先週の入社式から1週間。
新人研修も終わり、今日から配属先への勤務が始まった新入社員もいるのではないだろうか?
そのタイミングに合わせたかのような記事が、Yahoo!のトピックスにあった。
元々の記事はAERAに掲載されている記事だ。
AERA:新入社員は短期間で劣化する 日本人の「仕事への熱意」は世界最低レベル
ここ数年、この時期になると「新入社員が、定着しない」という話題が出てくる。
私が社会に出た頃は、職場で嫌なことがあっても「石の上にも三年」と諭され、3年くらい勤めないとキャリアとして認められない、と言われた。
今ではこのような「3年勤めてキャリアと認められる」ということを言うことは無いと思うのだが、その当時はそれが「社会人の常識」だった。
「年功序列・終身雇用」が、大前提にあったからだ。
逆に言えば、3年過ぎてしまえば新しく学ぶことよりも、失敗や間違いをしないように仕事をすれば、定年まで安泰だったのだ。
その意味ではこのAERAの記事の内容は、遠からず当たっていると思う。
それだけが「仕事への熱意」が低くなる理由ではないと思う。
むしろ大企業に多くみられる「懲罰主義的組織」が、問題なのではないだろうか?
「懲罰主義的組織」を象徴するのが、「仕事で失敗をしたから出世コースから外す」という考えだ。
挑戦的な仕事で失敗をしたのなら、失敗を経験として捉え、次のチャンスを与えることのほうが、組織としては革新的なモノ・コトを生み出す原動力となるはずなのだ。
それに対して「懲罰主義的組織」では、挑戦的な仕事をする前にそのアイディアは潰されてしまうし、たとえ挑戦したとしても「どうせできないのだから」という、批判的な意見の中での仕事となってしまう。
これでは、働く人は萎縮してしまうし、成功例ばかりを参考にした前例主義的な組織になり、硬直した組織になってしまう。
新しいことに挑戦する必要が無いのだから、勉強などする必要もなければ、ハウツーだけでできる仕事ばかりを求めるようになってしまうのは当然だろう。
そのような仕事に「熱意」など感じられるはずもないだろう。
ただこの記事を読んだとき、随分前の日経新聞の広告のコピーを思い出したのだ。
宣伝会議:日経新聞のコピーから読む「勉強」のこと。
「諸君。学校を出たら勉強しよう」とは、何事か!と思われるかもしれないが、このコピーが掲載された1982年ごろは、上述したように社会人になれば、「定年まで安泰」という時代だった。と同時に、その当時の大学は「社会人になるまでの猶予時間」のような捉えられ方も、されていたし、当時の人文系の学生でも日経新聞を毎日読むような学生はほとんどいなかったように思う。
学生時代に学んだことをいったんリセットして、就職した企業が社会人として再教育をする、という感覚もあった。
だからこそこの日経新聞のコピーが効果的だったのだ。
今や、大手企業に就職したからと言って定年まで安泰、という保証はない。
だからこそ、新入社員だけではなく仕事をする人には「日々勉強(別に日経新聞を読むことだけが、勉強ではない、ということは付け加えたい)」が必要だと思うのだ。