日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

「平均的」ものづくりの限界

2014-12-04 20:51:46 | マーケティング

今日、名古屋大学でチョット変わったイベントがあり、出掛けてきた。
テーマは「社会イノベーションデザイン」。
主な内容は「若手音楽家トリオによる演奏会」。
名古屋大学が得意とする「理工学系」と、クラシック音楽とどう結び付くのだろう?というコトなのだが、クラシック音楽と「社会イノベーションデザイン」とは、直接的には全く関係が無い。
全く異質なモノ・コトがぶつかり合うトコロで「イノベーション」が起きるのでは?というコトらしかった。
もちろん、演奏会そのものは十分に楽しむコトができた。
ただ、それよりも「なるほど!」と感じる内容があったのは、演奏会後の濱口名大総長とこのシンポジウムを主催した「未来社会創造機構」所長の齋藤永宏先生、ピアノ演奏をされた村田千佳さんを交えてのトークショーの時だった。

テーマの中心は「感性」。
この「感性」というモノほど、理工学系が苦手とするコトは無い(らしい)。
というのも「感性」というのは、数値で図るコトができないからだ。
当然、「平均値」を出すコトもできない。
実験を繰り返し、検証をしようとしても「感性」そのものは、とても個人的なものなので一つの出来事に対して、感じ方は人それぞれ。
違う言い方をすれば「正解はない」というコトになる。

現在名古屋大学の総長をしていらっしゃる濱口先生は、医学部出身で「医学というのは、人を診るのが仕事。同じ病名の患者さんが複数いても、患者さん一人ひとり違う。面白いコトに世間で言われる人相の平均値を集めてモンタージュを作ると、「こんな人、いそうでいない」という人相が出来上がる」というお話をされていた。そして齋藤先生に「その意味では、今までの日本のものづくり(主に工業製品)は「平均的ものづくり」を目指してきている」という指摘をされたのだった。

確かに「平均的ものづくり」というのは、作業効率の良さがあり、圧倒的多数の人が「特別素敵だとは思わないが、悪いとも思わない、ある程度売れることが見込めるものづくり」だと言える。
だからこそ、新興国が既存の技術を使って安価な商品を作り出すことが容易になり、日本の家電メーカーがその技術力を保持しきれない、という状況になってしまうのだ。
それが良い・悪いのではない。既に成熟した市場での「平均的ものづくり」では、新興国と勝負をしても勝てる要素がほとんど無い、というコトなのだ。

考えて見れば、ソニーの「ウォークマン」は、「カセットテープの再生しかできません」というモノだった。
その後、様々な機能が付加されたが、「ウォークマン」のヒットは「再生しかできないが、自分の好きな音楽を持ち歩くコトができる」という「個性」があった。
もちろん工業製品なので、「ウォークマン」としての品質の高さは保持されてはいたが、多くの若者が「ウォークマン」を買った大きな理由はその「個性」に魅力を感じていたからではないだろうか。
今、その様な「個性」を発揮している「モノ」は何か?と考えると、やはりAppleというコトになるのかも知れない。

その一方、今日本で個性があるのは何処だろう?と、考えると、案外「地方」なのでは?という気がした。
特にその地方で育まれた、様々な伝統手工芸やそれを支えてきた、生活文化などは「個性そのもの」ではないか?
そのエッセンスから、何かを感じる様な「感性」がこれからの「ものづくり」には、必要になってくるのかな?という、気がしたのだった。