者・外山雄三氏が曲をつけ、長い間受け継がれてきた楽曲がある。
「死んだ女の子」という歌だ。
数年前から、坂本龍一さんが編曲・ピアノ演奏をし、元ちとせさんが歌っている。
そして思うのは、詩の中にある「あまい飴玉をしゃぶる子どもたち」の存在だ。
そういえば・・・映画「ほたるの墓」でも、ドロップの缶をとても大切に持っていた。
「甘い飴玉」は、平和の象徴なのかも知れない。