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日本人の感性と新元号

2019-04-01 17:11:55 | 徒然

今日、新元号が発表された。
ご存じの通り「令和」だ。
元号の由来が「万葉集」の梅を歌った和歌の序文からとられている、という説明もあった。
由来となった序文について、詳しい解説があった。

万葉集入門:梅花の歌三十二首并せて序(万葉集)

高校の古文を思い出すような内容だ。

この解説を読んで「令月」を「好き月」と書かれているのを読んで、「あ~~日本的な感性だな~」と感じた。
「好き月」と書いて「よきつき(=素晴らしい月)」という、意味になる。
けっして「すきな月」ではない。
今現在一般的に使われている「令=命令やおきて、あるいは令息・令嬢といった他者の親族に対する尊敬を表す漢字」ではない、ということもまた重要なのだと思う。
このように、日本人は漢字に様々な意味を含ませ、歌を詠んできたように思う。

随分前、批評家で文筆家の若松英輔さんの本を読んだとき、
「悲しみは慈しみでもありまた『愛しみ(いとおしみ)』でもある。悲しみを持たぬ慈愛があろうか。それ故慈悲ともいう。(中略)古語では『愛おし』を『かなし』と読み、更に『美し』という文字さえも『かなし」と読んだ。」
という柳宗悦の本の一節が紹介されていた。

高校生の頃、古文の授業で頭を悩ましたのは、このような現代で使われている言葉の意味とは全く別の意味で、言葉を使っていたということだった。
「いとかなし」は「とても悲しい」ではなく、「とても心惹かれる、とても見事」という意味で、そのような意味の違いを覚えるだけでも苦労した覚えがある。
ただ、今更ながら感じることは、柳宗悦が書いているように、古典に登場するような歌の作者たちの豊かな感性だ。
短い言葉の中に、いくつもの意味や思いを含ませ、その場の情景を歌う感性というのは、世界的に見ても珍しい文化なのでは?と、思ってしまうのだ。

「良きこと(あるいは善きこと、または好きこと)をもって和となす」のか「和をもって良きこととなす」のか、その解釈はいろいろだと思う。
どちらが先か?ということではなく、その両方を一緒にしていく、ということが大事なのかもしれない。

この「梅花の歌会」が今の2月の出来事というのも、2月生まれの皇太子さまとの繋がりを感じさせる元号だと思う。